第7話 むさくるしい訪問者たち
ドバァァンッ!!
蝶番がへし折れんばかりの凄まじい轟音と共に、大食堂へと続く重厚な木の扉が蹴り開かれた。
エレノアが朝の特製フルーツジュースを飲み干し、静かで穏やかだった厨房の空気が、一瞬にして乱暴に掻き乱される。
「アニキ――っ!! 今日の朝飯は何だ――っ! 腹が減って背中と腹がくっつきそうだぜーっ!」
野太く豪快な声と共に飛び込んできたのは、身長二メートル近い巨体を揺らす第1大隊長のバルトだった。
その後ろからは、厳しい朝の鍛錬を終えてお腹を空かせた大柄な男騎士たちが、獲物を狙う群れのようにドヤドヤと雪崩れ込んでくる。
むせ返るような男たちの熱気と、使い込まれた革鎧の匂い、そしてガチャガチャと鳴る鉄の音が、広々とした厨房を一気に狭く感じさせた。
「おい、バルト! 勝手に厨房へ入るなと何度言ったらわかるんだ。ここは規律ある騎士団の……」
カウンターの端でグラスを持っていたエレノアが、ピクリと眉をひそめて立ち上がる。
だが、バルトは全く気にする様子もなく、ガハハと豪快に腹を叩いて笑い飛ばした。
「小隊長殿、そう硬いこと言うなよ! 朝の冷え込みで俺たちの胃袋は凍りついてるんだ。アニキのあったけぇ飯を喰わねえと、今日一日魔物と戦う気が起きねぇぜ!」
「そうだそうだ! 昨日、第5小隊の奴らがこっそり美味い肉を喰ってたって聞いたぞ! 俺たちにもお裾分けしてくれよ、アニキ!」
男騎士たちが口々に叫び、厨房のカウンターを取り囲むように押し寄せる。
突然の乱入者に、俺のエプロンのポケットから顔を出したペティが、青い魔石を激しく点滅させた。
「ひょ~! 朝っぱらからものすごい大男たちが湧いて出たっすよ! 厨房の空気が一気にむさくるしくなったっす!」
「まったく、相変わらず賑やかな人たちですね」
俺、南条悠は苦笑しながら、仕込みに使っていた包丁をふきんで丁寧に拭い、まな板の上に置いた。
前世で実家の大衆食堂を営んでいた頃も、朝一番の仕込み時に常連のガテン系の男たちが「腹減ったぞ!」と雪崩れ込んできたものだ。
あの頃の賑やかな光景と重なり、どこか懐かしささえ覚える。
「おいおい、何だこの騒ぎは。朝からむさくるしい連中が厨房に群がって、騎士団の品位が落ちるぞ」
冷ややかで、どこか棘のある声が、ざわめく男たちの後ろから響いた。
人垣がスッと左右に割れ、そこから現れたのは、傷ひとつなくピカピカに磨き上げられた、派手な金装飾の甲冑を纏った男だった。
第1遊撃小隊長のライネルだ。
彼は鋭いつり目を細め、露骨に嫌そうな顔をしながら俺たちを見据えた。
「ライネル隊長……」
エレノアがわずかに険しい表情を浮かべ、サファイアブルーの瞳を細める。
ライネルは冷ややかな笑みを浮かべながら、ゆったりとした足取りでカウンターに近づいてきた。
「聞いたぞ、南条とかいう新しい料理長。なんでも、この女どもの小隊に甘い馳走を振る舞って骨抜きにしているそうだな」
「甘い馳走、ですか」
「そうだ。武人に美味い飯など必要ない。我々はパサパサの干し肉と固焼きパンを噛みしめ、泥水をすすりながら戦うからこそ強くいられるのだ。それを何だ、この朝から甘ったるいジュースの匂いは! 騎士団を軟弱にする気か!」
ライネルの言葉に、バルトが不機嫌そうに顔を歪めた。
「なんだと、ライネル。アニキの飯が軟弱だと……?」
「事実だ。お前たちも、あんな得体の知れないオヤジの料理にかまけていないで、これを見習え」
ライネルは腰からぶら下げていた無骨な麻袋を、ドンッと乱暴にカウンターの上に叩きつけた。
中から転がり出てきたのは、血抜きもされずに乾燥した、赤黒い岩のような魔物肉の干し肉だ。
そして、石のように硬く焼き上げられた茶色いパン。
鉄のサビのような血生臭さと、古い油の匂いが入り混じった不快な香りが漂ってくる。
「これぞ我らが誇る標準配給食だ。男ならこれを黙って喰らい、血を流して戦う! 女子供じゃあるまいし、味の好みなど二の次だ!」
ライネルは勝ち誇ったように胸を張り、冷ややかな視線を俺に向けた。
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥で、職人としての静かな怒りの炎が小さく燃え上がった。
「……味の好み、ですか」
俺は低い声で呟き、カウンター越しにライネルの目をまっすぐに見据えた。
「それが、命を懸けて戦う者に対するあなたの答えですか」
「そうだ。文句があるのか?」
「味のしねぇパサパサの保存食で命を削り、泥水をすすりながら戦うことが美学だと言うなら……それは大きな間違いだ。そんなやり方じゃ、いつか心も体もすり減って壊れてしまう」
俺の静かながらも芯のある言葉に、ライネルは鼻で笑った。
「ふん、綺麗事を言うな。戦場に生きる者に優しい飯など毒だ。お前の作った料理など、どうせ軟弱者の気休めに……」
ライネルが言いかけたその時だった。
俺は自身のスキル『絶対鮮度アイテムボックス』を展開し、光の空間から昨夜のうちに仕込んでおいた、巨大な鉄鍋を取り出した。
ズドンッ!
