尊法 十六
これを対岸から、琴羽たちは眺めていた。
日暮れて夜の帳落ちるとともに、東景の軍勢の船、陣地が火に焼かれる様子が闇夜から浮かび上がる。
風向きから、火の粉が河を越えてくる心配はなかった。
東景の兵らはただ逃げ惑うしかできなかった。部将や大将も恐慌をきたし、ただ逃げ惑う。
火もそうだが、穆蘭の大鵰の存在が与える衝撃も大なりだった。
「琴羽さん、風は変わりましたね」
「うん。自分でも怖いくらいだよ……」
貴志の言葉に琴羽は頷いた。龍玉と虎碧は、策の大ハマり具合に感心を通り越して、無心に火に見入っていた。
穆蘭と大鵰は砦に帰って。ともに土塁の上にいた。土塁の上にいても、遠目に火が見えた。
琴羽はかつて、この時期に風の向きが変わる話をした。もし、王の軍勢が河のそばにいるときに風向きが変われば、その機に火攻めをすることを考えていたのだ。だから砦に入ると同時に、火打石や油や藁束、松明に火矢用の矢を十分用意して、その時に備えていたのだが。
まさかあらぬことで、これを生かせようなど、そこまでは予想出来ないことだった。
東景の軍勢の兵たちは、多くが火だるまになり、多くが逃げ惑った。もう戦など慮外のことであり。かくして、東景の軍勢は壊滅した。
この時に、南景に物見に行っていた兵がやってきて。記堂栄が本当に帰ったことを告げた。
「本当にたわけだわ……」
琴羽は呆れた。
つまり南景はこれを治める長が不在ということなのだ。
「仕方がありません、僕は南景に行ってみます」
「そうだね。政は貴志殿にお任せするよ」
「なんかあっちゃいけないから、あたしらも一緒に行くよ」
「私もご一緒します」
龍玉と虎碧も貴志と同行すると告げた。
三名は馬と松明を借りて、南景目指して駆け出そうとし。
琴羽たち義勇軍は、河港にて東景の軍勢を包む火を見守り。犠牲者の冥福も祈った。
という時であった。
「おおおぉぉぉーー」
という、獣の遠吠えのような、不気味な声のようなものを聞いた。
空耳ではと思ったが、多くの者が、
「なんだ今の声は?」
と、きょろきょろしている。空耳ではなかった。
咄嗟に馬から飛び降り、貴志は六尺棒、龍玉は青龍刀、虎碧は腰の剣を抜き放った。
河の北は大火で夜を照らす。その大火に呑まれる命の悲鳴かと思われたが。風向きと距離を考えれば、向こうの声がここまで届くことはまずない。では、何か。
「あ、ああ、やば!」
龍玉の慌てた声。何事かと思ってその方を見れば。なんと、龍玉の頭からは狐らしき耳が飛び出て。腰からは九つの尾が飛び出ているではないか。
「龍お姉さん!」
「どうして、今この時に!」
虎碧と貴志は慌てるのを禁じえなかった。琴羽たちは龍玉のその姿を唖然と見ている。その次の瞬間に、得物を構え、刃を向ける。
「お前、人外の物の怪なのか!」
琴羽たちの驚きはもっともである。貴志と虎碧は気まずそうにしているが。龍玉は、最初こそ慌てたものの、今は落ち着き、もとい、開き直って。
「ばれちまったら仕方ない。そうだよ、あたしゃ九尾の狐のおふくろと人の親父の間に生まれた子なんだよ」
やれやれと、呑気そうな笑みを見せながら開き直り。自ら進んで琴羽たちに腰の九つの尾をひけらかした。
「それで、どうすんだい? 気味悪いから、出てけってんなら、出てくけど」
そう言う龍玉のそばに貴志と虎碧が付き添う。味方に襲われるかもしれない悲壮感を醸し出していた。
琴羽はしばし考えたが。三人の様子を見て、
「だったら早く言ってよ。びっくりしたなあ、もう」
と、こともなげに言う。
「ほ……? じゃあ、いてもいいってこと?」
「そうだよ」
琴羽は笑顔で応えた。その様子を見て、義勇軍の兵も、落ち着きを取り戻しつつあった。




