第27話 滅多に狩れない地牛魔獣
ドバァァァンッ!! という凄まじい轟音と共に押し寄せてきた、むさくるしい男たちの喧騒。
「血の気の多い肉を食わせろ!」と涙目で訴えかけてきた第1大隊のバルトさんたちをなだめ、大食堂へと押し返した中央大厨房には、再びしんとした心地よい静寂が戻ってきていた。
だだっ広い石造りの空間にいるのは、俺、南条悠と、白いエプロンのポケットに収まっている相棒のペティだけだ。
「ひょ~……嵐のような連中だったっすね。まさか遠征前の配給食があんなガチガチの塩漬け肉だとは、俺もビックリしたっすよ」
ペティが柄の青い魔石をゆっくりと点滅させながら、呆れたような声を出す。
「ああ。日持ちを最優先する兵站の理屈はわかるが、あれじゃあ戦う前に心が折れちまう」
俺は静かに息を吐き、厨房の中央にある分厚い木製の特大まな板の前へと歩み寄った。
「だからこそ、明日死地へ向かうあいつらの胃袋と魂に、これ以上ないくらいの極上の気合いを叩き込んでやらなきゃいけないんだ」
俺は自身のスキルである『絶対鮮度アイテムボックス』を展開し、光の空間の奥深くへと両手を差し込んだ。
ズシンッ……!
まな板の上に引きずり出し、重々しい音を立てたのは。
大人の胴体ほどもある、とてつもなく巨大で重厚な肉のブロックだった。
市場の精肉店の親父、マルコさんが奇跡的に仕入れてくれた最高峰の食材。
滅多に狩れないと言われる幻の地牛魔獣、グランドバイソンの極上ロース肉だ。
「ひょおおおっ! 何度見てもすっげぇ肉の塊っすね! 赤身の赤さと、脂の白さのコントラストが、まるで芸術品みたいっす!」
ペティがポケットから身を乗り出し、興奮気味に魔石を激しく明滅させる。
「ペティ、お前にもこの肉の凄さがわかるか。このサシ……脂の入り方、完璧だよ」
俺は生肉の表面を、愛おしいものを扱うように指先で優しくなぞった。
真紅の美しい赤身の中に、雪のように真っ白な脂身が、網の目のように細かく、そして均等に入り込んでいる。
前世で十五年間、料理人として数々の高級和牛を扱ってきた俺の目から見ても。
これほどまでに生命力に溢れ、野性味と繊細さが同居している極上の霜降り肉は見たことがなかった。
「マスター、このお肉から放たれる生命力のオーラがヤバいっす。血生臭さなんて微塵もない、純粋な美味さの匂いしかしないっすよ!」
「ああ。マルコさんの血抜きと処理が完璧だった証拠だ。この極上の素材の細胞を、1ミリたりとも傷つけるわけにはいかないな」
俺はエプロンのポケットからペティを取り出し、その白銀の柄をしっかりと右手に握りしめた。
「ペティ、お前の力が必要だ。普通の牛とは筋肉の構造も脂の融点も違うはずだ。お前の『食材直感』で、隠れた太いスジと繊維の向きを正確に教えてくれ」
「任せるっすマスター! 俺の直感が、この幻の肉の最高の捌き方を完璧にナビゲートしてやるっすよ!」
ペティの青い魔石が鋭く、研ぎ澄まされた光を放つ。
厨房のひんやりとした空気が、これから始まる真剣勝負を前にピンと張り詰めた。
「マスター! グランドバイソンの脂は、人間の体温でもすぐにダレてしまうくらい融点が低いっす! 手の熱が伝わる前に、素早く、大胆に刃を入れるっすよ!」
「了解だ。お前の光が示す筋に沿って、一気にいくぞ」
俺は大きく深呼吸をし、まな板の上の巨大な肉塊へとペティの刃を滑らせた。
スゥ……ッ、トントントンッ!
静かな厨房に、俺の腕とペティの刃が完全に一体化した、軽快で心地よい切断音が響き渡る。
「ひょ~! すっげぇっすマスター! 刃先が脂に吸い込まれるように進んでいくっす!」
普通の包丁なら脂に足を取られ、繊維を押し潰してしまうような分厚い肉の塊が、面白いようにスパスパと美しい厚切りステーキのサイズに切り分けられていく。
ペティの的確なナビゲートのおかげで、隠れていた硬い筋も、肉の形を崩すことなく綺麗に取り除くことができた。
切り分けられた断面からは、真珠のように輝く上質な脂がうっすらと滲み出し、新鮮で芳醇な牛肉の甘い香りがふわりと立ち上る。
「よし、見事な厚切りのステーキ肉が切り出せたな。ペティ、お前の切れ味はやっぱり最高だ」
「へへっ! マスターの迷いのない腕があってこそっすよ! で、このお肉の山はどうするんすか?」
「空気に触れて脂が酸化するのを防ぐために、一旦すべてアイテムボックスに収納しておく。明日の朝、男たちが来る直前に焼き上げるのが一番美味いからな」
俺は切り分けた肉の大部分を、鮮度が完全に保たれる光の空間へと素早く片付けた。
だが、一枚だけ、手のひらサイズの少し小ぶりな切れ端を、まな板の上へと残しておいた。
「ん? マスター、その一切れはどうするんすか? まさか、そのまま生でかじりつく気っすか?」
「違うよ。明日の本番の前に、少しだけ味見をしておきたいんだ」
俺はかまどの魔導コンロに火を入れ、分厚い鉄板を熱し始めた。
「脂の甘み、赤身の旨味の強さ、そして食感。この肉のポテンシャルを正確に把握しておかないと、肉に負けない最高のソースを作れないからな」
遠征に向かう彼らにとって、明日の食事は命を繋ぐための重要な決起集会になる。
絶対に失敗は許されないのだ。
ゴォォォォ……ッ。
青い炎が鉄板を熱し、ほんのりと白い煙が立ち上がり始める。
極上の肉の味見に、余計な味付けは必要ない。
俺はミネラルをたっぷりと含んだ岩塩だけを、高い位置からサッと指先で振りかけ、熱々の鉄板の上へとグランドバイソンの肉をそっと置いた。
ジュワァァァァッ!!
