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Adrian Blue Tear ―バー・エスメラルダの日常と非日常―  作者: すえもり
Ⅱ自由都市の光と闇 January

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ABT18. 煙と糸 (1)

挿絵(By みてみん)



 ひととおり開店準備を終え、手が空いたので、普段は掃除しない箇所の埃取りをすることにした。

 壁には沢山の写真入りフレームが掛けられており、その上にもうっすらと埃が積もっている。掃除しつつ、ひとつひとつを眺めてみた。

 写真の右下に印字されている日付を見ると、三ヶ月前のハロウィンのものから、おそらく開店当時の三十年前のものまである。フランツが知る人も知らない人も、老若男女さまざまな客が写っていた。


 その中の、現店主ルピナスと、先代店主と思われる女性とのツーショットが目に入った。

 暗色のロングヘアをハーフアップにした齢四十ほどの女性は、鋭い眼光で見る者を射抜いていた。隣に写る、まだ幼いルピナスの屈託ない笑顔とは対照的な表情だ。

 彼女がエメラという名でルピナスの叔母だということと、用心棒の一人であるティスと親友だったということは知っている。しかし、それ以上の話はいまだルピナスから聞いたことがなかった。

 エメラの面影にはルピナスと似ている点が全く見つからなかった。しかも、こめかみの辺りには剃り込み、前髪の一部にはカラーが入っている。美人だが近寄りがたい雰囲気だ。他の写真もざっと見てみたが、笑っているものは一つもなかった。

 ルピナスはエメラから記憶を継いだ『番人』であるから、その人の話をするのは自分のことを語ることに近いのかもしれない。もともと彼女は、あまり自分のことを話したがらないのだ。


「何を見てるんですか? ああ、エメラ?」

 裏の部屋にいたルピナスは、出てくるなり声を掛けてきた。

「やはり、この方がエメラさんだったんですね。失礼かもしれませんが、ちょっとその、厳しそうな方ですね」

 ルピナスは肩をすくめた。

「あなたが生きてきた世界では見ないタイプのひとでしょうね。でも、気さくで優しい人でした」

 彼女は背伸びしてフレームを壁から外し、両手で持って懐かしそうに微笑みを浮かべた。

「何にも縛られず、自分の意志を貫くところが格好よくて、でもちょっと不器用なところがある素敵なひとで。いつかエメラみたいな格好いいバーテンダーになりたいです」


 その言葉を聞いたフランツの脳裏に浮かんだのは、ティタンの夜の繁華街を闊歩する少女たちのようなファッションに身を包んだルピナスだった。

 髪を脱色し、偽物の睫毛をつけ、爪に不気味な色を塗り、アクセサリーを無駄に纏い、胸元やら脚やらをむき出しにしたファッション……似合わない。

「見た目については、師匠はそのままのほうがいいと思いますが」

 ルピナスは、ひと回り歳上の弟子の引き攣った顔を見上げ、首を傾げて笑った。

「生き方の話ですが? まさか、私がパンクファッションに憧れているとでも? でも、私が普段どんな服を着ていようが、貴方には関係ないでしょ」

 最後の言葉になると、声の温度が急転直下した。なぜだ。余計なことを言って言わなくても、いつどこで地雷を踏んでしまうかわからない怖さがある。この店で働くようになってから、女性とは大体そんなものだという気がしてきたが。

「師匠は何を着ていても似合うし、お洒落で可愛いと思います」

 慌てて言い繕うと、彼女は口元をもぞもぞさせた。経験上、これは照れて何を言えばわからないときの反応だ。

 年末に現れた時の彼女は白いフワフワしたニットの上に冬らしい濃色のチェック柄のワンピースを重ねており、レースアップブーツを履いてワインレッドのベレー帽をかぶっていた。ファッションには全く興味がないフランツだが、彼女が好むクラシカルな服装は安心感があり、好みの部類だ。


「以前から気になっていたのですが、深夜に若い女性が一人で外を歩くと危険でしょう。帰りは送りますよ。いつもすぐにいなくなるから言い出せなかったんですが、どこに住んでらっしゃるんでしたっけ」

 実家を出て一人暮らししているということは知っている。彼女はなぜか赤くなった。

「うちは、そんなに遠くないというか……えっと……別に一人で大丈夫です」

「本当に? 遠慮なさらずに」

「う、上に住んでますから」

 上、と聞いてフランツは一瞬考え込んだ。このバーが入っている狭いビルは、もともと住宅用の建物だったらしいが、今は全フロア商業目的で使われている。地上階は大家が経営している宿泊施設だった。それも一般客向けではなく、いわゆる――口に出して言いづらい目的のための。

「住んでる? まさか師匠、そういう稼ぎで経営費と学費を? ダメですよ!」

「違います。大家さんの隣の部屋を賃貸にしてもらってるだけです」

「それでも大丈夫なんですか……というか、そんなに近いのに、いつもお洒落して出勤されているのには何か理由が? 洗濯物が大変でしょう」

 不意に危険を察知したフランツは、繰り出された踵落としをかろうじてかわした。一体どこに怒る要素があるのか。

「貴方はパジャマで出勤するのですか? 十時になったので札をOPENに替えてきてください」

 外気より冷たい声で言い放つと、彼女は犬を追い払うようなしぐさでフランツをカウンターから追い立てた。



 外に出ると、強く甘い異国風の薬草のような香りが鼻孔をくすぐった。見上げると、道路に出る階段の上で月を見上げながらパイプを吸っている女性がいた。

 ドアチャイムの音に気付いた女性は、こちらを振り返った。恰幅の良い中年の東洋人女性だ。闇に溶けそうなほど黒い髪を結い上げており、これまた闇に溶けそうな黒い東洋の着物をゆったりと纏っている。

「あら、あんたが例のルピーの弟子ね。ルメリ」

 煙を吐き出しながら、東洋訛りの強いアルビオン語[注・王国公用語]でゆっくり言うと、彼女は目を細めた。ティタン人の血が混じっているのか、生粋の東洋人と比べると肌の色は白い。

 そのせいで、彼女が浮かべた微笑は、いつか博物館で目にした東洋の仮面のような、この世のものならざる不気味さを纏っていた。

 一瞬気圧されてしまったが、  彼女は開店を待っていたようだ。先ほどの言葉から考えて、常連客の一人だろう。

「お待たせいたしました」

「そんなに待ってないよ。ああ、あたしは上の宿をやってるサティヤ」

 宿のフロントは、道路側から繋がる階段を上がった二階にある。彼女はその扉の上の、東洋の文字が書かれた看板を指さした。

 ということは、彼女がこのビルの大家だ。


「初めまして。いつもお世話になっております」

「こちらこそ。あんた、ずいぶん綺麗なツラしてるねぇ。もしかして、あんたが屋上でチャンバラをやったメイド騎士? あたしもいっぺん見てみたいもんだ」

 フランツは顔を引き攣らせた。ハロウィンの夜に勝手に屋上を使った件で、師匠は大家から注意されていた。

「その節は大変申し訳ありませんでした」

「ま、もう過ぎたことだし、いいよ。そのうち宿を使ってね。割引するから」

 さらに顔を引き攣らせるフランツを見て、彼女は細い目をさらに細めて笑うと、口の中にたっぷりと煙を吸い込み、吐き出した。

「今日は暇だし、久しぶりにルピーの酒でも飲もうかと思って。ほかに客はいないよね?」

 彼女は返事も待たずに悠々と階段を降りていった。

ABT18のBGMはGaroad『Va-11 HALL-A Second Round』より、Everything

Will Be Okay です。

※PDF版時点とは変更しております

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