第5話 とろけるプリンとほどける緊張
「あ、あぁ……なんという……なんという美味さだ……」
白い大皿を綺麗に平らげたエレノアは、とろけるような甘い吐息を漏らし、満足そうに深い溜息をついた。
鬼の小隊長として恐れられた彼女の面影はそこになく、ただ美味しい料理に満たされた一人の少女の顔に戻っている。
「ひょ~! 見事な完敗っすね! 毒味って言いながら、皿の上の唐揚げが跡形もなく消えているっす!」
エプロンのポケットから顔を出したペティが、青い魔石をパチパチと点滅させながら面白そうに冷やかした。
「うるさいぞ、喋る短剣! 私はただ……その、騎士としての任務の一環として、だな……!」
エレノアは慌てて背筋を伸ばし、顔をそむけて言い訳を並べ立てた。
だが、真っ赤に染まった頬と耳たぶまでは隠しきれていない。
「はいはい、任務お疲れ様でした。それで、味の方はいかがでしたか?」
俺が優しく尋ねると、エレノアは気まずそうに視線を泳がせた後、小さくうなずいた。
「……美味しかった。異世界の魔物肉があんなにも柔らかく、旨味に満ちているなんて、私は知らなかった」
素直に敗北を認めた彼女の声には、先ほどまでの冷たい鎧のようなトゲはすっかり消え失せていた。
「喜んでもらえて何よりです。さて、それじゃあ本当の仕上げといきましょうか」
俺は自身のスキル『絶対鮮度アイテムボックス』に手を伸ばした。
「し、仕上げ……? まだ何か出てくるのか?」
「ええ。甘いものは別腹って言いますからね」
俺が取り出したのは、昨日マルコから分けてもらった最高級の『コカトリス』の卵だ。
通常の鳥の卵とは比べ物にならないほど濃厚な黄身と、しっかりとしたコクを持つ極上の食材である。
それと、たっぷりのミルクと砂糖。
「おっ、おおい、おっさん……!? まさか、その甘い匂いのする乳白色の液体と卵で、何か作るつもりっすか?」
ペティが興味津々といった様子で柄を震わせる。
「そうだ。これから『とろける濃厚プリン』を作る。疲労困憊の頭と体に、一番効くデザートだよ」
「ぷりん……? そんな名前の料理、聞いたこともないっす!」
「食べてからのお楽しみさ。よし、さっそく準備しよう」
俺は手際よくコカトリスの卵を割りほぐし、温めたミルクと上白糖を丁寧に混ぜ合わせていく。
ボウルの中で綺麗なクリーム色の液体がなめらかに混ざり合っていく。
「ふん、肉の次は甘い菓子か。いくら美味しくても、私の胃袋はもう……」
エレノアは腕を組み、冷ややかな態度に戻ろうと努めていた。
だが、鍋で砂糖をじっくりと熱し、香ばしいカラメルソースを作り始めたその瞬間だった。
ジリジリジリ……ッ。
黄金色の砂糖が琥珀色へと変わり、甘くほろ苦い最高の香ばしさが厨房の空気にふわりと漂い始めたのだ。
「っ……!?」
エレノアの鼻が、かすかにピクリと動いた。
焦がした砂糖の甘やかで芳醇な香りが、満腹のはずの彼女の胃袋を再び刺激する。
「な、なんだこの香ばしい匂いは……! 砂糖を焦がしているのか……?」
「そうだ。プリンの底に敷く『カラメルソース』だよ。この苦みと甘みのバランスが、全体の味を引き締めてくれるんだ」
俺は手早くカラメルを型に流し込み、その上から先ほどの卵とミルクの液を静かに注ぎ入れた。
そして、蒸し器の蓋を閉める。
「あとはじっくりと蒸し上げるだけだ。少しだけ待っていてくれ」
「蒸し上げる……オーブンで焼くのではなく、蒸すのか?」
「ああ。急激な熱を加えると、卵のタンパク質が固まって『す』が入ってしまう。優しく、包み込むように熱を通すことで、絹のように滑らかな口当たりになるんだよ」
俺が丁寧に火加減を調整していると、エレノアはいつの間にかカウンターの端に身を乗り出していた。
サファイアブルーの瞳が、蒸し器の小さな隙間から漏れる温かな湯気に釘付けになっている。
「……お前は、いつもこうして手間暇をかけて料理を作るのか?」
ポツリと、エレノアが静かな声で尋ねた。
「料理は愛情ですからね。食べた人がホッとして、明日も頑張ろうって思える瞬間を作るのが、俺の仕事ですから」
俺の言葉を聞いたエレノアは、少しだけ目を丸くし、それから胸元をぎゅっと握りしめた。
「明日も……頑張ろう、か」
彼女の呟きには、どこか切なさが混じっていた。
「私はこれまで、戦って生き延びることしか考えてこなかった。明日がどうなるかなんて考えたこともなかったな……」
