第9話 男たちの号泣とアニキ誕生
ジュワァァァァァ……ッ!
朝の冷え込みが残る中央大厨房に、腹の底を直撃するような香ばしい音が響き渡っていた。
分厚い鉄板の上で、真っ白な白米が薄く広げられ、心地よい音を立てながらきつね色に焼き上がっていく。
「よし、火加減は完璧だな。ペティ、こっちの焼け具合はどうだ?」
「バッチリっすよマスター! 俺の『食材直感』が、今まさに最高のおこげが完成したって告げてるっす!」
エプロンのポケットで青い魔石をパチパチと点滅させる相棒のペティと軽口を叩きながら、俺、南条悠は鉄板の端に特製のごま油をひと回しした。
バチバチッ! と油が弾け、ごまの香ばしい匂いが爆発的に広がる。
金属のヘラで白米を鉄板にギュッギュッと押し付けると、表面の水分が飛んで、カリッとした美しい黄金色の層が作られていった。
昨日の朝、特大の鉄鍋で作ったワイルドボアの『具だくさん山賊豚汁』は大成功だった。
バルトさんをはじめとした男騎士たちが、涙を流しながら鍋を空にしてくれたのだ。
だが、俺の仕込みはそれだけで終わらない。
濃厚な味噌スープに最も合う極上の相棒を、今日の朝食のために用意していたのだ。
俺は鉄板からパリッと焼き上がったおこげを綺麗に剥がし、大きなお椀の中へとうず高く盛り付けた。
厨房には俺とペティしかいない。
いつもならお腹を空かせた兵士たちが雪崩れ込んでくる時間だが、今日は不思議と静かだった。
「ひょ~! 朝からすっげぇいい匂いっすね! 誰も来ないなら、俺とマスターで独り占めっすよ!」
ペティが嬉しそうに柄を揺らす。
「そうだな。たまには男二人で、静かに朝飯を食うのも悪くない」
俺はかまどの上に据え付けられた大鍋の蓋を、ゆっくりと持ち上げた。
ブワァァァッ。
一晩かけてじっくりと寝かせ、旨味が限界まで熟成された濃厚な味噌スープの香りが、湯気とともに厨房の空気を完全に支配した。
昨日よりも角が取れ、まろやかさを増した大豆と生姜の香りが、冷え切った厨房を温かく包み込む。
「うおおお……っ! こいつはたまらねぇ匂いっすね……!」
ペティの青い魔石が、食欲を刺激されたように激しく明滅する。
「ただの豚汁のおかわりじゃないぞ。一晩寝かせてコクが深まった濃厚なスープに、この『香ばしいおこげ飯』を合わせるんだ」
俺は大鍋の底から、ホロホロに崩れたワイルドボアの肉と、味が中まで染み込んでべっこう色になった大根やマンドラゴラをたっぷりとお玉ですくい上げた。
そして、おこげの入ったお椀へと一気に注ぎ込む。
ジュワァァァァァ……ッ!!
香ばしいおこげが濃厚な熱い味噌スープを吸い込み、食欲の限界を突破するような最高の音と匂いが弾けた。
「お待たせしました。『一晩寝かせた豚汁とおこげ飯』の完成だ」
俺は自分用のお椀と、もう一つ、小さな小鉢を用意した。
小鉢の中にもおこげとスープを注ぎ、カウンターの上にそっと置く。
「マスター? それは誰の分っすか?」
「お前の分だよ、ペティ」
俺はエプロンのポケットからペティを取り出し、小鉢のすぐ横に立てかけるように置いた。
「魔導具であるお前が直接食べられないのは分かってる。でも、この立ち上る湯気と香りを、お前の魔石でたっぷりと味わってほしくてな」
「マスター……!」
ホカホカと立ち上る豚汁の湯気が、ペティの柄に埋め込まれた青い魔石を優しく包み込む。
「さあ、冷めないうちにどうぞ。たくさん味わってくれ」
俺のその言葉を合図に、ペティの魔石がひときわ強く輝いた。
豚汁とおこげの放つ極上の香気と、込められた手作りの温もりが、ペティの魔石へと流れ込んでいく。
その瞬間。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
ペティの短い刃先が、ビクリと激しく震えた。
青い魔石が限界まで眩しく輝き、言葉を失ったようにピタリとフリーズする。
(な、なんだこの食感と深すぎる旨味は……っ!?)
