25.公爵家のあきれた内部事情
シオンお父様は沈痛な面持ちで言い切った。私の命を狙うものがいるのだと。
「なんとなく、そんな気はしていました。でも、どうしてそんなことに?」
「君がローズだと正式に認められれば、君はここオイジュス公爵家を継ぐことができる。跡継ぎになれるんだ」
跡継ぎとなる、つまりいずれはこの屋敷の主人となるということか。たったそれだけの立場に、なんの価値があるのだろう。
さらに首をかしげていたら、ステファニーがそっと小声で説明してくれた。
「オイジュス公爵家は、我が国でも一、二を争う旧家なんですよ。この家が安泰ならば王国も安泰だと言われるくらいに、国全体への影響が大きいんです。当主と彼を支える妻の責任も、当然ながらかなりのものです」
「だったらなおのこと、折を見てここから逃げ出さないと。そんなとんでもないものを背負わされたら大変だわ」
ついうっかり、思ったままを口にしてしまう。ステファニーは何も言わなかったけれど、その口元は小さく笑いの形に引きつっていた。その隣のハーヴェイも、笑いをこらえているような、困っているような顔をしていた。
お父様も、やれやれといった顔で肩をすくめている。重苦しくなっていた場の空気が、ふっとゆるんだ。
けれど、ダミアンさんだけは相変わらず浮かない顔をしている。
「……そうですね。けれどオイジュスの現当主はその責任を十分に果たしていないと、そうささやかれているのです」
その言葉に、ステファニーとハーヴェイが同時に目をそらした。ハーヴェイが目を伏せたまま、静かに続ける。
「一年前、跡継ぎだった一人娘が病で亡くなった。それから当主夫妻はすっかり気落ちして、執務をほとんど投げ出してしまった、と……そんな噂が流れ出した。そうして現に、少しずつこの国は荒れ始めている」
汽車を降りて、この屋敷がある町を馬車で走った時のことを思い出す。古い町並みは、どことなくくすんで、みすぼらしささえ感じさせる雰囲気だった。
なんだかちぐはくさを感じる光景だとは思っていたけれど、その原因が、あの二人……私を引き留めようと必死になっていた、あの二人だったのか。
ステファニーがうなずいて、言い出しにくそうにしながら口を開く。
「わたくしの屋敷のあるあの町にも、少しずつ荒くれ者が流れ込んできています。それも、関所の管理が甘くなったオイジュス領を経由しているようなのです」
前に彼女と町に遊びに行った時、たちの悪い男たちにからまれた。たぶん、あの男たちも、そんな風にしてあの町に来たのだろう。
ということは、あの日あんな目にあったのも、元をたどればオイジュス公爵夫妻のせい、ということなのか。
ずっとあの二人に感じていたもやもやとした思いが、少しずつ膨れ上がっていくのを感じる。統治する者の能力に、平民たちの暮らしは左右される。それなのに、あの二人はなにをやっているんだ。
そんなことを考えていたら、ダミアンさんと目が合った。彼は何とも言えない、複雑な顔をしている。
「……ですから、私としては……できることなら、ユリさんにここにずっと留まっていただきたいくらいなのです。そうすれば公爵夫妻も元気になり、国の治安も元に戻るでしょうから」
「ダミアン、長年の友人である君であっても、その発言は見過ごせないよ。ユリは優しい子だけれど、だからこそこんなところに置いてはおけない」
お父様が、ダミアンさんにきつい流し目をくれている。本当にお父様は、私のこととなると態度が変わる。
「ええ、分かっていますよ。これはあくまでも、私たち人間の間でのもめごとです。天人たるユリさんを巻き込むのは、お門違いだということも」
悲しげに目を伏せるダミアンさんに、お父様は小さくうなずきかけた。それから、私に向き直る。
「ともかくも、こうなったからには一刻も早くここを出なくては。君にもしものことがあったら大変だ」
いつになく強い口調できっぱりと言い切るお父様に、おずおずと食い下がる。
「で、でも、もう少しだけ……この屋敷にも、公爵夫妻にも興味はないんですけど、ジャスミンともう一度だけ、話したいんです。ここを離れたら、もう彼女には会えませんから。あの、お父様が今作ってる薬って、そろそろ完成……ですよね?」
私は、この旅を終えたら晴れて天人の一人となる。この姿のまま、百年以上生き続ける。だから、もうここに来ることはできない。
亡くなった跡取り娘とそっくりの女性が、当時と全く変わらない姿で現れたなんてことになったら、どれだけ人間たちが混乱することやら。
実際、既にハーヴェイを大いに混乱させてしまった。これ以上、話をややこしくしたくない。だから私は、公爵夫婦に天人のことを明かすつもりはなかった。
「……分かった。明日には、彼女を目覚めさせるための薬ができあがる。明日の夜に彼女と話して、明後日にはここを出る。それでいいね」
黙ってうなずくと、ようやくお父様も肩の力を抜いた。
そうして話し合いが一通り終わると、お父様はハーヴェイを座らせて背中を調べ始めた。
「これだけ時間が経っていれば、さすがにもう大丈夫だとは思うけれど……」
眉間にしわを寄せながら、お父様は術を使ってハーヴェイを調べ続けている。ハーヴェイはかなり居心地が悪そうだ。その隣で、ステファニーがまたおろおろしている。
「あの、シオン様、ハーヴェイ様は大丈夫でしょうか……」
