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Adrian Blue Tear ―バー・エスメラルダの日常と非日常―  作者: すえもり
Ⅱ自由都市の光と闇 January

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ABT18. 煙と糸 (3)

 サティヤは灰皿の上で燻っていた煙草の火を消した。

「珍しく饒舌だったんだね、その日のエメラは」

「もうその時には病だと分かっていたのかもしれません。格好つけちゃってたのかもしれませんね。でも、そんなところが好きでした」

「結局、言いたいことは言わずに逝っちまったね」

 どうやらエメラは初代店主でありオーナーでもあるフリードリヒという人物に片想いしていたらしい。これまでのルピナスと客の話から、そう推測された。

「言えなかったから、私には、ああ言ったんでしょう」

「それで、あんたはその教えを守ってる?」

 サティヤは頬杖をつきながら、ルピナスをじっと見つめた。見つめられたほうは、教師に注意された生徒のように黙り込んでいる。

 ルピナスの、そんな姿を見るのは初めてだった。

「ま、守る必要なんかないけどね。言うは易く行うは難し」

 サティヤは氷が溶けてほとんど水だけになったグラスを空けた。

「病で苦しんで亡くなる姿を見るのはつらい。看取るまで世話をしなきゃいけないのもね。でも、私はいきなりいなくなられちまうより、まだいいと思う。いきなりじゃ覚悟も何も出来ていない。なかなか立ち直れない」


 サティヤはフランツに、夫は海で救助隊員をやっていて、ある日帰らぬ人となったのだと言った。

「この街で生まれ育ったとはいえ、母親が東洋人のあたしに、当時のこの街は今ほど優しくなかった。あの人は私とこの街を繋ぐ係留ロープみたいなもんだった。その人が急にいなくなって、仕事もなくてフラフラしてたんだよ」

 後を追おうとしたサティヤを繋いだのは、最後にと思って立ち寄ったバーで出会ったエメラだったという。隣同士で話すうちに妙に意気投合してしまったのだ。

『あんた、私のためにこの煙草を仕入れてきてよ。昔は東洋人の阿片売りがカモフラージュ用に売ってたやつを買えたんだけど、取り締まりがキツくなってから買えなくなってさ』

 それが今カウンターの上にある箱の銘柄だった。

「杏露酒も、実はサティヤさんから仕入れさせていただいています」

「そう。でもさ、輸入商売なんかやったことなかったからね、東洋人の血を引いてるからってだけでメチャクチャなこと言ってくる勝手な女だと思ったよ。でもあれは、エメラなりの親切だったんだろう」


 その後サティヤはエメラに借りた金で輸入業をはじめ、何とか生活苦を脱した。エメラは二人が出会った店のバーテンダーになり、フリードリヒと出会う。

 フリードリヒはエメラを誘って自分のバーを開くためにこのビルを買い、地下をバーにして地上階の管理をサティヤに任せた。

「実家は宿をやってて子どもの頃から手伝いもしてたからね、輸入業で稼いだ金を元手に宿をやることにしたんだ。連れ込み宿にしたのは、その当時は周りになくて、儲かったからだけどね……で、フリードリヒが店を離れてからはエメラと共同管理してたんだけど、ルピーじゃ年齢的にも管理者になれないから、今はあたしが大家なわけね」

 どうやらフリードリヒがオーナーと呼ばれているのは、昔の名残だったようだ。フランツは彼のことにも興味を抱いたが、二人とも触れようとしなかったので、別の機会にしようと思った。


「皆さんが出会ったバーは今もあるんですか?」

「あるよ。ルピー、今度連れて行ってやりな。いや、お兄さんが連れてった体にしたほうがいいけどねぇ」

「そうですね、でもさすがに師匠は化粧しても大人に化けるのは難しいかと」

 フランツがルピナスの頭からつま先までを見ながら言うと、彼女は、もう十六ですけど、とぼやいた。

「ま、同伴者ありでノンアルコールを頼んどけば文句は言われないさ。何なら、あたしがルピーを一丁前の女に仕上げてあげるよ」


 そのあとウチを利用してくれてもいいんだよ、とサティヤは意地悪い笑みを二人に向けた。

「サティヤさん! この人とはそういう関係じゃないです!」

「そうそう、ロリータ趣味はありませんので……」

 回避不可能な速度で鳩尾に裏拳を叩き込まれたフランツは、体を半分に折って咳き込んだ。毎度思うが、この少女、本当は同業者(アサシン)だったのではないか。

「何がロリータですか失礼な」


 サティヤはケラケラと笑い声を上げた。

「気になる女の子に嫌がらせするガキと同じだ。男なんか幾つになっても子どもだよ」

「誤解のないよう言いますが、俺は師匠にそういった邪な感情を抱いてはいません。恋愛沙汰はもう懲り懲りです」

「そんなこと言ってる輩が一番信用ならないんだよ? いいかい、万一ルピーを泣かせたら、文字通りお灸を据えてあげるからね。二度と使いものにならないように」

 サティヤは真っ青になっているフランツを面白そうに眺め、一杯だけで悪いけどそろそろ戻るから、と勘定を支払った。

「そうだ。ほんのちょっとの間、お兄さんの手を借りてもいいかい? 廊下のランプが切れちまってね」

 彼女は意味深な目配せをしてみせた。なにか話したいことでもあるのか。ルピナスに目で問うと、行ってくるようにと言われたので、サティヤの後をついて外に出た。

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