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【完結】万年桜の生贄婚 〜咲かぬ桜の神と生贄少女の一年契約〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞・楽曲化
第二章 生贄少女の恋敵

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第十九話 容認

 屋敷に戻ると、月明かりに照らされた縁側に艶めかしい影が一つあった。


「瓊環!」


 出迎えたように天寧が勢いよく立ち上がった。その視線は瓊環の腕の中にいる人間へと向けられる。奈珠那の顔色の悪さと、胸に抱えられた紅玉の果実を見た天寧の表情が、一瞬だけこわばった。


「奈珠那をあそこに仕向けたはお前だな、天寧」

「私は別に……! その子に『どうしたらいい』って聞かれたから答えただけ! それに、ちゃんと危険な場所だって言ったわよ!」


 必死に弁解する天寧の顔には、わずかな冷や汗が浮かんでいた。瓊環から伝わるのは、怒気以上にひりついた、殺気とも取れる神圧。彼女はそれに気圧されているようだった。

 緊張の糸が走る。それを、奈珠那のか細い声がすぐに断ち切った。


「天寧様の……仰る通りです」


 瓊環の腕の中にいる奈珠那が、彼の衣をぎゅっと掴む。これ以上は言わないでほしいと訴えるように。


「天寧様は、ちゃんと危険だと教えてくださいました。行くと決めたのは……私です」

 

 瓊環の怒りの矛先は自分ではなく、天寧にある。だが、彼の刃のような感情が誰かに向けられていること自体が、奈珠那は嫌だった。それが自分に道を示してくれた女神なら、なおさらだ。


「どうか……怒らないでください。怒るなら、私を……」

「もういい」


 短く遮られた彼の声に、先ほどまでの鋭さはなかった。瓊環の身体から張りつめていた神気が抜けていく。

 それは怒りが収まったというより、奈珠那の必死な庇い立てを前に、これ以上刃を振るうことをやめたような、諦観(ていかん)に近いものだった。


「なによ、なによ……! 私を悪者みたいに……!」


 強がるような天寧の言葉に、奈珠那はかつての記憶を思い出した。


 “──私を悪者にしたいのかしら?”


 蔑んだ視線。それから、飛んできた扇子の感触。

 否定したかっただけだった。口答えをしたつもりなどなかった。けれど、義妹は最初から聞く気などなかったのだ。

 奈珠那は目の前の女神をまっすぐに見た。

 天寧は、義妹とは違う。やり場のない怒りの奥に、責められることへの恐れがある。自分は悪くないと言いながら、どこか罪悪感を思わせるように表情が曇っていく。

 それがわかってしまった以上、黙ってやり過ごすことはできなかった。


「瓊環様……少しだけ、天寧様とお話しさせてください」


 おそるおそる願い出ると、瓊環の腕の力が緩んだ。完全に納得したわけではないのだろう。何かを言いかけて、やめたから。

 地面に下ろされた奈珠那は、天寧のほうへと歩み寄った。


「……なによ。言っとくけど、私のせいじゃないからね。勝手に行ったのは、あなたでしょ」


 瓊環の視線から逃げるように、天寧は棘のある言葉を吐き出す。奈珠那は彼女の言葉を遮ることなく、深く丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございました」

「はあ……!? なにそれ、嫌味か何か?」


 奈珠那は小さく首を横に振ってみせる。そして一度息を整えて、ゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。


「……嬉しかったんです。何も持たない私に、どうすればいいのか教えてくださって。それに……危険な場所だと、きちんと教えてくださいました」

「別に、怖気付いてくれたほうが楽だと思ったからよ」


 天寧は言葉に詰まったように口をすぼめる。腕を組む仕草はいつもより強く、指先は袖をきつく握り締めていた。

 

「……本当に、どうでもいい相手なら。あるいは、憎い相手なら……黙って行かせることもできたはずです。けれど天寧様は、危険だと教えて、断る道も与えて……それでも進むならと、選べるようにしてくださいました」


