第4話『名前』
『あんたの本当の名前は…ベルだ。』
私の事を主と呼ぶ、フレアと名乗るその青年は、確かにそう言った。
「ベル…?」
その名前を言われた瞬間、微かに私の鼓動の音が ドクンとなった気がした。
「そうだ。俺は…昔からあんたに仕えてる。詳しいことは今は言えないが、主もいずれ思い出す時が必ず来る。それじゃ、俺はまた来るから。」
「…えっ?ちょっと待って!フ、フレアさんっ!?」
彼はまるで風のようにその場を去って行く勢いだったので、私は思わず彼の袖を引っ張り、引き留める。
「おぉっとっ…!なんだよ主!つーか、いつも通り呼び捨てで呼んでくれよ!…っても記憶ないのか…。仕方ねぇか…。」
「あの、本当に訳が分からないのですが!私これからどうしたら…!その、ふ、フレアは私の事を何か知ってるんですよ…ね?せめてもう少し詳しくおしえっ…。」
私の事を知っている唯一の人物が立ち去ろうとしている。
私は必死で彼に問いかけようとしたのだけれど、抗議の声は遮られてしまう。
「主…俺も主に色々と教えてやりたいのは山々だが、言えない事になっている…今はまだ…。」
「言えない事になっている…?」
それって、どういう事なんだろう…?今の私は、あなたしか頼る人が居ないというのに…。
そう思って聞き返したけれど…。
「単刀直入に言うと、俺は口止めの契約をしている。だから主が自分の事を思い出す前に俺が色々と教えてしまうと、契約違反となって俺は死ぬんだ。」
「しっ!?し、しぬ…!?」
彼が放った言葉によって突然重たくなった空気に、私の体温は少し下がった気がした。
「俺が今日、主に伝えていいのは…俺があんたに仕えてるって事と名前がベルって事だけだ。今日は顔を確認したらすぐに離れなきゃならねぇんだ…また必ず来る。これ以上は引き留めないでくれねぇか?」
「わ…分かりました…。あのっ、えっと、色々とありがとうございました…。また必ず!き、来てくださいね…!」
正直、もっと彼から話を聞きたかった。
けれど、私がこれ以上彼を引き留めてしまったら、彼の命が無くなってしまうかもしれない。
ぐっ…と私は気持ちを押し込めて、彼に別れの挨拶を告げた。
「…!俺は約束を必ず守る男だ。主、またな。」
彼はもしかしたら人ではないのかもしれない。
彼の姿は、私が瞬きをすると同時に消え、再びこの部屋には私しか居なくなった。
けれど私は不思議と、彼の話が嘘だとは思えなかったのだ。だって…。
「ふふっ…フレアさん、すごく顔に出てたなぁ…。」
あんなに、悲しいだとか驚いたりだとか顔に出る人もなかなか居ないだろうというくらい、彼の表情は分かりやすかったからだ。
再び一人になった部屋で、彼に言われた事を思い返す。
「私の本当の名前は、ベル…。ふ…あれ?」
彼からその名前を聞いてから、私の頭は再び靄がかかったように混ざっていった。
「あ…あれ?ふ、…ふぅ…え、なんだっけ…思い出せない…どうして…。」
この世界が私の事を受け入れるかのように。
私は自分の名前がベルだとしか思えなくなっていた。