「これからは違いますよ。要塞の仕事が終われば、いつでも美味しいご飯が待っていますから」
俺が笑いかけると、エレノアは顔を赤らめ、そっと視線を逸らした。
「っ……勝手に人の未来を決めるな……!」
そう言いながらも、彼女の口元には隠しきれない優しい笑みが浮かんでいた。
それから数分後。
蒸し器の蓋を開けると、ふわりと甘いミルクとバニラの芳醇な香りが一気に解き放たれた。
「お待たせしました。『コカトリス卵のとろとろ濃厚プリン』の完成です」
俺は深めのガラス小皿をそっと逆さにし、お皿の上へとプリンを滑り込ませた。
ぷるんっ、と黄金色の本体が艶かしく揺れる。
その頂点から、琥珀色のカラメルソースがとろりと美しく流れ落ちていった。
「うわぁ……っ!」
ペティが思わず感嘆の声を漏らす。
「ガラス細工みたいに綺麗っす! 見てるだけで甘い匂いが鼻を突いてくるっすよ!」
エレノアは目の前に置かれた小さなデザートを凝視したまま、完全にフリーズしていた。
「さあ、どうぞ。冷やしてはいませんが、出来立ての温かいプリンも格別ですよ」
「こ、これは……本当に私が食べていいのか……?」
「当たり前です。一番頑張ったあなたのために作ったんですから」
エレノアはゆっくりとスプーンを手に取り、緊張した面持ちでプリンの表面にそっと差し入れた。
スゥッ、と抵抗感なくスプーンが沈み込む。
表面の柔らかさと、中の滑らかさが手元だけでも十分に伝わってきた。
「いただき、ます……」
彼女は小さく呟き、黄金色の塊をそっと口へと運んだ。
コンマ数秒後。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
エレノアの体が、まるで雷に打たれたようにビクリと跳ね上がった。
サファイアブルーの瞳が、これ以上ないほどに限界まで見開かれる。
(な、なんだこれ……っ!? 噛んでいないのに、口の中でとろけて消えた……っ!?)
舌の上で、コカトリス卵の濃厚なコクとミルクの優しい甘みが、まるで雪解けのようにフワッと広がっていく。
遅れてやってくるカラメルソースのほろ苦さが、全体の味を完璧にまとめ上げていた。
(美味い……甘くて、温かくて……なんだか、胸の奥がキュッと締め付けられるような……)
あまりの幸福感に、エレノアの目尻にうっすらと涙が浮かぶ。
全身の力が完全に抜け、彼女の耳の先端までが真っ赤に染め上げられていた。
「んっ……はふっ……すっごく……滑らかで……甘い……っ!」
我慢できなくなったのか、エレノアはスプーンを動かす手を加速させた。
先ほどの唐揚げの時とは違う、まるで子供のように夢中で甘味を頬張る姿。
「ひょ~! 小隊長さん、完全に堕ちたっすね! 顔が真っ赤っすよ!」
ペティの冷やかしも聞こえないほど、彼女はプリンの虜になっていた。
あっという間に小皿が空になると、エレノアは名残惜しそうにスプーンの先を舐め、ふぅっと甘い溜息を漏らした。
「ごちそうさまでした……こんなに美味しいものを食べたのは、人生で初めてだ……」
満足感に浸る彼女の表情は、いつもの冷徹な鬼の小隊長ではなく、年相応の愛らしい少女そのものだった。
「お口に合ってよかったです。頑張ってきたんだから、少しは自分をご褒美で甘やかしていいんですよ」
俺が言って微笑むと、エレノアはハッと顔を赤らめ、うつむいてしまった。
「……ずるい男だ。そんな優しいことばかり言われると……私の心が、すっかりほどけてしまうではないか」
彼女の小さな声が、静かな厨房の夜に優しく溶けていく。
ずっと一人で張り詰めていた彼女の心が、俺の作った料理をきっかけに、少しずつ解きほぐされていくのを感じた。
外の冷たい風の音さえも、今は心地よく聞こえる。
ずっと一人ぼっちだったこの要塞都市で、俺たちは確実に温かな絆を育んでいた。
【次回予告】
美味しいご飯とデザートですっかり心も体も癒やされたエレノア。
だが、要塞の朝は容赦なくやってくる! 次回、男たちの騒がしい朝食と新たな波乱の予感!?
次回第6話「見違える白銀の小隊長」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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