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尊法 四

「今この時になぜ幸せを感じられるのでしょう? 我ら、国や王、民草を安んぜんと苦心しているというのに」

「それは……」

 その女官は絶句し、言葉もなかった。

「そなたを罷免する! 時節を弁えぬ、その無自覚な有様では、我らの足を引っ張るだけです」

「そんな」

「黙りや! 多くの者が苦心しているときに、幸せを感じるなど、不届き者千万! 妄夢から覚ますため十叩きの上で罷免をくれてやってもよいのですが、腹にややあるを慮って、罷免のみで済ませてあげましょう。さあ、出ておゆき!」

 その女官はうつむき、力なく一礼をして、退出した。その背を眺めて、麗燦は大きく息を吐いた。

「そなたらも、時節を弁えて、あのような無自覚者になってはいけませんよ」

「はい!」

 女官たちは背筋に冷たいものが走るのを感じながら返事し、一礼した。

 同じ時に、貴志は懸命に慶子義を諫めていたのだが。その諫めはけんもほろろに突っぱねられた。

「よもや貴志殿ともあろうお方が、そのような戯言を申されるとは。この慶子義、失望いたしましたぞ」

「私のことはいくらでも失望してかまいません。しかし、愛国派の傲りに、戦と、争乱が続いたため、民草は心から不安を抱いております。そんな時にこそ、無益に思える武侠小説などの物語が人心を慰めるのでございます」

「心を慰めるのなら、他のものでもよいではないか。いやなにより、幼王に武侠小説を勧めたのは愛国派。それを思えば」

「面白く、人気のあるものともなれば、思想の如何に寄らず多くを惹きつけるものでございます。さきほども申しました通り、私も武侠小説を愛読し、自ら書いたこともございますれば」

「ううむ、にわかに信じがたい。貴志殿ほどのお方が、武侠小説を嗜むなど」

「文化に差別なしでございます。それが私の信条でございます」

「言わんとすることはわかるが……」

 慶子義は怒りと不思議さをないまぜにして貴志を見据えていた。

 人民啓蒙の法により、武侠小説やその他の珍書奇書など、主に娯楽性の高い書物や本を取り締まり対象とし。没収しては燃やし。著者にも転向や断筆を強いた。

 中には頑として聞かず、百叩きの刑を受け、筆を握れなくなった者もあるが。人知れず行方をくらませた者もあった。

 行方をくらませた者の中には、


愛國而不愛人(国を愛せども人を愛さず)

尊法而不尊人(法を尊べども人を尊ばず)


 との落書きを残した者もあった。それは銀玉夜叉の作者、筆名・猿剛えんごうであった。慶子義おおいに怒り、探し出して、打ち首獄門にすると宣言したものだった。

 ともあれ、貴志と慶子義の話し合いは平行線であった。

「いや、今すぐにわかるものではないかもしれず。月日が経てば、わかっていただけるかもしれぬ」

 と慶子義は言うが。

「大事なのは私の理解でなく、民草の心です。まずなにより人を愛することからでございます」

 貴志はそう言う。

 結局、慶子義は悩んだ果てに、貴志にひとまずはと、お引き取りを願った。

 貴志も無理に言って聞かせることも出来まいと、やむなく退出し、鬼門の砦に帰っていった。

 その途中で、もの悲しそうな若い夫婦と出会い。気になって話しかければ。かくかくしかじかとの事情を聞いた。この若い夫婦は、麗燦に罷免された元女官とその夫であった。妻が罷免されては、夫も宮中にいられずとなるのは言うまでもない。

「幸い私の郷里で、役人としての働き口があります。心を入れ替えて、いちからやり直します」

 夫は悲しそうにそう言って、夫婦して会釈して。それぞれの道に分かれた。

「いよいよ大変なことになった」

 貴志の憂いは深まるばかりで。砦に帰り着いた時に、

「なんだお前、しけた面しやがって」

 と源龍に突っ込まれたのだった。

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