第8話 大鍋いっぱいの山賊豚汁
ズシン、ズシン、ズシンッ!
まだ日の昇りきらない早朝の中央大厨房に、地響きのような重い足音が近づいてくる。
扉の向こうから聞こえてくるのは、金属製の甲冑が擦れ合う無骨な音と、男たちのくぐもったざわめきだ。
「アニキ――っ!! 昨日のあの塩漬け肉の煮込み、最高だったぜ! 今朝も頼む!」
バンッ! と勢いよく扉が開かれ、第1大隊長のバルトが二メートル近い巨体を揺らして飛び込んできた。
その後ろには、一般兵のハンスをはじめとした血気盛んな男騎士たちが、お椀を片手にずらりと顔を覗かせている。
「ひょ~! 朝っぱらからハラペコの大男たちが押し寄せてきたっすよ! 厨房の床が抜けるんじゃないっすか!?」
俺の白いエプロンのポケットから顔を出した相棒のペティが、青い魔石をパチパチと点滅させながら甲高い声を上げた。
「バルトさん、おはようございます。皆さん、朝の鍛錬帰りですか? 随分と冷え込んでいるようですね」
俺、南条悠は、冷たい湧き水で手を洗いながら穏やかに微笑みかけた。
男たちの吐く息は真っ白で、頑強な彼らの体も早朝の冷気で芯まで冷え切っているのがわかる。
「おうよ! 昨日のアニキの飯のおかげで、兵士どもの士気が爆上がりしてな! 朝から尋常じゃねぇ量の鍛錬をこなしちまったんだ」
「そうっすよアニキ! みんな腹と背中がくっつきそうっす! 早く美味いもんを食わせてくれ!」
ハンスが身を乗り出し、期待に満ちた目で厨房の奥を覗き込んだ。
「わかりました。冷え切った体を芯から温めて、今日一日を戦い抜くための特効薬を用意していますよ」
俺は自身のスキル『絶対鮮度アイテムボックス』を展開し、光の空間から巨大な木箱を取り出した。
ドスンッ!
分厚いまな板の上に置かれたのは、赤身と脂身が鮮やかな層を成す、巨大な肉の塊だ。
「おっ……!? アニキ、そいつは……ワイルドボアの肉じゃねぇか!」
バルトが目を丸くし、ごくりと喉を鳴らした。
「野猪の魔獣肉だ。だが、こいつは血の匂いと獣臭さが強烈で、普通に焼いただけじゃとても食えた代物じゃねぇぞ?」
「ええ、その通りです。だからこそ、職人の手と手間の見せ所なんですよ」
俺はペティの柄をしっかりと握りしめた。
「頼むぞ、ペティ。繊維の向きと、臭みの元になる血合いの場所を教えてくれ」
「任せるっすマスター! 俺の『食材直感』が、最高に美味い切り分け方をガンガンナビゲートするっすよ!」
トントン、トントントンッ!
静かな厨房に、軽快でリズミカルな包丁の音が響き渡る。
ペティの青い光の導きに従い、俺は硬いワイルドボアの肉を、繊維を一切潰すことなく一口大の分厚いサイズへと次々に切り分けていった。
「すげぇ……あの硬い野猪の肉が、まるで柔らかい果物みたいにスパスパと切れていく……」
ハンスが信じられないといった顔で呟く。
切り分けた肉は、すぐにたっぷりの湯を張った別の鍋でサッと下茹でする。
表面の色が変わった瞬間にザルにあげ、冷水で丁寧に洗い流すことで、余分なアクと強烈な獣臭さを完全に抜き去るのだ。
続いて、アイテムボックスから取り出した大根、人参、マンドラゴラの芋といった根菜類を、食べ応えのある大きめの乱切りにしていく。
包丁が入るたびに、新鮮な野菜からみずみずしい水分が滲み出た。
「よし、下準備は完璧だ。ここから一気に仕上げるぞ」
俺は、厨房の奥に据え付けられた特大の鉄鍋に火を入れた。
ゴォォォォ……ッ!
青い魔導の炎が鍋底を舐め尽くし、たっぷりと張られた湧き水がすぐに沸騰を始める。
そこに下茹でしたワイルドボアの肉と、たっぷりの根菜を放り込み、じっくりと煮込んでいく。
グツグツ、コトコト……。
鍋から立ち上る湯気が、次第に根菜の甘い匂いを帯びてくる。
肉から溶け出した極上の脂が、透明なスープの表面でキラキラと黄金色に輝き始めた。
「たまらねぇ……これだけでも美味そうだぜ……」
だが、ここからが俺の真骨頂だ。
火を少し弱め、特製の濃厚な味噌を、お玉を使ってたっぷりと溶かし込んでいく。
「うおっ……!? な、なんだこの匂いは……!?」
味噌が鍋全体に行き渡った瞬間、大豆の芳醇で力強い香りが、厨房全体を爆発的に満たした。
そこにすりおろした大量の生姜と、隠し味のニンニクを加える。
「仕上げに、ネギの香りを移した特製油をひと回し、だ」
ジュワァァァッ!
