24.悪意は静かに忍び寄る
うつぶせに倒れたハーヴェイの背には、細い針のような矢が刺さっていた。おそらく彼は、この矢からかばってくれたのだろう。
「だ、大丈夫ですか、ハーヴェイ様!?」
ステファニーが彼のそばにひざをつき、震える声で呼びかけている。彼女にしては珍しく、ひどく取り乱しているようだった。
「くっ……少々痛むが、どうということはない。君たちは無事か……?」
そう答えるハーヴェイの呼吸は、妙に荒かった。ただ矢が刺さっているだけだとは思えない、何か他にある。そんな嫌な予感がするくらいに。
「はい。守ってくれて、ありがとうございます。……それより、あなたの傷を手当てしないと……」
急いで、ステファニーと二人でハーヴェイを助け起こす。ハーヴェイは肩で息をしていたし、動きもやけにのろのろとしていた。
「背中のこれ、抜きますね。止血の術くらいは使えますから」
彼を心配させないよう明るく言ってから、彼の背中につき立った矢をそろそろと引っ張る。さほど深く刺さってはいなかったらしく、すぐに抜けた。出血もほとんどしていない。
だというのに、ハーヴェイの様子はさらにおかしくなっていった。彼は自分を抱きしめるように腕を回し、かすかに震えている。
「ハーヴェイ様、どうされたのですか……?」
「いや……ただ、妙に寒気が、するだけだ……」
「わ、わたくし、お医者様を呼んでまいります!」
ステファニーがおろおろしながら立ち上がる。止める間もなく、屋敷の中に走っていってしまった。
一瞬だけぽかんとして、あわててハーヴェイに向き直る。人間の医者がどれくらいの腕前なのかは知らないけれど、私は私で、できることをしなくては。
「少し、背中に触りますね」
そう一言断って、ハーヴェイの背中に手を当てる。たぶんだけれど、あの矢には毒か何かが塗ってあったに違いない。でなければ、彼のこの様子に説明がつかない。
矢の刺さっていた辺りに触れると、服越しでもはっきり分かるくらいに熱を帯びていた。やっぱりおかしい。
でもこの程度の毒なら、どうにかできるかもしれない。即死するほど強ければどうしようもなかったけれど。
「ハーヴェイ様、今から解毒の術を使います。少しむずむずしますけど、我慢してくださいね」
返ってきたのは、弱々しいうめき声だけだった。いけない、早くしなくては。
彼の背中に手を当てて、意識を集中する。そこによどんでいる悪いものが、蒸発して消え去っていくさまを思い浮かべる。
私たち天人が使うこの解毒の術は、毒を受けてすぐなら跡形もなく毒を消すことができる。
ただ、術をかけられている側はちょっぴりくすぐったいのだ。ハーヴェイも時折、ぴくりと体を震わせている。
こうしていると、昔のことを思い出してしまう。
あれは、私がまだ六歳の時のことだった。一人でこっそり森に出かけた私は、運悪く蛇にかまれてしまったのだ。泣きながら里に戻っている途中、顔色を変えたシオンお父様がすっとんできた。
そうしてお父様は私を抱き上げて、解毒の術を使ってくれた。あの時の安心感と、くすぐったい感触は今でもよく覚えている。
「……不思議だな……驚くほど、楽になった」
うっかり思い出の中に浸ってしまっていた私に、ハーヴェイが戸惑いながらそう言った。彼はもう寒そうにもしていないし、呼吸も落ち着いている。
「それならよかったです。でも、毒を全部消しきれてはいないかもしれませんので、今日は安静にしていてくださいね。異変を感じたら、すぐに私かお父様を呼んでください」
立ち上がり、ハーヴェイに手を貸す。彼は私の手を取ってゆっくりと立ち上がると、呆然とつぶやいた。
「……天人の術に、また命を救われたということか。汽車の時も、そして今も。君たちは俺たち人間よりも、ずっと優れているのだな」
「そんなことはありません。私たちには、汽車は作れませんから。そもそも、あんなものを作ろうという発想がありませんし。王宮の大きな建物も、あの汽車も。術も使わずにあんなものを作った人間の力は、すごいと思います」
