第25話 小隊長の小さなモヤモヤ
ギィィィ……。
静かな朝の中央大厨房に、いつもより少しだけ乱暴な音を立てて、重厚な木の扉が開いた。
「……おい、セルマ。お前、朝から何をそんなに幸せそうな顔をしているのだ?」
そこに立っていたのは、白銀の髪を揺らした第5特務遊撃小隊の小隊長、エレノア・ヴェルディだった。
彼女のサファイアブルーの瞳は、ツヤツヤのお肌で俺に熱い視線を送るセルマと、空になりかけの牛すじ煮込み飯のどんぶりを交互に見つめ、どこか不機嫌そうに、細く眇められていた。
「あ、隊長……! そ、その、これは……っ」
セルマはハッとして立ち上がると、お肌ツヤツヤの耳の先まで真っ赤に染め上げ、「え、演習の準備がありますので!」と逃げるように厨房から飛び出していった。
嵐のように去っていった副隊長を見送り、エレノアはコツコツと硬い足音を立てて、俺の目の前のカウンター席へと歩み寄ってきた。
「……ふん。随分と仲が良さそうだったではないか、ユウ殿」
エレノアは腕を組み、ぷいっと顔を背けながら、露骨に棘のある声で呟いた。
「おはようございます、エレノアさん。仲が良いというか、昨日の薬膳スープの残りで朝ご飯をお出ししただけですよ」
俺、南条悠は苦笑しながら、カウンターを布巾で丁寧に拭き上げた。
「それにしても、ずいぶんと早いですね。今日は第1小隊との合同演習だと聞いていましたが」
「ああ、その演習なら、つい先ほど終わったところだ」
エレノアは背筋をピンと伸ばし、誇らしげに、しかしどこか呆れたように息を吐いた。
「ライネルの第1小隊など、物の数ではなかった。お前の作ったご飯で体調と気力が万全だった私たちは、開始早々に奴らを完膚なきまでに叩き潰してやったぞ」
どうやら、あの嫌味なライネル隊長は、ツヤツヤで絶好調の第5小隊の前に手も足も出ず、見事なまでに大惨敗を喫したらしい。
「ひょ~! さすが小隊長殿っすね! あの金ピカ野郎、今頃泣きっ面で泥にまみれて地面を舐めてるはずっすよ!」
俺の白いエプロンのポケットから、相棒のペティが青い魔石をチカチカと明滅させて顔を出した。
「でも小隊長殿、演習で大勝したってのに、なんでそんなにツンケンしてるんすか? もしかして、マスターがおかんに優しくしてたから、ヤキモチ焼いてるっすか!?」
ペティの遠慮のない直球の冷やかしに、エレノアの肩がビクッと大きく跳ね上がった。
「なっ……!? だ、黙れ喋る短剣! 私が嫉妬などするわけがないだろう! 私はただ、小隊の規律が乱れていないか、責任者として厳しく監視していただけで……っ!」
エレノアは慌てて顔を真っ赤にして否定したが、そのサファイアブルーの瞳は落ち着きなく泳いでいる。
普段は鬼の小隊長として部隊を引っ張る彼女だが、こういう素の感情が出た時は、年相応の不器用で可愛らしい少女そのものだった。
「ははは。ペティ、あまりエレノアさんをからかうな」
俺はかまどの火を入れ直し、銅製の小さな手鍋に新鮮な湧き水を張った。
「演習での大勝利、お疲れ様でした。疲れと、その小さなモヤモヤを吹き飛ばす特効薬を淹れましょう」
俺は自身のスキルである絶対鮮度アイテムボックスを展開し、光の空間から新鮮なフルーツをいくつか取り出した。
大樹海近郊の豊かな土壌で採れた、真っ赤なベリーと、爽やかな香りの柑橘類、そして蜜の詰まったリンゴだ。
「おっ、マスター! その赤いベリー、皮のすぐ下に強い渋みがあるっす! ギリギリの薄さで皮を剥いて、果肉の純粋な甘みだけを抽出するっすよ!」
ペティの『食材直感』のナビゲートが、鋭く的確な指示を飛ばす。
「了解だ。ペティ、お前の切れ味を見せてくれ」
俺はペティの白銀の柄をしっかりと握りしめ、まな板の上のフルーツへと刃を滑らせた。
スゥ……ッ、トントントンッ!
