第21話 おかん副隊長の隠し事
ガシャン、ズズンッ……!
午後の中央大厨房に、重厚な金属の擦れ合う音と、床板を軋ませるような地響きに似た重い足音が響き渡った。
「ふぅ……。本日の過酷な鍛錬と外壁の巡回、これにて終了ですわ……」
厨房のカウンター席に、ドサリと崩れ落ちるように重い音を立てて腰を下ろしたのは、第5特務遊撃小隊の副隊長、セルマ・ロランだった。
彼女は分厚く頑強な白銀の重装甲冑に身を包み、床には彼女の背丈ほどもある、巨大で分厚い鋼鉄の大盾が立てかけられている。
栗色のゆるふわなウェーブヘアは汗で額にべったりと張り付き、いつもはおっとりとして優しいタレ目も、今は激しい疲労で少しだけ伏せがちになっていた。
「お疲れ様です、セルマさん。今日もあの重い大盾を背負っての巡回、本当に大変でしたね」
俺、南条悠は、布巾で手を拭きながら、氷室でキンキンに冷やしておいた湧き水を木製のコップにたっぷりと注ぎ、彼女の前にそっと置いた。
「ありがとうございます、ユウシェフ。……はぁ、冷たくて、生き返りますわ」
セルマは重い息を吐きながら、両腕の分厚いガントレットをカチャカチャと外し、カウンターの上に置いた。
そして、コップを両手で包み込むように持ち上げ、ゴクリ、ゴクリと美味しそうに喉を鳴らす。
その時だった。
「おいおい、大層な溜め息だな。女ばかりの寄せ集め小隊は、安全な外壁の巡回ごときで泣き言を言うのか?」
厨房の入り口から、耳障りな甲高い声と、チャラチャラと品なく鳴る金属音が響いた。
俺が視線を向けると、そこには実戦の傷などひとつもない、ピカピカの派手な金装飾甲冑に身を包んだ男が立っていた。
第1遊撃小隊の隊長、ライネルだ。
彼はギザギザの歯を見せてニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、疲労困憊のセルマを見下ろすように歩み寄ってきた。
「あらあら、第1小隊のライネル隊長。今日も随分と血の気が多いですわね」
セルマは努めていつものおっとりとした笑顔を作り、ライネルへと向き直った。
「ふん。女が身の丈に合わない巨大な大盾など背負ってしゃしゃり出るから、そんなに汗だくで無様な姿を晒すのだ」
ライネルは蔑むようなつり上がった目で、セルマの汗ばんだ顔と、ガントレットを外した彼女の無防備な両手を指差した。
「見ろ、その荒れ果てた手と肌を。分厚い鎧の蒸れと摩擦で、すっかりガサガサじゃないか。女であることを捨てた小隊など、やはり騎士団の面汚し。無用の長物だな」
その言葉に、セルマの肩がビクッと大きく跳ねた。
彼女は咄嗟に、カウンターの上に置いていた自分の両手を、見られないように隠すように背中へと回した。
いつもは余裕のある彼女の顔が、今は屈辱と、図星を突かれた悲しさで微かに歪んでいる。
「ひょ~! 出たっすね金ピカ野郎! 人の気にしてることをネチネチと……マスター、俺の刃で、あいつの趣味の悪い金ピカ鎧を三枚おろしにしてやってもいいっすか!?」
俺のエプロンのポケットの中で、相棒のペティが青い魔石を激しく明滅させて怒りの声を上げる。
俺はポケットの上からペティを軽く押さえ、カウンターの中から静かに、だがはっきりとした、芯のある低い声で口を開いた。
「ライネル隊長。ここは食事と休息のための場所です」
俺の静かな、しかし確かな怒りを孕んだ声に、ライネルが忌々しそうにこちらを睨みつける。
「飯を食わないのであれば、俺の大切な客の休息を邪魔しないでいただきたい。ご自身のピカピカの鎧の自慢なら、演習場で存分にやってください」
「ちっ……。たかが平民の料理人風情が、偉そうに」
ライネルはチッと大きな舌打ちをし、セルマに向かって鼻で笑った。
「せいぜい次の合同演習で、その無駄に重いだけの盾ごと吹き飛ばされないように気をつけることだな」
ガシャン、ガシャンと嫌な金属音を立てて、ライネルは厨房から去っていった。
静寂が戻った厨房で、セルマは背中に隠していた両手をゆっくりと膝の上に置き、深く、悲しそうなため息をついた。
「……お見苦しいところをお見せしましたわね、ユウシェフ」
「気にしないでください。それより、温かいお茶を淹れますよ。冷たい水ばかりでは胃が驚きます。少し、胃袋と心を落ち着かせましょう」
俺はかまどの火を細め、小鍋に新鮮な湧き水を張った。
そこに、血行を良くして体を芯から温める生姜の薄切りと、リラックス効果のあるカモミールの乾燥ハーブをひとつまみ入れる。
シュンシュンと優しい音を立ててお湯が沸き、カモミールの青リンゴのような甘い香りと、生姜のピリッとスパイシーな香りが、厨房の空気を柔らかく包み込んでいく。
「はい、特製のジンジャーカモミールティーです。香りを楽しみながら、ゆっくり飲んでください」
俺が温かい陶器のカップを差し出すと、セルマは「ありがとうございます」と力なく微笑み、そのカップを両手でそっと包み込んだ。