「そうだね、どうやら問題なさそうだ。ユリの解毒の術はきっちりと効いているよ。ただ、多少なりとも体力を消耗しているのは確かだから、一日、いや二日くらいはおとなしくしておいたほうがいいな」
お父様のその言葉に、ステファニーとハーヴェイが同時に頭を下げた。ふと、お父様が切なげに微笑む。
「……それはそうと、ハーヴェイ殿には礼を言っておかなくてはなりませんね。ユリを守ってくれてありがとうございます。……できることなら、私が守りたかったのですが。油断した自分を、殴ってやりたい」
「俺は、自分にできることをしたまでだ。それに、友人を守りたいと思うのは、当たり前のことだろう」
「けれど、とっさに自分の身を盾にできる人間はそうそういませんよ。……あなたは、立派な青年ですね。もっとも、だからといって、ユリを譲る気はありませんが」
「分かっている。貴方がたの間に割って入るほど、俺は無粋ではない。……ただ、ユリさんが成人の儀を終えた後も、また遊びに来てほしいとは思う。二人一緒に」
「ああ、そうさせてもらいますよ。ユリが望むなら、ですが」
気がつくと、お父様とハーヴェイは妙に親しげに話していた。大舞踏会の時の緊張した雰囲気とは、まるで違う。
「……お父様はハーヴェイ様のことが苦手なのだと、そう思っていたんですけど……」
ふとそう尋ねると、お父様はくすりと笑った。
「いいや、そんなことはないよ? ただ、大切なものを守るために少々威嚇しただけで」
「威嚇……犬が吠えたり、猫が毛を逆立てたりする、あれですか?」
「そうそう、そんな感じだよ。でも、もうその必要もなくなったからね」
お父様は、さっきからたくみに話をかわし続けているような気がする。何が言いたいのか、よく分からない。
そしてさらに訳が分からないのは、ダミアンさんやステファニー、それにハーヴェイまでもが、お父様の言いたいことを理解しているようだった。
「あの……もしかして、私だけ話についていけていないような……」
「そうみたいだね。私はそれでも、一向に構わないけれど。いや、構うかな?」
「どっちなんですか、お父様」
「そうやって頬をふくらませていると、子供の頃の君を思い出すな。昔から君は、とても可愛らしかった」
そんなやり取りに、ステファニーがくすりと笑う。それにつられるようにして、ハーヴェイとダミアンさんも微笑んだ。
そうしてみんなは、和やかに笑い合い始めた。見事に置き去りにされた私は、困りつつもふくれっ面をしたままでいた。
「……本当に、そこで休むつもりですか」
「もちろんだよ。昼にあんなことがあったのだから、君を一人になんてできないだろう」
その晩、私は思いっきり眉間にしわを寄せていた。ローズの部屋の、とびきり大きな寝台の上で。
枕のところに私が座り、寝台の端のほうにお父様が腰かけている。お互い寝間着だけれど、特に恥ずかしくはない。ないはずだけれど、なぜかお父様を直視できなかった。
「この寝台はあきれるくらい大きいから、私が隅にもぐりこむこともできるけれど……君が嫌だというのなら、そちらの長椅子で休もうか」
「……それだと、お父様が風邪を引いてしまうかもしれません」
お父様は、私を守りに来てくれたのだ。お父様が近くにいてくれれば、安心して眠れると思う。それに私が小さな頃は、お父様と一緒の布団でくっついて寝ていたのだ。今さら恥ずかしがってどうする。
そう自分に言い聞かせ、そろそろとお父様を見る。ゆったりとした寝間着は、天人の普段着ともちょっと似ている。昼間はきっちりと整えていたお父様の髪も、自然にはらりと広がっていた。
見慣れた姿のお父様は、けれどいつになくあでやかに見えた。気のせいか、心臓がひとつ大きくどくんと跳ねたような。
「あの、私はこちらの端で寝ますから、お父様はそちら側でどうぞ。冷えますから、ちゃんと布団をかぶってくださいね」
一方的にそう宣言して、大きな寝台の端にもぐり込む。そのままお父様に背を向けて横たわっていたら、やがて後ろのほうでごそごそという音がした。
「おやすみ、ユリ」
「……おやすみなさい、お父様」
それっきり、部屋の中は静まり返る。こうなったら仕方がない、さっさと寝てしまおう。
そう思ったのに、なんだか寝つけない。しばらく悩んで、そろそろと寝返りを打つ。
寝台の反対側の端に、お父様が横たわっていた。こちらを向いて、目を閉ざして。窓から差し込む月の光が、お父様の顔をとても美しく彩っていた。
とても清らかな、一枚の絵画のような光景に、思わず見とれる。
お父様は、綺麗な人だ。普段は朗らかな、親しみやすい雰囲気をまとっているけれど、今目の前にいるお父様は、なんだかちょっぴり近づきにくく思えた。それくらいに、美しかったのだ。
と、お父様が私の気配に気づいたのか、薄く目を開ける。たったそれだけのことで、お父様は絵画の中の人物から、今ここにいる存在へと鮮やかに変わった。
「……眠れない? 手をつなごうか? 子守歌がいいかい? 背中をさすってあげようか?」
矢継ぎ早にそう言ってくるところは、もうすっかりいつものお父様だ。
「お父様、私はもう子供ではありませんから。……あの、でも……手、つないでもいいですか」
「もちろん」
そうして少しだけお父様のほうに近づいて、手を伸ばす。私の小さな手を、お父様の大きな手がすっぽりと包み込んだ。
それと同時に、言いようのない安心感が胸に満ちる。子供のようでちょっと恥ずかしいけれど、これならきっと眠れる、そんな気がした。




