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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第三章 桜の神の恋敵

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第二十五話 ◆雪消

 奈珠那の足音が遠ざかるのを、瓊環は確かに聞き取っていた。

 彼女と漣を二人きりにさせたくなかった。昨日みたいに奈珠那に向けて余計なことを言われる前に、漣とは離しておいたほうがいい。漣は視界に置いておくべきだ。


 そう気づいたのは、奈珠那が障子を閉めてからだった。考えるよりも先に膳の片付けを命じていたのだと、瓊環はようやく理解する。


「ずいぶんわかりやすくなったね、瓊環」

「……何の話だ」

「またまた、とぼけちゃって」


 漣はくすくすと肩を揺らし、囲炉裏の炭を細い指先で弄ぶ。


「いい子だね、奈珠那ちゃん」


 軽く放たれたその言葉に、瓊環は視線を伏せた。漣の声音からは奈珠那への純粋な評価が感じられる。それを否定する理由も、否定したい気持ちも見当たらず、瓊環は結局、沈黙を選んだ。

 

「あーあ。僕も奈珠那ちゃんみたいな子と出会えてたらなあ」

「お前だって、この百年くらい節操なく手を出しているそうじゃなかいか。なら、一人や二人くらい──」

「いないよ。数があるだけで、どれも本物じゃないし」


 瓊環の言葉を遮って、漣ははっと鼻で笑い飛ばした。その顔は冬の隙間風のように乾いている。自嘲にも見える笑みの真意を探る間もなく、漣はすぐに冗談めかした調子へと戻り、わざとらしく天井を仰いだ。

 

「一度でいいから四人でデートとかしてみたかったなあ」

「興味ない」

「瓊環らしい」


 あはは、と漣の小さな笑い声が囲炉裏に落ちた。

 少しの沈黙。漣は火を見つめたまま、ぽつり続けた。


「僕は、瓊環と二人でも全然楽しかったけどね」

「……ああ」


 短く肯定する瓊環。素っ気ない相槌の中には、幾百の季節を越えてきた神同士にしかわからない時間の流れと、懐旧が滲んでいる。

 桜が散れば藤が咲き、気が向けば夜通し二人で酒を酌み交わしていたころ。神である自分に、寿命など関係ない。季節が巡ることは呼吸をするのと同じ、永遠に続く螺旋のようなものだと信じて疑わなかった。

 だが、そうではなかったらしい。愛を知らない神は、いずれ消える。その事実を知ったとき、瓊環はどこか冷めた心地で自らの終わりを甘受(かんじゅ)した。自分のような神に愛など理解できるはずがない。だからこそ、自分の命が尽きることに今さら驚きも恐怖もなかった。


「お前、本当は何しに来たんだ?」


 囲炉裏の火を挟んで、瓊環は問いかける。

 

「別に、何も。僕たちの付き合いも五百年経ったし、久々に顔でも見たいなって」


 薄紫の髪が輪郭に沿ってはらりと揺れた。何かを紛わせるように、漣は小さく笑う。


「瓊環は、大丈夫そうだね」

「何が?」

「元気そうだなって思っただけ」


 軽く言って漣は一拍置く。その間が妙に長く感じた。


「ねえ、瓊環」


 呼びかける漣の声が、わずかに低くなっていた。

 

「奈珠那ちゃん、僕にくれない?」


 唐突で、不敵ともいえる笑み。問いかけというより、試すような声音。沈黙が落ちる代わりに、囲炉裏の火がぱちりと音を立てた。

 

「……は?」

「僕も、愛が欲しいんだ。奈珠那ちゃんみたいな子なら、僕を愛してくれる気がするんだよね」

「また昨日の冗談か」

「冗談じゃないよ」


 笑みはそのままに、漣の口調からからかいが抜け落ちる。


「あいつは俺の契約相手だ。手放す気はない」

「独占欲ってやつ? それとも、瓊環も奈珠那ちゃんのこと好きだったり?」

「……くだらない」


 吐き捨てるように言うと、漣は「ふぅん」と楽しげに目を細めた。

 

「まあいいや。僕は僕のやりたいようにやらせてもらうから」


 漣は肩をすくめる。怪しげな笑みから、やはり冗談ではないと瓊環は直感的に悟った。

 何かを企んでいる。単純に顔が見たかっただけではない。何百年も隣に立ってきた瓊環だからこそわかる、漣の違和感。それを瓊環は拭えなかった。

 

「瓊環様、漣様」


 張りつめた空気を切り裂くように、柔らかな声が響いた。

 

「せっかくですので、お茶を淹れてまいりました」


 湯呑みと菓子が乗った盆を抱えた奈珠那が、珀弥を伴って部屋に入ってくる。

 