とてつもなく重い鉄鍋が、かまどの上で鈍い音を立てて鎮座する。
「なんだ、それは……?」
ライネルが怪訝そうに眉をひそめた。
俺が鉄鍋の分厚い木の蓋をゆっくりと持ち上げると、厨房の空気が一瞬で激変した。
ブワァァァァッ!
白く濃密な湯気と共に、プンッと鼻を突くような力強く芳醇な味噌の香りが、一気に厨房全体へと広がり渡ったのだ。
そこに生姜の爽やかな刺激と、じっくり煮込まれた豚の脂の甘い匂いが混ざり合い、暴力的なまでの食欲を掻き立てる。
「おっ……!?」
バルトがガバッと身を乗り出し、目を丸くして鍋の中を覗き込んだ。
「アニキ、これは……!?」
「これは、あなたが『干し肉で十分だ』と切り捨てた配給の硬い塩漬け肉を、一晩かけて徹底的に仕込んだものです」
俺はお玉を手に取り、鍋の底から具材をゆっくりとかき混ぜながら説明を続けた。
「そのままじゃただの靴底のような塩の塊ですが、丸一日真水にさらして余分な塩分と臭みを抜き、たっぷりの根菜と一緒にじっくりと煮込んだ。名づけて、『荒々しい塩漬け肉の濃厚味噌煮込み』です」
「マスターの言う通りっす! 俺の直感ナビゲートで、硬い繊維を完全に断ち切るように切り分けてあるっすよ!」
ペティが誇らしげに青い光を瞬かせる。
「な……あの石のように硬い塩漬け肉を、煮込んだだと……!?」
ライネルは信じられないといった顔で絶句した。
「魔物の硬い肉や保存食は、ただ焼くだけじゃただの苦行です。ですが、正しい手間暇をかければ、どんなに硬い肉だって口の中でとろけるご馳走に生まれ変わる。それを今から、証明してあげましょう」
俺はグツグツと煮立つ大鍋から、湯気の立ち上る極上の煮込みを深い木椀へとたっぷりとよそった。
ゴロッとした大ぶりの塩漬け肉は、驚くほど柔らかく煮込まれており、表面の脂が艶やかに光っている。
一緒に煮込まれた大根や人参、芋には、濃厚な味噌のスープが中まで染み込んで美しい黄金色に輝いていた。
仕上げに、小口切りにした新鮮な青ネギをパラリと散らす。
ふわりと立ち上る湯気とともに、味噌とネギのたまらない香りが男たちの鼻腔を直接殴りつけた。
「……っ!」
ライネルは思わずゴクリと大きな音を立てて生唾を飲み込んだ。
先ほどまで「軟弱だ」と豪語していた彼の顔から余裕の色が消え去り、視線は木椀の中の肉から1ミリたりとも離れなくなっている。
「さあ、どうぞ。男なら、理屈抜きでこれを喰ってみてください」
俺は湯気の立つ木椀を、バルトとライネルの目の前へとそっと差し出した。
周囲の男騎士たちも、ゴクリと喉を鳴らして一斉に息を呑む。
「い、いただきます……!」
バルトが待ちきれないといった様子で木のスプーンを突き刺し、ホロホロと崩れるほど柔らかくなった肉と大根を、一口で豪快に放り込んだ。
瞬間。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
バルトの二メートル近い巨体が、ビクリと激しく震えた。
丸い目が限界まで見開かれ、言葉を失ったようにその場でピタリとフリーズする。
(な、なんだこの美味さは……っ!?)
