第30話 アニキの背中を囲む夜
ジュワァァァァァッ!!
深夜の中央大厨房に、食欲の限界を軽々と突破させるような、暴力的なまでの調理音が響き渡っていた。
かまどの上に据えられた特大の分厚い鉄板。
その上で、真っ白な白米が、熱せられた脂と共に弾けるような音を立てて、豪快に宙を舞っている。
「アニキィィィッ! 頼む! もっと! もっとそのヤバい匂いを俺たちの顔に浴びせてくれぇぇっ!」
鉄板のすぐ目の前で、身長二メートル近い巨体を激しく揺らしながら大絶叫しているのは、第1大隊長のバルトだ。
明日の早朝、死地である北方大樹海の深部へと出陣する彼らは、最後の決起集会と称して、この深夜の厨房へと大挙して押し寄せてきていた。
分厚い重装甲冑を脱ぎ捨て、軽装になった大柄な男騎士たちが、今か今かとヨダレを垂らし、目をギラギラと輝かせて鉄板を取り囲んでいる。
「ひょ~! すっげぇ熱気っすね! ハラペコのむさくるしい大男たちが、マスターの背中をぐるりと囲んで、完全に獲物を狙う狼の群れになってるっすよ!」
俺、南条悠の白いエプロンのポケットから、相棒のペティが青い魔石を激しく明滅させて甲高い声を上げた。
「ははは。お前たち、そんなに急かすな。美味い飯には、最高に美味くなるための絶対の『間』が必要なんだ」
俺は両手に持った金属のヘラを巧みに操り、鉄板の上のご飯をリズミカルに切り混ぜていく。
カチャカチャカチャッ! と、鉄と鉄がぶつかる小気味良い音が、男たちの歓声に混じって厨房に響く。
「マスター! さっき切り分けたグランドバイソンの極上ロース肉から出た脂、完全にベストな温度っすよ! 今すぐご飯にコーティングするっす!」
ペティの鋭いナビゲートに従い、俺は鉄板の端で黄金色に溶けている魔獣の極上脂を、一気に白米へと絡ませた。
パラパラッ、ジュウウウッ!
「うおおおっ……! なんだこれ! 脂が米に絡んだ瞬間、鼻の奥を直接殴りつけてくるような、凄まじい匂いが爆発したぞ!」
バルトが両手で顔を覆い、あまりの香ばしさに身悶えしている。
後ろにいるハンスたちも、たまらないといった顔でゴクリと大きな音を立てて生唾を飲み込んでいた。
ただの脂ではない。
滅多に狩れない幻の地牛魔獣、グランドバイソンの脂だ。
それは、品のある甘みと、野性味あふれる強烈な旨味を併せ持っている。
その極上の脂が、一粒一粒の米を艶やかにコーティングし、鉄板の光を反射して美しい黄金色に輝かせていくのだ。
「まだまだ、こんなもんじゃないぞ。ここから一気に魂を燃やしてやる」
俺はあらかじめみじん切りにしておいた、大量のニンニクと玉ねぎを鉄板に放り込んだ。
チリチリと音を立ててキツネ色に変わっていく香味野菜の香りが、魔獣の脂と完璧なマリアージュを果たす。
「ひょおおおっ! 魔石が! 俺の魔石が匂いだけで砕けそうっす! ニンニクのパンチが強烈すぎるっすよ!」
「仕上げだ!」
俺は特製の醤油ダレを、熱々の鉄板の空いたスペースに直接ジュッと垂らした。
ジュワァァァァァァッ!!!
醤油が焦げる圧倒的な香ばしさが、真っ白な煙となって天井へと立ち上り、厨房の空気を完全に支配する。
それを素早くヘラでご飯全体に絡め合わせ、最後にパラリと粗挽きの黒胡椒を振って味を引き締めた。
「お待たせしたな。グランドバイソンの脂を使った、『特製ガーリックライス』の完成だ」
俺が巨大な木製の平皿に、山盛りのガーリックライスをドサリと盛り付けると。
「う、うぉぉぉぉぉぉーーーーっ!!!」
男たちの地鳴りのような歓声が、要塞の夜の静寂を完全に打ち砕いた。
「さあ、遠慮はいらない。明日の遠征のために、限界まで喰ってくれ」
ドスンッ、とカウンターに置かれた大皿に、バルトをはじめとする男騎士たちが一斉に群がった。
木のスプーンをそれぞれ握りしめ、黄金色に輝く熱々のガーリックライスを、野獣のように大きく口を開けてかき込む。
サクッ、ジュワワワッ。
コクン。
その瞬間。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
バルトの巨体が、まるで落雷に撃たれたようにビクリと激しく震え、その場で完全にフリーズした。
(な、なんだ……この信じられないほどの深いコクと、暴力的な旨味の塊は……っ!?)
