尊法 十
かくして、貴志は他の二頭の馬と一緒に砦に帰る。帰るからには早く帰らねばと、馬を飛ばした。他の二頭もよく着いてきていた。
香澄と源龍は王宮目指して歩く。守備兵が三名、少し後ろについている。戦っても勝ち目はないが、逃げ出した時すぐに報告するためである。
「それにしても、まさか避けられるとは」
馬を飛ばしながら、貴志は意表を突かれた思いを禁じえなかった。説得されるのを厭うたことは、想像に難くなかった。前に諫めたことがよほど許せなかったということだ。
香澄も同じことを考えていた。慶子義は貴志の知性に惚れている。それは恐れにもなる。貴志が人民啓蒙の法に悪い印象を抱いていると知れば、惚れたその知性も、警戒すべきものとなる。
注意を払って周囲を見渡せば、人々は少し後ろの守備兵を恐れる面持ちで眺めている。
香澄はため息をつく思いだった。民いまだ安からじ。上の思惑や思想に翻弄されるのは、民草の運命なのだろうか。
とか考えているときに、わっ、と何やら騒ぎの声がした。何事だろうと思えば、ある家屋で喧噪の声がする。
禁書がどうのと騒ぐ声。
家屋から、たくさんの書物を抱えた役人が数名出てきた。抱えるのは禁書であろう。そして、家の主らしき人物が縄を掛けられて出てくる。
香澄は咄嗟に源龍の左腕をつかんだ。実際、源龍は動き出しそうな気配だった。
源龍は肩に担ぐ打龍鞭の柄を掴む右手に力を入れて、やり過ごすしかなかった。
おそらくあの家屋で禁書とされた書物や本を集めて隠していたのだろうが、それが何かでばれたのだろう。
「ぎゃああああ——」
突如として悲鳴があがり、家屋から火だるまになった役人が転がりながら出てきた。同時に煙も出てきた。
「おのれ、かくなるうえは、ただでは死なぬ!」
同じく火だるまになって出てきた男があったが、堂々と立ち。片手には刀。
「我、怨霊となりて慶子義を呪わん!」
言うや、刀で自分の首を跳ねてしまった。血潮がほとばしり、血の池をなし。頭はその上に落ち。胴が覆いかぶさるように倒れ込んだ。
家屋には複数の者がいて、役人の立ち入りを受けて、覚悟を決めて火を放ったようだった。おそらくその首を跳ねた男が火をつけたのであろう。
火の勢いはすさまじく、煙に続いて赤い火焔の舌も覗くようになり、周囲を舐めまわすように火を広げてゆく。
火を放つとともに油も撒いたこと想像に難くなかった。
「なんて野郎だ」
さすがの源龍でも舌を巻いた。
「本のために死ぬのかよ」
「それが、筆に、書に生きる生きる文士の矜持よ」
香澄も目を見開き、成り行きを見守っている。
「くそ、なんてこった!」
香澄と源龍に着いてきていた門番守備兵も突然のことに慌てふためいていた。
火だるまになった役人は、地面に転がったのが功を奏して、どうにか火は消えたものの。ひどい火傷を負い、他の者に担がれてどこぞへと運ばれてゆく。
「火を消せ! 水を撒け、水がないなら砂を撒け!」
とは言うものの、都合よく水や砂があるわけではない。延焼を防ぐため、大槌や熊手などの諸道具を持った者たちが、周囲の建物を打ち壊そうとするが。火の早さはそれをゆうに超えていた。
「おい、なんかやべえぞ」
この大騒ぎでは、慶子義と顔を合わせるどころではないと源龍も少し驚きを見せた。
縛られていた者は、隙を見て火の中へ飛び込んでしまった。誰も止められなかった。書と運命をともにしようというのか。
この放火事件は思った以上の大騒ぎとなった。いずれ慶子義のもとまで報せがゆこう。