ふわりと立ち上る湯気越しに見える彼女の顔は、いつもの頼れるおかん副隊長の顔ではなく、どこか自信なげな、一人の等身大の女性の顔だった。
「……ライネル隊長の言う通りですわ。私の手も、鎧の下の肌も……すっかり荒れ果てて、ガサガサになってしまって」
彼女はカップを持つ自分の指先を、自嘲気味に見つめた。
そこには、重い大盾のグリップとガントレットの摩擦でできた、硬く分厚いタコと、無数の痛々しい擦り傷が深く刻まれていた。
「重装甲冑は、熱も湿気も逃がしません。毎日汗だくになって、肌が鎧で擦れて……およそ、女性らしい艶やかな肌とは無縁の生活ですわ」
ポツリ、ポツリと、セルマの桜色の唇から、今まで誰にも言えなかった本音がこぼれ落ちる。
「でも、仕方ないのです。武人に色気など不要……父様はそう仰っていましたわ」
彼女は無理に笑顔を作ろうとして、少しだけ顔を歪めた。
「隊長はいつも先陣を切って突撃しますし、ミーナは軽装のスカウト。リリスちゃんは後方支援ですわ。だから……私が一番分厚い鎧を着て、一番重い盾を持って、みんなを守る絶対の壁にならなければいけないんです」
第5特務遊撃小隊の頼れるおかんとして、一人で抱え込んできた、誰にも言えない彼女だけの犠牲とプライド。
「でも……時々、お風呂に入って自分の荒れた肌や、タコだらけの手を見ると……少しだけ、悲しくなってしまうんですの。私も、一応……女ですから」
その震えるような、切実な乙女の告白に、俺は胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。
「マスター……おかん、無理して笑ってるっす。あの手、大盾の重さをずっと一人で支えて、小隊のみんなを守ってきた、すっごく立派で綺麗な手っすよ……」
ペティがポケットの中で、悲しそうに青い光を弱める。
俺はカウンター越しに、セルマの荒れた手を見つめ、静かに口を開いた。
「セルマさん。仲間を守るために身につけたその名誉ある傷や肌荒れを、無駄なものだなんて言う奴は、俺が絶対に許しません。俺は、その格好いい手が好きですよ」
俺の真っ直ぐで力強い言葉に、セルマがハッとして顔を上げた。
「ですが、働く者の身体は一番の宝物です。自分を犠牲にするばかりじゃなく、たまには思いっきり、自分自身を甘やかして大切にしてやらなきゃいけませんよ」
俺は自身のスキルである絶対鮮度アイテムボックスを展開し、光の空間から一つの巨大な食材を取り出した。
ドンッ!!
分厚いまな板の上に置かれたのは、大人の頭ほどもある、赤黒くガチガチに強張った巨大な肉の塊だった。
「ひょ~! マスター、そいつは……滅多に狩れないって言われてる、超大物のグランドバイソンの肉っすね!」
ペティが驚いたように声を上げる。
「ああ。しかもただの肉じゃない。こいつはグランドバイソンのアキレス腱……極上のスジ肉だ」
俺が包丁の峰で肉の塊を叩くと、まるで大理石か何かのように硬い、コンコンという鈍い音が響いた。
「あら……? ユウシェフ、それは……とっても硬そうな……?」
セルマが不思議そうに小首を傾げる。
「ええ。今は呪いのように硬くて、そのままじゃとても食べられません。でも、明日の朝には……これが、セルマさんのためだけの『魔法の特効薬』に化けますよ」
俺はペティの柄をしっかりと握りしめ、セルマに向かってニッと笑いかけた。
「武人に色気など不要、なんて言葉は忘れさせてあげます。この強靭なコラーゲンの塊を、職人の技術で極上の『飲む美容液』に変えてみせましょう」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「明日の朝、とびきりお腹を空かせて厨房に来てください。俺とペティが、あなたのお肌を全身プルプルのツヤツヤにしてやりますから」
俺の自信に満ちた無自覚な言葉に、セルマはポカンと目を丸くした後、みるみるとその白い頬を真っ赤に染め上げていった。
「あ、あら……ユウシェフってば罪な人。そ、そんなに真っ直ぐ見つめられたら、私……っ」
セルマは両手で熱くなった頬を包み込み、パニックを起こしたようにオロオロと視線を彷徨わせている。
先ほどまでの悲壮感はすっかり吹き飛び、そこには純情な乙女の顔だけがあった。
「ひょ~! 出た! マスターの無自覚な殺し文句と、おかん副隊長の純情乙女モードっすね!」
ペティが面白そうに囃し立てる中、俺は分厚いまな板の上のグランドバイソンのスジ肉へと、静かに包丁を構えた。
【次回予告】
傷だらけの手を隠す副隊長のため、ユウの職人魂が火を噴く!
ガチガチの牛スジ肉が、魔法のようにとろける絶品美容スープに大化けする!?
次回第22話「傷だらけの手と職人の目」。お楽しみに!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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