第22話 傷だらけの手と職人の目
ドンッ、ゴツンッ!
静まり返った午後の中央大厨房に、石のように硬いものが分厚いまな板に叩きつけられる鈍い音が響いた。
俺、南条悠がスキル『絶対鮮度アイテムボックス』の光の空間から取り出したのは、滅多に狩れないと言われる超大物の地牛魔獣、グランドバイソンの巨大なアキレス腱だ。
大人の頭ほどもある、赤黒くガチガチに強張ったその巨大なスジ肉の塊を前にして、第5特務遊撃小隊の副隊長セルマ・ロランは、不思議そうに目を丸くして瞬きを繰り返していた。
「ユ、ユウシェフ……? 本当にそれが、私のお肌をツヤツヤにしてくれる魔法の特効薬、なのですか……?」
「ええ。今は呪いのように硬くて包丁も入りませんが、これは良質なコラーゲンの塊なんですよ。じっくりと時間をかけて煮込めば、明日の朝にはとろけるような極上のスープになります」
俺はまな板の上の肉をコンコンと指の関節で叩きながら、不安そうに小首を傾げる彼女に向かって微笑んだ。
「ひょ~! マスター、こいつは手強そうっすね! 俺の刃先でも弾かれそうなぐらい、まるで鋼鉄の塊っすよ!」
俺の白いエプロンのポケットから、相棒のペティが青い魔石をチカチカと明滅させて顔を出した。
「ああ。普通の包丁じゃ刃が立たない。ペティ、お前の食材直感で、この強固な繊維の隙間を見極めてくれ」
「任せるっすマスター! 俺の光が導く筋に沿って、一気に刃を入れるっすよ!」
俺はペティの白銀の柄をしっかりと握りしめ、大きく深呼吸をして構えをとった。
そして、ペティの青い光が示した僅かな繊維の隙間を縫うように、全身のバネを使って迷いなく刃を振り下ろす。
スゥ……ッ、ダンッ!
分厚い木製のまな板が悲鳴を上げるような音と共に、鎧のように硬かったグランドバイソンのアキレス腱が、真っ二つに割れた。
「ひょおおおっ! さすがマスター! 俺の斬れ味とマスターの腕が合わされば、ドラゴンの硬い皮だってイチコロっすよ!」
「まだまだこれからだ。まずはこの硬いスジ肉を一口大に切り分けて、アクと獣臭さを抜くための下茹でをする」
トントン、ダンッ、トントンッ!
静寂に包まれた厨房に、重く力強い包丁の音がリズミカルに響き渡る。
セルマはカウンターに両手をつき、俺の包丁捌きを食い入るように見つめていた。
彼女の栗色のゆるふわなウェーブヘアが、感心したように揺れている。
「すごい……あんなに硬そうな魔獣のお肉が、ユウシェフの手にかかると、まるで柔らかいお野菜を切っているみたいですわ」
「包丁の重さと、食材の繊維の向き。力任せじゃなく、理屈に沿って切れば案外すんなり刃が入るんですよ」
切り分けたスジ肉を、あらかじめかまどでお湯を沸かしておいた大鍋の中に一気に放り込む。
シュワァァァ……ッ。
熱湯の中に肉が沈み、すぐにブクブクと灰色の細かなアクが浮き上がってきた。
「この最初のアクと臭みをしっかり抜くのが、スープを澄んだ味にする一番の秘訣なんです」
俺はネギの青い部分と、薄切りにした生姜を鍋にたっぷりと放り込んだ。
コトコトと沸き立つお湯から、生姜の爽やかな香りと、魔獣特有の野性味のある匂いが混ざり合って立ち上る。
「さて、お肉の下茹でに少し時間がかかりますね。……セルマさん、少し手を出してもらえますか?」
俺がカウンター越しに声をかけると、セルマの肩がビクッと大きく跳ねた。
「えっ……? わ、私の手、ですか……?」
彼女は咄嗟に、膝の上に置いていた両手をぎゅっと固く握りしめ、隠すように身体を少し後ろに引いた。
「あ、あの……先ほどライネル隊長にも言われた通り、私の手は……その、女性らしくないというか……とても荒れていて、お見せできるようなものでは……」
おっとりとしたいつもの笑顔は完全に消え、自信なげに視線を落とす彼女の姿は、傷ついた等身大の女の子そのものだった。
武人に色気など不要と父親に厳しく教えられ、自分よりも大きな大盾を背負い続けてきた彼女の、誰にも言えない密かなコンプレックス。
「いいから。少しだけ、見せてください」
俺は静かで、けれど有無を言わせない芯のある声で言い、かまどの横で温めておいた清潔なおしぼりを手に持って、カウンターを回り込んだ。
「あ……うぅ……」
セルマは観念したように、震える両手をゆっくりと俺の前に差し出した。
分厚いガントレットと、自身の背丈ほどもある大盾を、毎日文句も言わずに支え続けてきた手。
手のひらには硬く分厚いタコがいくつもでき、指先や手の甲には、無数の小さな擦り傷と、皮膚がひび割れた痛々しい跡が深く刻まれている。
およそ、二十二歳のうら若き女性の手とは思えないほど、それは過酷な労働と、仲間を守るための自己犠牲を物語る無骨な手だった。