静寂に包まれた厨房に、軽快でリズミカルな包丁の音が響き渡る。
ペティの刃先は、ベリーの薄い皮だけを芸術的な精度で削ぎ落とし、リンゴと柑橘を透き通るような美しい薄切りへと変えていく。
切り口からは、みずみずしい果汁がキラキラと滲み出し、厨房の空気が一気に爽やかで甘い香りに満たされた。
「……綺麗な包丁捌きだな。見ているだけで、心が洗われるようだ」
カウンターから身を乗り出したエレノアが、俺の手元をじっと見つめながらポツリと呟いた。
さっきまでの不機嫌そうな態度はすっかり影を潜め、その瞳には純粋な感嘆の色が浮かんでいる。
シュンシュンと心地よい音を立ててお湯が沸騰した手鍋に、上質な茶葉を投入する。
しっかりと香ばしい紅茶の香りを引き出してから、ガラス製の透明なティーポットに、先ほど切り分けた色鮮やかなフルーツをたっぷりと敷き詰めた。
そこに、熱々の紅茶を一気に注ぎ込む。
トクトクトク……ッ。
「うわぁ……っ!」
エレノアが小さく歓声を上げた。
透明なポットの中で、紅茶の熱によってフルーツの果汁がじんわりと溶け出し、琥珀色の液体が、ほんのりと美しいルビー色へと魔法のように染まっていく。
立ち上る純白の湯気は、紅茶の深いコクとフルーツの華やかな甘酸っぱさが完璧に融合した、極上の香りを放っていた。
「お待たせしました。演習の疲れを癒やす『特製・生フルーツティー』です」
俺はあらかじめ温めておいた白い陶器のカップにルビー色のフルーツティーを注ぎ、エレノアの目の前へとそっと差し出した。
「い、いただきます……」
エレノアは両手でカップを大切そうに包み込み、まずはその華やかな香りを胸いっぱいに深く吸い込んだ。
そして、小さな桜色の唇を縁に寄せ、ゆっくりと熱い紅茶を口へと流し込む。
コクン。
その瞬間。
「ぬ、ぬぅ……っ!?」
エレノアの動きが、ピタリと完全に停止した。
サファイアブルーの澄んだ瞳がこれ以上ないほどに限界まで見開かれ、カップを持ったままの姿勢で完全にフリーズしている。
(な、なんだこの、心を溶かすような優しい甘さと酸味は……!?)
彼女の口の中で、紅茶の芳醇な渋みが、フルーツから溶け出した圧倒的な甘みによって完璧に中和され、信じられないほどまろやかな味わいへと変化していた。
ベリーの爽やかな酸味と、リンゴの蜜の甘さが、演習で高ぶっていた神経を内側からじんわりと優しく解きほぐしていく。
温かい液体が食道を通り抜けるたび、ガチガチに固まっていた彼女の理性が、砂糖のように甘く溶け落ちていくのがわかった。
「……はぁっ……んんっ……美味しい……っ!」
エレノアは熱さと美味しさに目を白黒させながらも、一口、また一口と、フルーツティーを味わい続けた。
冷え切っていた白い頬がみるみるうちに健康的な桜色に染まり、張り詰めていた肩の力がふっと抜けていく。
「心が……ポカポカして、すごく落ち着く。さっきまでのイライラが、嘘みたいに消えてしまった……」
彼女はカップを見つめながら、とろけるような甘い吐息を漏らした。
その頃。
厨房の重厚な扉のすぐ外側では、演習で完敗し、全身泥だらけになった第1小隊のライネル隊長が、壁に手をついて惨めにへたり込んでいた。
「ぐぬぬ……あの女どもの部隊、どうしてあんなに動きがキレて、しかも肌までツヤツヤだったのだ……!」
ライネルはギリッと歯を噛み締めたが、ふと、扉の隙間から漂ってくる暴力的なまでに甘く芳醇なフルーツティーの香りと、先ほどまで煮込まれていた牛すじの残り香を鼻腔に捉えた。
ギュルルルルゥゥゥ……ッ。
「な、なんだこの甘美な匂いは……っ! くそっ、あいつら、毎朝こんな美味いものを食ってあんなに強くなったというのか……! 俺のパサパサの干し肉とは次元が……うぅっ……!」
ライネルは空腹と屈辱で大粒の涙を流し、涎を垂らしながら、逃げるようにその場から走り去っていった。
見事なまでの、完全な敗北だった。
一方、厨房の中では。
「……ユウ殿」
すっかりフルーツティーで心を満たされたエレノアが、少しだけ潤んだサファイアブルーの瞳で俺を見上げていた。
「私は……お前が他の者に優しくするのが、少しだけ……嫌だったのだ」
彼女は両手で熱くなった頬を包み込み、消え入りそうな声で、不器用な本音をぽつりとこぼした。
自分の小さな嫉妬を素直に認めるその姿は、いじらしいほどに愛おしかった。
「エレノアさん」
俺はカウンター越しに微笑み、温かいお茶の入った自分のカップを持ち上げた。
「俺は、あなたがホッとできるこの場所を、ずっと守り続けますよ。だから、いつでも甘えに来てください」
俺の言葉に、エレノアはパッと顔を上げ、花が咲くような、最高に美しい笑顔を見せた。
朝の陽光が差し込む厨房は、フルーツの甘い香りと、二人の穏やかで温かい時間に優しく包まれていた。
【次回予告】
合同演習の大勝利と、小隊長の可愛いヤキモチ。
次なる試練は、男たちの激しい「肉枯れ限界警報」!?
次回第26話「男たちの肉枯れ限界警報」。お楽しみに!
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