彼の脳内で、これまで戦士として食べてきたあらゆる食事の記憶が、木端微塵に粉砕されていた。
米の一粒一粒に、グランドバイソンの圧倒的な脂の甘みが完璧に染み込んでいる。
噛みしめるたびに、カリッと香ばしく焼けたニンニクの刺激と、焦がし醤油の深い風味が、洪水のように口内を蹂躙していくのだ。
魔獣の強烈な旨味を、黒胡椒のピリッとした辛さが絶妙に引き締め、いくらでも食べ進められる無限のループを生み出している。
「う、うめぇぇぇぇぇぇーーーーっ!!!」
バルトは天を仰ぎ、涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら大咆哮を上げた。
「なんだこれ! なんだこの美味さは! 噛むたびに、腹の底からマグマみたいな熱い闘志が湧き上がってくるじゃねぇか……っ!」
彼は空いた片手で、自身の分厚い胸をドンドンと強く叩いた。
「アニキの飯があるなら、どんな魔物も叩き潰せますぜ!」
バルトの魂からの叫びに呼応するように、周囲の男騎士たちも次々とガーリックライスを口に運び、狂喜と感動の涙を流し始めた。
「うまっ! 止まらねぇ! スプーンが勝手に動くんだよぉ!」
「明日死ぬかもしれないってのに、こんなに美味いもん食ったら、絶対に生きて帰りたくなるじゃねぇか……っ!」
ガツガツ、モグモグ、ズズッ!
一心不乱にガーリックライスを喰らい、熱さにむせながらも皿を舐めるように平らげていく男たち。
死地へ向かう恐怖や不安は、この圧倒的な「美味い飯」の活力によって、一切の迷いのない強靭な覚悟へと完全に塗り替えられていた。
「ひょ~! 男たちの喰いっぷり、見てるだけで胸が熱くなるっすね! アニキの飯が、あいつらの魂のど真ん中に完全に火をつけたっす!」
ペティが誇らしげに青い光を輝かせる。
俺はエプロンの裾で手を拭きながら、涙を流して飯をかき込む彼らの背中を、静かに、そして力強く見つめていた。
やがて、山のようにあったガーリックライスが最後の一粒まで綺麗になくなり。
「アニキ、ごちそうさま! 最高の決起集会になった! 絶対に生きて帰ってくるぜ!」と熱い約束を残して、男たちは明日の出陣に備えるべく、嵐のように兵舎へと戻っていった。
静寂が戻った深夜の厨房。
俺は残った鉄板の熱気とニンニクの匂いを感じながら、静かに息を吐き出した。
「……ふん。相変わらず男たちの扱いが上手いな、ユウ殿」
ふと、厨房の入り口の壁際から、凛とした澄んだ声が聞こえた。
振り返ると、白銀の髪を揺らした第5小隊長のエレノアが、腕を組みながら、どこか誇らしげな、優しい笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
いつもの重装甲冑ではなく、少し着崩した私服姿の彼女は、年相応の無防備な柔らかさを纏っている。
「エレノアさん。起きていたんですか」
「あの大騒ぎだ、寝ていられるわけがないだろう。それに……」
彼女はコツコツと歩み寄り、俺の隣のカウンター席にそっと腰を下ろした。
「……私も、少しだけお前の顔が見たくなってな」
サファイアブルーの瞳が、少しだけ潤みを帯びて俺を見上げる。
その視線には、出会った頃の冷たい警戒心は一切なく、確かな親愛の情と、絶対的な信頼が込められていた。
「あのバルト本隊長を、あそこまで涙もろい男にしてしまうとは。お前の料理には、本当に魔法がかかっているのかもしれないな」
「魔法なんて大層なものじゃないですよ。ただ、頑張って生きている奴には、一番美味いものを腹いっぱい食べてほしい。そう思って包丁を握っているだけです」
俺が布巾で鉄板を丁寧に拭き上げながら答えると、エレノアはふわりと、氷解した春の花が咲くような極上の笑顔を見せた。
「……そうだな。だからこそ、皆お前の背中に惹きつけられるのだ」
彼女はカウンターの上に置かれた俺の無骨な手に、自分の小さな両手をそっと重ねてきた。
ひんやりとした彼女の指先が、俺の火傷だらけの手に優しく触れる。
「ユウ殿。お前はもう、この要塞都市になくてはならない、温かい太陽だ」
静かな夜の厨房に、ニンニクと焦がし醤油の香ばしい名残香と、二人の穏やかで甘い時間が流れていく。
ずっと一人で孤独に気を張ってきた彼女が、ここでだけは見せてくれる素顔。
このオアシスのような場所と、彼女の柔らかな笑顔を、俺はずっと守っていきたいと心から思った。
その時だった。
「……随分と、良い雰囲気のようですね」
大食堂の奥の暗がりから、静かで冷徹な声が響き、銀縁メガネを中指でクイッと押し上げる音が聞こえた。
【次回予告】
深夜の甘い空気を切り裂く、銀縁メガネの冷徹な来訪者!
知的参謀クロードが突きつける、異次元の軍事データとは!?
次回第31話「メガネの奥の冷たい分析」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
少しでも「面白かった」「お腹が空いた」と思っていただけましたら、下部の【ブックマーク登録】や【評価(★★★★★)】で応援していただけると大変励みになります!