バルトの脳内で、雷鳴が轟いたような衝撃が走り抜けた。
一晩かけて塩抜きされ、極限まで柔らかくなった肉は、噛みしめるたびに濃厚な旨味と甘みがジュワッと溢れ出してくる。
一緒に煮込まれた大根は芯の奥の奥まで熱々の出汁を吸い込んでおり、舌で押しつぶせるほどにトロトロだ。
泥臭さや強烈な塩辛さは微塵もなく、野菜の優しい甘みと味噌の深いコクが完璧に調和していた。
「う、うめぇぇぇぇぇぇーーーーっ!!!?」
バルトは天に向かって、地響きのような大絶叫を上げた。
「なんだこれ! あのカチコチだった塩漬け肉が、口の中でとろけたぞ……! 噛めば噛むほど大根から甘い汁が溢れてきやがる! 味噌のコクが五臓六腑にしみわたる……! うま過ぎて涙が出るぜぇぇぇっ!!」
バルトの絶叫を皮切りに、背後にいた男騎士たちも次々と配られた煮込みを口にし、歓声と悲鳴を上げ始めた。
「うまっ! スープが……このスープが体に染みるぅ!」
「こんな美味いもん食ったら、もうパサパサの干し肉には戻れねぇよ!」
厨房は一瞬にして、極上の食事に酔いしれる男たちの熱気に包み込まれた。
その圧倒的な光景を目の当たりにし、ライネルは青ざめた顔で自分の手元の木椀を見つめていた。
「う、嘘だ……たかが保存食の肉ごときに、そんな馬鹿な……!」
震える手でスプーンを持ち、恐る恐る黄金色の大根と肉をすくい、口へと運ぶ。
サクッ、ホロリ。
歯を立てるまでもなく、肉が舌の上で優しくほどけていく。
「なっ……!?」
ライネルの瞳が限界まで見開かれた。
(バカな……美味い……! 肉がこんなにとろけるなんて……大根にここまで味が染み込んでいるなんて聞いていない……!)
頭の中で激しい警報が鳴り響く。
自分が今まで信じてきた「味など不要」という美化された矜持が、たった一口の美味い煮込みによって、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
抗えないほどの食欲が、腹の底からわき上がってくる。
「どうですか、ライネル隊長。味の分からない男の食べるエサではなく、『命を支える美味しい食事』の味は」
俺が穏やかに、しかし確かな誇りを持って微笑みかけると、ライネルは悔しそうに唇を噛み締め、耳まで真っ赤に染め上げた。
「っ……! 悪かったな、美味しかったよ! だが、これに甘んじたら俺たちの戦意が鈍るんだ! 覚えていろ!」
負け惜しみもそこそこに、ライネルは慌てて背筋を伸ばし、逃げるように足早に厨房から去っていった。
だが、その足取りはどこかふらついており、椀に残っていた汁を名残惜しそうに振り返っては、何度も生唾を飲み込んでいた。
「ひょ~! 意地っ張りな金ピカ野郎も、結局一口で完敗だったっすね!」
ペティが青い魔石をピカピカと光らせて大笑いする。
「ふん、自業自得だな。だが、これでお前の作る飯が最強だということが、全軍に知れ渡るのも時間の問題だな」
エレノアは腕を組みながら、満足そうな、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「さて、アニキ! おかわりをもっとくれ! このデカい椀に山盛りで頼むぜ!」
バルトが空になった木椀を両手で差し出し、満面の笑みで豪快に笑う。
冷え切った要塞の朝は、いつの間にか男たちの熱気と、立ち上る湯気の温もりに満ちあふれていた。
どんなに過酷な戦いが待っていようとも、この温かい厨房と美味いご飯がある限り、彼らの足が止まることはない。
俺はエプロンの裾で手を拭き、バルトのおかわりをよそうために、再び大きなお玉を握りしめた。
【次回予告】
塩漬け肉の味噌煮込みで胃袋を掴まれた男たちが、翌朝さらなる暴走を見せる!?
巨大鍋で仕込む極上の魔獣肉……ついに要塞に「アニキ」が誕生する!
次回第8話「大鍋いっぱいの山賊豚汁」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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