「わあ、紅玉の果実まである。久々だなあ、この辺りの神域にしか実ってないんだよね」


 つい数秒前まで旧友を揺さぶっていたことなど忘れたかのように、漣はにこやかな笑みを浮かべて手を伸ばした。

 

「そうだったんですか」


 奈珠那は少し目を丸くして、微笑みながら頷く。


「私は夏頃に初めて頂いたんですけど、とても甘くて美味しいですよね」

「奈珠那様の好物なんですよ。定期的に瓊環様が摘みに行かれるんです」

「珀弥、余計なことは言わなくていい」


 瓊環が窘(たしな)めると、珀弥は「はぁい」といたずらっ子のような愛嬌で返した。幼い神使の隣にいる奈珠那は、くすりと笑っている。

 瓊環はかつての奈珠那と、いま目の前で微笑んでいる彼女の姿を重ねて見ていた。自分の好みさえわからなかった奈珠那が、この赤い実を「美味しい」と言って頬張った瞬間。それは、あの夏の苦い出来事を塗り替えてしまうほど清らかで、眩しいとさえ思えたほどだった。


「……へぇ。瓊環が、わざわざね」

「散歩のついでだ」


 素っ気なく返した瓊環とは対照的に、漣は興味深そうに瓊環を一瞥する。その視線をすぐに奈珠那へと移し、漣は愛想よく笑った。


「好物なのに、僕の分まで用意してくれてありがとうね」


 奈珠那は「いえ」と小さく首を振り、


「美味しいものは、みなさんと食べたらもっと美味しくなりますから」


 と、少し照れたように漣を見返して微笑んだ。

 漣が湯呑みへ伸ばしかけた手を止める。ほんの一瞬だけ、笑みが抜け落ちた。

 

「やっぱり……奈珠那ちゃん、すごくいい子だね」

「そう、ですか? ありがとうございます」


 奈珠那はさらに照れた笑みを深める。その様子を横目に、瓊環は面白くなさそうに眉を寄せていた。


「お前、それ食べたらもう帰れ」

「いやあ。居心地がよくて、ずっと居座ってたいくらいなんだけどなあ」

「お前のところだって、別に悪いわけじゃないだろう」


 甘い藤の香りが記憶の底からよみがえった。かつて、漣の神域で何度も嗅いだ香り。花の下で杯を重ねた、終わりが来ることなど夢にも見ていなかったころの、懐かしい匂いだ。

 

 漣は「ま、そうなんだけどさ」と煮え切らない呟きをこぼす。残った果実を口に運び、大きく息を吐いたあと、おもむろに立ち上がった。

 

「じゃあね、瓊環、珀弥。それと奈珠那ちゃん、ご馳走様。またね」

「はい、またお待ちしております」


 奈珠那がぺこりと頭を下げる。彼女の仕草を目に焼き付けるようにして、漣は姿を消した。

 藤の空気が遠のいたとき、瓊環はようやく息を吐き、奈珠那を見やる。


「……奈珠那」

「はい」

「お前は、少し警戒心を持て」

「警戒心……ですか?」

「昨日といい、お前は隙がありすぎだ」


 きょとんとした顔から一変、奈珠那の表情が瞬時に陰った。責められていると思ったのだろう。咎めるつもりなど、まったくなかったのに。


 ──まただ。


 秋口、奈珠那が秋桜を積みに屋敷を出たときと同じ。本心とは違う言葉が口をついて出てしまっていた。


「お前が悪いわけじゃない。ただ……」


 自分以外の存在に、無防備な笑みを向けてほしくなかった──そう気づいたとき、瓊環はわずかに自嘲した。胸を乱す感情の名前が、喉元まで迫る。


 ──くだらない……はずだったのに。


 神が抱くには、あまりにも人間じみた感情。

 それなのに、神として積み上げてきた矜持も、遠ざけていた命の価値も、一人の少女の存在の前では意味を成さないようだった。


「瓊環様」


 俯きかけていた奈珠那が、意を決したように顔を上げた。緋い瞳には恐れていた怯えの色はなく、こちらをまっすぐに見つめる強い光が宿っている。

 

「私は……きっと、安心しているんだと思います」

「……なに?」

「ここは瓊環様の屋敷で……隣には、いつだって瓊環様がいてくださる。だから、何があっても絶対に大丈夫だって、そう思ってしまうんです」


 瓊環に向けられた奈珠那の微笑みは、最大の信頼の表れだった。


「……そう思うなら、なおさらだ」


 低く呟いて、瓊環は視線を逸らす。障子の隙間から差し込む、冬のまばゆい光が目に入った。


「だから……あんまり無防備なことをするな」


 それは命令ではなく、ひどく歪んだ願いだった。


「……はい」


 嫌な顔ひとつ見せず頷く奈珠那。雪明かりに弾かれたような、細かに煌めく光をまとった微笑み。

 その顔を前に、瓊環はそれ以上何も言えなかった。

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