俺は自分が持っていたほかほかの温かいおしぼりで、その傷だらけの手を、壊れ物を扱うように優しく、ゆっくりと包み込んだ。
「ひゃっ……!」
温かい蒸気と俺の手の感触に、セルマが小さく悲鳴を上げる。
「痛くないですか? 毎日、こんなになるまで重い盾を構えて……本当に、お疲れ様です」
俺はおしぼりの上から、彼女の硬く強張った手のひらを、親指でゆっくりと円を描くようにほぐすようにマッサージをした。
「ユ、ユウシェフ……ダメですわ。私のようなガサガサの手、ユウシェフの綺麗な職人の手を汚してしまいます……っ」
セルマは顔を真っ赤にして手を引っ込めようとするが、俺はそれを優しく、しかししっかりとホールドして離さなかった。
「俺の手が綺麗? とんでもない」
俺は彼女の手をマッサージしながら、自分自身のもう片方の手を、彼女の目の前にかざして見せた。
そこには、長年重い中華鍋や包丁を握り続けて変形した指の関節、油はねで作った無数の火傷の跡、そして硬く分厚い包丁ダコが刻まれている。
「これでも、料理人として必死に生きてきた手です。傷だらけで、不格好で……でも、俺はこの自分の手を誇りに思っています」
俺の言葉に、セルマは潤んだタレ目で、俺の無骨な手と、自分の荒れた手を見比べた。
「セルマさんの手も、同じですよ」
俺は彼女のサファイアブルーの瞳を真っ直ぐに見つめ、静かに、はっきりと告げた。
「誰かを護ってきた、格好いい手ですね。俺は好きですよ」
コクン。
その瞬間、セルマの動きが完全に停止した。
栗色のゆるふわなウェーブヘアの奥で、彼女のタレ目がこれ以上ないほどに限界まで見開かれている。
「あ……え……っ? す、すき……?」
シューーーッ、と。
彼女の頭から、沸騰したヤカンのような湯気が噴き出すのが見えた気がした。
みるみるうちに、彼女の白い頬、耳の先、そして首筋までもが、茹でダコのように真っ赤に染め上げられていく。
「あら……? あらあらあら……っ!? ど、どうしましょう、私……ユウシェフに、手を……好きだなんて……っ!」
セルマは両手で自身の熱い頬を包み込み、オロオロと視線を彷徨わせ、完全にパニック状態に陥っていた。
普段の頼れるおかん副隊長の面影はどこにもなく、そこには褒められ慣れていない純情な乙女が一人、大混乱しているだけだった。
「ひょ~!! 出たーっ! マスターの必殺・無自覚な殺し文句! おかん副隊長の純情乙女モードが完全に大暴走してるっすよ!」
ポケットの中で、ペティが呆れたように青い光を点滅させながら甲高い声を上げる。
「ば、馬鹿なことを言うなペティ。俺はただ、働く立派な手を称賛しただけで……」
「それが無自覚タラシだって言ってるんすよ! あーあ、こりゃ明日の朝までおかんの顔の熱は下がらないっすね!」
俺が苦笑いしていると、かまどの大鍋からポコポコと心地よい沸騰音が聞こえてきた。
「おっと、そろそろ下茹でが終わるな」
俺は慌ててかまどに戻り、火から下ろしたスジ肉を冷たい流水で丁寧に洗い流した。
表面の汚れとアクが綺麗に落ち、肉は艶やかな赤茶色を取り戻している。
「ここからが本番だ。たっぷりの湧き水と、新しいネギ、生姜、それにリリスさんが調合してくれた数種類の薬膳ハーブをブレンドして煮込んでいく」
綺麗に洗った大鍋に食材を戻し、ごくごく弱い火にかける。
コトコト、コトコト……。
静かな厨房に、スープの煮立つ優しい音が響き続ける。
「このまま朝まで、絶対に火を強めず、じっくりと時間をかけてコラーゲンを溶かし出します。これが明日の朝には、セルマさんのお肌をツヤツヤにする最高の美容液に変わりますよ」
俺が振り向くと、セルマはまだ顔を真っ赤にしたまま、自身の手のひらを両手で大切そうに胸に抱きしめていた。
「……ユウシェフ」
彼女の潤んだタレ目が、俺を真っ直ぐに見つめる。
その眼差しには、隠しきれない淡い恋心と、自分自身を肯定してくれたことへの深い安堵が宿っていた。
「私……明日の朝が、こんなに待ち遠しいと思ったのは……生まれて初めてですわ」
厨房の中には、薬膳ハーブと牛スジ肉が溶け合う甘く濃厚な香りと。
そして、自分自身を愛することを知り始めた、一人の乙女の温かい吐息が満ちていた。
【次回予告】
夜通し煮込んだ魔法のスープが完成!
とろとろプルプルの牛すじ煮込みと白米のコンボに、おかん副隊長の理性が溶け落ちる!?
次回第23話「とろとろプルプルの薬膳スープ」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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