肉が鉄板に触れた瞬間、激しい破裂音と共に、芳醇で甘美な牛肉の香りが一気に厨房全体へと爆発的に広がった。
「うおおおっ! なんすかこの匂いは! 焼けた脂の香ばしさが、脳天を直接ぶち抜いてくるっすよ!」
ペティが興奮して柄をガタガタと震わせる。
グランドバイソンの上質な脂が熱で溶け出し、チリチリと小気味良い音を立てて肉の表面を美しい黄金色に焼き上げていく。
赤身が熱によってキュッと引き締まり、その中にたっぷりの肉汁が閉じ込められていくのが、目で見てはっきりとわかった。
「焼きすぎは厳禁だ。表面はカリッと香ばしく、中は美しいレアの状態に仕上げる」
俺は絶妙なタイミングで肉を裏返し、両面に極上の焼き目をつけた。
肉の焼ける匂いだけで、自分の胃袋がキュウッと音を立てて激しく収縮するのがわかる。
「よし、焼き上がりだ」
俺は熱々のままのステーキ肉を小皿に取り、フォークを突き刺した。
表面のカリッとした感触のすぐ下から、柔らかな肉の弾力が指先に伝わってくる。
冷めないうちに、一口大に切った肉をパクリと口の中へと放り込んだ。
サクッ、ジュワワッ。
コクン。
その瞬間。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
俺の動きが、ピタリと完全に停止した。
いつもは穏やかなタレ目の瞳が、これ以上ないほどに見開かれ、フォークを持った手が空中でカチンとフリーズしている。
「ひょ~! 出たっす! まさかのマスター本人のフリーズ現象っすよ! どんだけ美味いんすか!?」
ペティの声が遠く聞こえるが、俺の脳内はかつてない味覚の暴力によって完全に支配されていた。
(な、なんだこの……圧倒的な肉の旨味は……っ!)
口の中で、カリッと香ばしく焼けた表面のすぐ下から、グランドバイソンの赤身が持つ強烈な野性味と、雪のような脂の上品な甘みが、洪水のようになだれ込んできたのだ。
噛む必要すらほとんどない。
人間の舌の温度だけで、上質な脂がふわりと液状に溶け出していく。
魔獣特有の嫌な臭みや硬さなど一切なく、ただ純粋で暴力的なまでの美味さだけが、細胞の隅々にまで染み渡ってくる。
「……はぁっ……んんっ……美味すぎる……っ!」
俺は思わず天を仰ぎ、熱い息を長く吐き出した。
前世を含めて十五年間、料理人として数え切れないほどの肉を扱ってきた俺の常識が、たった一口で心地よく打ち砕かれてしまった。
これほどまでに野性の力強さと、とろけるような繊細さが、完璧なバランスで同居している肉が存在するなんて。
「マスター! ずるいっす! 俺にも……俺にもその美味い匂いをたっぷりと吸わせるっすよ!」
ペティの青い魔石が、ステーキから立ち上る熱気と香ばしい匂いを必死に吸収し、満足そうに激しく明滅を繰り返している。
「……すごいな。ペティ、こいつはとんでもない化け物食材だぞ」
俺は残った肉汁の深い余韻を噛み締めながら、熱くなった鉄板を濡れ布巾で丁寧に掃除し始めた。
ジューッという音と共に白い蒸気が上がり、厨房に香ばしい名残香が広がる。
「塩だけでこれほどの破壊力を持つんだ。明日の本番では、男たちの極限まで飢えた胃袋をさらに刺激する、パンチの効いたソースが必要になるな」
俺は腕を組み、頭の中で最強のソースのレシピを組み立て始めた。
「醤油をベースに、すりおろした大量のニンニクと、甘みを出すための玉ねぎ。そこに、焦がしバターで重厚な風味をつけた特製ガーリックソース……これなら、グランドバイソンの肉の強さに絶対に負けない」
「ひょおおっ! 想像しただけで魔石が砕けそうっす! そのソースをたっぷりかけた分厚いステーキを、炊きたての白いご飯と一緒に書き込む……男のロマンの極致っすね!」
「ああ。これなら間違いなく、明日の遠征に向かうあいつらの胃袋と魂に、最高の火をつけられるはずだ」
これほどまでに完璧な食材を用意できたのだ。
あとは、俺の腕とペティの切れ味で、明日、男たちのために極上のステーキを焼き上げるだけだ。
死地へと向かう彼らの背中を、熱々の肉汁と香ばしい煙で、力強く押してやらなければならない。
それが、安全な厨房にいる俺にできる、唯一の、そして最強の戦い方なのだから。
「さあ、ペティ。明日は忙しくなるぞ。ソースの仕込みを始めようか」
「おうっすアニキ! 男たちの度肝を抜く、極上の匂いを仕込むっすよ!」
静まり返った夜の中央大厨房に、これから始まる熱い戦いを予感させる、ニンニクと焦がしバターの芳醇な匂いが、ゆっくりと満ち始めていた。
【次回予告】
幻の極上肉のポテンシャルを確信したユウとペティ!
明日、ついに遠征前の男たちの前に、熱々の分厚いステーキが立ちはだかる!
次回第28話「煙と肉汁のシンフォニー」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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