ペティの魔導回路の中で、かつてない味覚の爆発が起きていた。
スープを吸ってしっとりとした部分と、まだカリッとした食感を残す香ばしいおこげのコントラスト。
そこに、一晩寝かせたことで完全に角が取れ、まろやかさを極めた味噌スープが絡み合う。
ワイルドボアの濃厚な肉の旨味と、大根の優しい甘みが、魔石を通じてジュワッ、ジュワッととめどなく溢れ出してくるのだ。
「う、うめぇぇぇぇぇぇーーーーっ!!!?」
ペティはまな板の上で跳ね上がり、大音声で絶叫した。
「なんだこれ! 昨日よりもスープが丸くなって、肉の旨味が極限まで溶け出してるっす……! ごま油で焼いたおこげの香ばしさが味噌と合わさって、魔石の隅々まで染みわたるっす……っ!」
興奮気味に叫んでいたペティだったが、その絶叫はすぐに、くぐもった声へと変わっていった。
「うっ……うぅっ……」
ペティの青い魔石から、まるで涙のように光の粒がボロボロとこぼれ落ち始めたのだ。
「ペティ!? どうかしたのか!? 味が濃すぎたか?」
俺が慌てて声をかけると、ペティは光の涙を流しながら、ぐっと柄を震わせた。
「……思い出したんすよ。昔の戦場の夜のことをな」
ペティのかすれた声が、静かな厨房の空気をスッと鎮めた。
「あの時は、毎日毎日、冷たくて血生臭い人間の血を吸うだけの地獄だった。俺は呪いの魔剣として、ただ命を奪うためだけに振るわれ続けて……本当は、誰かを傷つけるのなんて嫌だったのに、逆らえなかったんす」
ペティは魔石を潤ませ、俺の顔をまっすぐに見つめた。
その光には、長い年月を孤独と自己嫌悪の中で過ごしてきた悲痛な響きが宿っていた。
「剣として生まれたからには、血をすする殺伐とした運命なんだって、俺は心のどこかで諦めていたっす。おぞましい悲鳴と鉄のサビの匂いしか、俺の回路には刻まれてこなかった。だがよ……!」
ペティは小鉢にすり寄るように、刃を傾けた。
「この温かい飯の香りを味わったらさ……胸の奥にあった冷たい恐怖と孤独が、全部溶けて消きちまったんすよ……! 俺の中の回路が、優しい出汁の味で上書きされていくっす……!」
「ペティ……」
「マスター……いや、アニキ……!」
ペティはまな板の上で立ち上がり、小さな刃を震わせながら叫んだ。
「俺の命は、今日からアニキの飯の香りでできてんだ……! こんな美味い飯で俺の心を救ってくれるなら、俺はもう血を吸う魔剣なんて辞めるっす! アニキ! 俺を一生の舎弟にしてくれっす……っ!」
純粋すぎる相棒の号泣に、俺も思わず目頭が熱くなった。
「バカ野郎。お前はとっくに、俺の大切な相棒で、可愛い弟分だよ」
俺は優しくペティの柄を撫でた。
冷たい鉄の刃のはずなのに、今は不思議と温もりを感じる。
「包丁は命を生かす道具だ。これからもずっと、俺の隣で美味い匂いを味わってくれ」
「うわぁぁん! アニキ、最高だぜぇぇぇっ!」
厨房は、男二人の温かい涙と感動の渦に包まれた。
冷え切っていた要塞の朝は、今や熱い涙と最高の絆に満ちあふれていた。
どんなに過酷な世界だろうと、この温かい厨房と弟分がいる限り、俺の歩みが止まることはない。
そう確信して二人で笑い合った、その時だった。
「……朝から随分と騒がしいな。騎士団の厨房で、男と短剣が涙を流して抱き合っているとは」
凛とした、しかしどこか呆れたような澄んだ声。
振り返ると、大食堂の扉の向こうに、白銀の髪を揺らした第5小隊長、エレノアが静かに立っていた。
彼女のサファイアブルーの瞳は、不思議そうに、そしてどこか面白そうに俺たちを見つめている。
どうやら、男二人の静かな朝食の時間は、無事に終わりを迎えたらしい。
【次回予告】
大号泣の弟分を横目に、厨房を訪れたエレノアの目的とは!?
要塞都市の日々は、さらに賑やかで甘い方向へ――!?
次回第10話「賑やかになったオアシス」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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