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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第三章 桜の神の恋敵

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第二十三話 韜晦

「……いつまで居座るつもりだ」

「うわあ、冷たいなあ。雪でも食べた?」


 結局、漣は当たり前のように屋敷に上がり込み、囲炉裏の傍らに腰を下ろした。瓊環はそれを咎めるでもなく、ひとつだけ大きなため息をつく。

 

「あの……私、お茶でも淹れてきましょうか?」

「こいつに出す茶なんてない」

「ええ〜? ひどいなあ。客人なんだから、少しくらいもてなしてくれてもいいじゃん」


 漣は楽しそうに笑ってみせた。瓊環の素っ気なさを懐かしんでいる、そんな余裕さえ感じられる。

 

「瓊環様、奈珠那様! 見てください、今度こそ立派な──」


 雪を踏みしめる音とともに、珀弥が勢いよく現れた。


「あ、漣様。いらっしゃってたんですね」

「珀弥、久しぶりだね」

「ご無沙汰しております」

「それは?」


 漣の視線が珀弥の手元へ移った。

 

「雪だるまです。先ほど瓊環様に『下手くそ』と言われまして、作り直したんです」


 珀弥が差し出したのは、さきほどよりも一回り大きな雪だるまだった。木の枝で作った腕、落ち葉で整えた目と口。まだ少し歪ではあるが、確かに形にはなっている。


「今度はどうですか!」


 意気揚々と、奈珠那と瓊環の前にずいと手を伸ばす。

 

「さっきのより、ずっといいです」

「お前は呑気でいいな、珀弥」


 呆れたように呟いた瓊環だったが、その表情はどこか力が抜けているように見えた。

 

「やっぱり、褒めてくれるのは奈珠那様だけですね」


 珀弥はむっとした素振りを見せながらも、すぐに口元を緩める。瓊環は相変わらず素っ気ないが、珀弥はそれも込みで受け取っているらしい。雪だるまを抱えたその姿は、どこから見ても嬉しさを隠しきれていなかった。

 

「ふぅん。ずいぶんと居心地がよくなったもんだね」


 囲炉裏の向こうで、漣がゆるく目を細めている。

 

「そうでしょう。奈珠那様がいらっしゃってから、この屋敷はとても和やかになりましたよ」

「なるほどねぇ」


 漣は奈珠那へ視線を流し、値踏みするように首を傾げた。その視線に、どうしてか胸の奥がざわつく。


「君が来てから、ここの空気が変わった。瓊環がこんなふうに人と並ぶようになるなんて、思わなかったよ」


 軽い口調の裏には、どこか棘があるような気がする。からかっているにしては、目は笑っていないような不自然さ。それが奈珠那の胸に小さく引っかかった。

 

「ねえ、奈珠那ちゃん」


 一拍置いて、漣は笑う。


「僕と、恋してみない?」

「……え?」


 言葉の意味が理解できず、奈珠那は目を見開いた。

 

「……漣様!」


 声を上げたのは、珀弥だった。抱えていた雪だるまを落としそうになりながら、厳しい目を漣に向けている。


「いいじゃん。瓊環とはただの契約相手で、恋愛感情なんてないんでしょ?」


 冗談めかした口調。けれどやはり、菫色の瞳は一欠片も笑っていない。

 

「君が誰かを選ぶなら、瓊環じゃない可能性だって全然あるよね。それに無愛想な瓊環より、僕のほうが奈珠那ちゃんを楽しませてあげられると思うな」

「漣」


 地を這うような瓊環の低い声が、それまで前まで流れていた空気をひりつかせた。彼の周囲だけが肌を刺すような凄烈(せいれつ)な神気に支配され、囲炉裏の火がぱちりと沈む。


「戯言にしては、度が過ぎてるんじゃないか?」

「そう? 瓊環が奥手なだけで、このくらい普通だと思うよ」


 漣はひらひらと手を振ってかわすが、菫色の視線は瓊環を挑発するように離さずにいる。

 

「彼女にだって、選ぶ権利くるいあるはずだよ。それとも……」


 わずかに間を置いて、漣は奈珠那へ視線を向けた。


「奈珠那ちゃんは、もう瓊環のことが好きなのかな」

「私は……そんな……」


 心臓が跳ねた。突然突きつけられた問いに、奈珠那は言葉を失う。否定しようにも、漣のいう「好き」がどんな意味なのか、自分でもまだわからずにいた。

 

「帰れ」


 瓊環が短く断ち切る。

 

「ええ、まだお茶の一杯も飲んでないのに」

「貴様に出す茶などないと言ったはずだ」

「手厳しいなあ、瓊環は」


 漣は一瞬だけ目を細めた。からかいの色が消える。代わりに瞳に宿ったのは、長い時を生きてきた者だけが持つような、諦観(ていかん)にも似た深く沈んだ光。

 だが次の瞬間には、それを覆い隠すように軽い笑みを取り戻していた。


「まあ、今日はこの辺でいいか。だいぶ空気悪くなっちゃったし」


 漣は立ち上がり、衣を整える。その動作さえも、枝垂(しだ)れた藤の花のようにしなやかだった。

 

「じゃあね、奈珠那ちゃん」

「二度と来るな」


 瓊環が冷たく突き放した言葉を背に、漣はひらりと手を振り返す。冬景色の中へと溶けるように姿を消した。


「……ああ、オレの雪だるまが!」


 突如響いた珀弥の情けない悲鳴が、部屋に残された異物感を押し流した。


「せっかく作ったのに、ちょっと目を離した隙に……!」


 耳と尻尾は、しゅんと垂れている。囲炉裏のそばにいたせいで、溶けるのが早まったのだろう。忙しなく言葉を並べていて、どこか悔しそうだ。

 珀弥は崩れかけの雪だるまを持ち変えると、「直してきます!」と庭へ駆け出していった。


 やがて雪を踏む足音も遠ざかり、部屋には囲炉裏の火がぱちりと小さく弾ける音だけが残る。気づけば、瓊環と奈珠那の二人きり。漣が残していった甘い花の香りも、いつの間にか薄れていた。


 二人きりだと意識した途端、奈珠那は言葉が見つからなくなる。しかし、沈黙は落ち着かない。何か言わなくてはと手元を見つめ、指先をきゅっと握った、そのとき。

 

「気にするな」


 短い言葉が、ぽつりと熱を持ったように降ってきた。

 

「漣はああいうやつだ。誰にでも、ああして距離を詰める。昔はもう少しマシだったんだが」

「……そう、なんですね」


 瓊環は囲炉裏の火を見つめたまま、深く息を吐いた。その横顔は苛立ちだけではなく、もっと複雑な感情が滲んでいる気がした。

 沈黙が流れる。


「奈珠那」


 不意に名を呼ばれ、奈珠那は顔を上げた。


「お前が誰を選ぼうと、契約は変わらん。俺がお前を離すことも、ない」


 命じるようでも縛るようでもなく、金の瞳は、ただまっすぐに奈珠那を映していた。

 

「……はい」


 返事はわずかに震えていた。「離さない」と告げられたことへの恐怖ではなく、その言葉に安堵してしまった自分自身への戸惑いと、抑えきれない小さな喜びだった。

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