熱いスープの表面に油が広がり、暴力的なまでに食欲を刺激する極上の香りが、男たちの鼻腔を直接殴りつけた。
「お待たせしました。ワイルドボアの『具だくさん山賊豚汁』の完成です」
俺が特大のお玉で鍋をかき混ぜると、底の方からゴロゴロと溢れんばかりの肉と野菜が顔を出す。
湯気をモウモウと立てる濃厚な味噌スープを、男たちが差し出してきた巨大な木椀へとたっぷりとよそっていく。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
「い、いただきまーーーす!!」
バルトとハンスは、待ちきれないといった様子で木椀に口をつけ、ズルズルッ! と豪快にスープをすすり込んだ。
その瞬間。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
バルトの二メートル近い巨体が、まるで雷に打たれたようにビクリと激しく震えた。
丸い両目が限界まで見開かれ、お椀を持ったままピタリと完全にフリーズする。
(な、なんだこの深すぎる旨味は……っ!?)
バルトの脳内で、味覚の革命が起きていた。
ワイルドボアの獣臭さは微塵もなく、煮込まれた肉は噛む必要がないほどにホロホロと口の中で崩れていく。
溶け出した豚の強烈な旨味と甘い脂が、濃厚な味噌のコクと完璧に融合している。
何より、一緒に煮込まれた大根やマンドラゴラの芋が、中心の奥深くまでスープを吸い込んでおり、舌で押しつぶせるほどにトロトロに甘い。
最後に残った生姜の刺激が、早朝の冷気で凍え切っていた胃の腑を、カッと熱く燃え上がらせていく。
「う、うめぇぇぇぇぇぇーーーーっ!!!?」
バルトは天を仰ぎ、厨房の天井を突き破るような大絶叫を上げた。
「なんだこれ! 野猪の肉がこんなに柔らかくて甘いなんて聞いてねぇぞ……! 味噌のコクが、生姜の香りが、五臓六腑の隅々まで染みわたる……っ!」
バルトの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出していた。
「うわぁぁん! 芯まで味が染みた大根が美味すぎるぅ! 涙が出るぜぇぇぇっ!!」
その絶叫を合図に、後ろで豚汁を口にしたハンスたち一般兵士からも、次々と歓喜と悲鳴が上がり始めた。
「うまっ! 肉の旨味が中まで完全に染み込んでる!」
「体が……芯からポカポカしてきやがる! 疲れが全部吹っ飛んだぞ!」
ズズッ、ハフハフッ、モグモグ……!
静かだった早朝の厨房は、一瞬にして極上の朝食に酔いしれ、涙を流しながら豚汁をかき込む男たちの熱気で完全に支配された。
「みんな、落ち着いて食べてください。鍋にはまだまだたっぷりありますから」
俺はエプロンの裾で手を拭きながら、涙と鼻水を流して喜ぶ男たちを見て、静かに微笑んだ。
「アニキ……アンタ、本物の神様だぜ……」
バルトが空になったお椀を両手で大事そうに抱えながら、真っ赤な目で俺を見つめてきた。
「俺たちみたいな泥臭い兵士に、こんな手の込んだ、美味すぎるもんを食わせてくれるなんてよ……」
「何を言ってるんですか。俺はただの料理人ですよ」
俺は新しいお椀を受け取りながら、彼らのまっすぐな目を見て言った。
「喰う者に貴賤はない。頑張って生きている奴は全員うまい飯を喰え!」
俺の気負いのない、しかし確かな思いを込めた言葉に、バルトとハンスたちは息を呑み、そして再びボロボロと大泣きを始めた。
「アニキィィィーッ!! 俺、一生アニキについていくっすー!!」
「俺もだ! アニキの飯のためなら、どんな魔物も怖くねぇ!!」
「ひょ~! マスター、完全に要塞の男たちの胃袋と心を掌握しちまったっすね!」
ペティが面白そうに光を瞬かせ、俺は少し照れくさくなって頭を掻いた。
男たちの熱気と、立ち上る芳醇な味噌の香り。
冷え切っていた要塞の朝は、今や最高の笑顔と活気で満ちあふれていた。
【次回予告】
バルトの大号泣はまだまだ止まらない!?
「アニキ」の呼び名が全軍に定着する中、今度はあの知的な苦労人が厨房に現れる!
次回第9話「男たちの号泣とアニキ誕生」。お楽しみに!
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