「……そういってもらえると、嬉しい」
そうして私たちが小さく笑い合った時、血相を変えたステファニーが医者を連れて駆け寄ってきた。彼女は私たちを見てほっとしたのか、ぺたんと石畳に座り込んで泣きじゃくっていた。
「……植え込みで何かが光って、ユリさんとステファニーがそちらを向いた。そうして無防備になった背中めがけて、毒矢が飛んできた。ハーヴェイ殿は二人を守ろうとして、毒矢に倒れた。そういうことですか」
状況を整理しながら、ダミアンさんが低い声で静かにつぶやいた。いつになく険しい雰囲気に、私たち三人は何となく気おされて黙り込む。
「……この矢に塗られていた毒だけれどね、人ひとり殺すには十分なものだったと思うよ。ゆっくりと効くもので本当に良かった」
私が持ち帰った矢を手に、お父様もまた低くうなっていた。
医者が到着した時、ハーヴェイは大体回復していた。だから医者には、寝不足で立ちくらみを起こして倒れたのだと、とっさにそう言ってごまかした。
あの矢について何も分かっていない今、ひとまず矢については伏せておきたいと、そう思ったのだ。ステファニーは訳が分かっていないようだったが、すぐに私たちに調子を合わせてくれた。
本来ならば、すぐに屋敷の主たるオイジュス公爵夫妻にこのことを話すべきなのだろう。でも私は、そうしたくなかった。できることなら、あの二人の耳には入れたくなかった。
あの二人がこのことを知ったら、きっと天地がひっくり返ったような大騒ぎをするだろう。そうなってしまえば、この毒矢について調べるどころではなくなりそうな気がしたのだ。
私たちは、この毒矢がどうして放たれたのか知りたいと思った。いたずらにしては度が過ぎている。ここからどうするにせよ、犯人のしっぽくらいはつかんでおきたい。ステファニーとハーヴェイも私と同じ意見だった。
だから私たちは、大急ぎで屋敷に戻り、お父様とダミアンさんに先ほどあったことを丸ごと打ち明けたのだ。こっそり持って帰った矢を差し出しながら。
そうして話しているうちに、私はどんどん奇妙なことに気がついていた。
ハーヴェイがいきなり倒れたことに気を取られていたけれど、そもそもいきなり矢を射かけられるなんて、どう考えてもおかしい。
町中ならまだしも、ここは公爵家の屋敷の敷地内だ。そんなところで危険な武器を振り回していたのは、いったい誰だったのか。気配もしなかったし、いつの間にかいなくなっていた。あんな動きが、普通の人間にできるだろうか。
そんな疑問で頭をいっぱいにしながら話し終える。ダミアンさんとお父様は何やら考え込んでいるようだったが、そろって怖い顔になり、重々しい声で話し始めたのだ。
「……ダミアン、君はどう思う?」
「真っ先に疑うのは、刺客ですね」
二人はいつになく険しい表情で、そんなことをささやき合っている。
「そうなると、誰が狙われた?」
「……一番可能性が高いのは、ユリさんですね。私やステファニーに、こんなことをする敵はいません。ハーヴェイ殿も、同じでしょう」
「彼女が、オイジュス公爵家の娘ローズである。その推測が、外部の誰かに知られた。そういったところかな」
「私もそう思いますよ、シオン。それが一番、無理のない仮説です」
「しかしそうなると……汽車での一件も、偶然ではなくユリを狙ったものなのかもしれないな。ああまったく、なんでこんなことに」
「ローズに帰ってきてほしくない、そう思う人間がいるということですね」
私とステファニー、そしてハーヴェイは、二人の話を黙って聞いていた。二人とも、顔色が悪い。
そして私は私で、首をかしげるのに忙しかった。あの毒矢は、どうやら私を狙ったものらしい。ローズである私を、消すために。十六年ぶりに見つかった公爵家の娘をわざわざ消そうとするなんて、どういうことだろう。
そうしていたら、お父様が私の前に歩み寄ってきた。そして沈痛な面持ちで、口を開く。
「ユリ、落ち着いて聞いてくれ。おそらく君は、命を狙われている」
お父様がそう言ったとたん、部屋は静まり返ってしまった。