 何も言わずにいる天寧。腕を組んだまま、指先だけが強く袖を掴んでいる。


「だから……天寧様は、お優しいお方だと思いました」


 再度、奈珠那は深く腰を折った。疑いようがないほど誠実な感謝の形。無垢ともいえる奈珠那の仕草に、天寧の中で何かが弾けたように神気が膨れ上がった。

 

「……馬鹿にしてるの!? 優しくなんてしてないわ! わかったような顔しないで!」


 感情を叩きつけるような声が屋敷に響く。その声には怒りだけではなく、焦りと戸惑いも滲んでいた。

 

「天寧様は……以前お出ししたお茶も、飲んでくださいました。お菓子だって、私の分を用意してくださいました。今回だって……そうです」


 奈珠那は、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。

 頭の片隅に古い記憶が滲んだ。似たような場面は、これまでにも何度もあった。だが、茶をかけられることはあっても、差し出されたことはない。菓子を与えられることなど、一度もなかった。生贄として出されたあの夜も、真実はずっと隠さたままだった。

 だからこそ、天寧の些細な行為は奈珠那の胸に深く刻まれていたのだ。


「天寧様は、本当は優しいお方なんだと……私には、そう思えたんです」


 返す言葉が見つからないというように、天寧はしばらく黙り込む。怒りや苛立ちが一瞬だけ表情に浮かんだあと、それを振り払うように彼女は月を見上げて、大きく息を吐いた。


「……あなた、やっぱりズレてるわ」


 その言い方に、先ほどまでの棘はない。嘲りではなく、目の前にいる変わった人間への困惑と、わずかな観念が混じったものだった。

 

「そう……かもしれません」


 少しだけ困ったように微笑む奈珠那。その歪な微笑みを前に、天寧は大袈裟なくらいのため息をついた。


「あーあ。なんか意地張ってる私のほうが馬鹿みたい」


 そう言って小さく苦笑する。憑き物が落ちたように、さっぱりとしていた。


「もう帰るわ。夜分にお邪魔しちゃって、ごめんないね」


 天寧は踵を返しかけて、ふと足を止める。そして、照れくさそうに奈珠那へと身体を近づけた。


「……あなたなら、瓊環を助けられるのかもね」


 耳元で囁かれた低い声は、素直になりきれない女神の本音がこぼれたようだった。それきり、ふんっと小さく鼻を鳴らして、彼女の姿は夜の闇へと紛れ消えていった。


 嵐が去り静まった庭に、短い呟きが一つ落ちる。


「身体は?」


 瓊環からの、いつも通りの淡々とした問いかけ。しかし奈珠那は、金色の瞳が必要以上に自分から逸れないことに気づいていた。

 

「はい……瓊環様のおかげで、もうだいぶ落ち着いています」


 答えると、瓊環が息を吐いた。安堵とも、緊張を解くためともつかない短い吐息。その吐息が風を連れてきたように、庭に一筋の風が吹いて彼の白銀の髪をなびかせた。


「もう二度と、俺の前から勝手にいなくなるな。許可なく死ぬことなど……許さん」


 月明かりの下で冷たく輝くその佇まいは、誰が見ても凛と君臨する神そのものだ。

 しかし奈珠那には、彼の口調が冷たいものには聞こえなかった。叱責にしては語気が弱く、命令にしては覇気がない。何かを失うことを恐れるような切迫感が滲んでいたからだ。


「……はい」

「部屋へ戻れ。夏とはいえ、夜風は冷える」


 それだけ言うと瓊環は視線を逸らし、縁側へ腰を下ろした。

 

「おやすみなさい、瓊環様。……ありがとうございました」


 頭を下げて、奈珠那は自室へと歩み出す。

 夜風に紛れて返ってきた「……ああ」という短い返事を、奈珠那は確かに聞き取った。

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