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22.亡きジャスミンの呼び声

 肖像画の中のジャスミンが喋った。そうとしか思えない状況に、私はただ呆然とつぶやいていた。


「ジャスミン……?」


 まさか、そんな。ジャスミンは去年死んだのだ。天人は様々な術を使えるけれど、死者と交流する術を使えるのはほんのひとにぎりだ。私はもちろん使えないし、シオンお父様も使えないと聞いた覚えがある。


「どうしたのかな、ユリ」


 そんな私に、お父様が心配そうに声をかけてくる。


「あの、声が……」


「声? 何のことだろうか」


 どうやらお父様には、さっきの声は聞こえていなかったようだ。けれどお父様は、すぐに私が何を聞いたのかぴんときたらしい。声をひそめて、耳元でささやいてきた。


「もしかして、ジャスミンの声かな」


「……かも、しれません」


「気になる?」


「……はい」


「だったら、調べてみるのもいいかもしれないね。君の好きなようにするといい。私は、君をそばで見守っているから」


 そうやってささやき合っていると、視線を感じた。そちらに視線をやると、はらはらしているような目で私たちを見ているオイジュス公爵夫婦と目が合った。


 二人に向き直り、一つ大きく息を吸って口を開く。


「……少しの間だけ、こちらに滞在させていただいてもよろしいでしょうか」


 その言葉に、二人がぱっと顔を輝かせる。何か言いかけた二人を制するように、あわてて言葉を続ける。


「ただし、いくつか条件をつけさせてください。一つは、私のことをローズと呼ばないことです。私はどうしても、自分がローズだと思えないんです」


「あ、ああ」


「そしてもう一つ、滞在中はできるだけ自由にさせてください。できればこの屋敷を、あちこち見て回りたいんです」


「もちろんよ、だってここはあなたの家なのだから」


 結構図々しいそんな条件も、二人はあっさりと飲んでしまった。それだけ切実に、彼らは私がここに残ることを望んでいたのだろう。


 でも私はこの二人には、まったく興味はない。どっちかというと、戸惑いや嫌悪感のほうが強かった。


 けれど、さっきの声については調べてみたい。やけに惹かれるものを感じたのだ。


「それではひとまず、皆様を客間に案内させよう。ロー……ユリさんは、別に部屋を用意させてあるから、そちらで過ごしてくれ」


 オイジュス公爵が、ほっとしたような顔でそう言った。


「あの、私も客間がいいのですが……」


 そう口を挟むと、オイジュス公爵夫妻は悲しげな顔で答えた。


「……そこはまだジャスミンが生きていた頃、私たち三人で用意した部屋なんだ」


「いつかローズが戻ってきたら、ここで暮らしてもらいましょうねって、そう言い合っていたのよ……」


 夫人はまたハンカチを目元に当てている。仕方がない、今度はこっちが折れよう。屋敷の中をうろつき回る許可はもらったし、客間以外の部屋をあてがわれても問題はないだろう。


 そうして、オイジュス公爵が近くの小机に置かれたベルを手に取った。澄んだ音に続いて、使用人が二人、しずしずと部屋に入ってくる。


「そちらのお客人を客間に案内してくれ。ユリさん、君はこちらへ」


 にこにこしながら私を招く二人のほうに、ゆっくりと歩み寄る。途中、ちらりとお父様を振り返ると、お父様はあきれたような目をしながら、そっと苦笑してみせた。




 私が通されたのは、ジャスミンの肖像画がある部屋の二つ隣にある、とっても可愛らしい部屋だった。


 オイジュス公爵家は古くからある名家だとかで、屋敷もひときわ大きく、ずっしりと重厚だ。


 けれどこの部屋は、他の部屋とはまるきり違っていた。屋敷全体はいかめしい老人のようなのに、この部屋だけは可憐な少女のようだ。


「気に入ってくれた、ユリさん? ここはね、隣にあるジャスミンの部屋とおそろいにしてあるのよ」


「自分の家だと思って、くつろいでくれ。ジャスミンの部屋に入ってくれても構わないよ」


 そう言う二人は、私と話したくてうずうずしているようだった。そんな二人にいくつか質問して、屋敷の大まかな間取りをさっさと聞き出す。


 なんでもいいからさっさとお父様たちと合流したい。調べ物をするにも、一人では限界があるし。


 屋敷の間取りを説明し終えて、さあ次は何を話そうかとわくわくしている公爵夫妻に、ぺこりと頭を下げた。


「……説明、ありがとうございます。それではさっそく、辺りを歩いてきます。実際に歩いて配置を確認したいですし、それにこれからどうするか、お兄様や友人たちとも相談したいので」


 そう言い残して、さっさと部屋を後にする。公爵夫妻はあからさまにがっかりしていたけれど、ひとまずそちらは見なかったことにする。まずは、お父様たちがいる客間に向かおう。


 とにかく今は、一刻も早くこの場を、オイジュス公爵夫妻のそばを離れたい。しかしどこもかしこも似たような風景で、うっかりすると迷いそうになる。たぶん、こっちかな。


 そう考えて、大股に数歩進み出る。そのとたん、金貨よりも小さな白い蝶と出くわした。これは、お父様の式神だ。


「ついてこい、ってことかな」


 そうつぶやいて、蝶に歩み寄る。その白い蝶はくるりと輪を描いて、それから私の横を飛び抜ける。そちらへ振り返ったら、ついてこいとばかりにふわふわと上下していた。


「……どうやら、最初の第一歩から逆に歩いてたみたいね」


 蝶の後を追いかけようと、苦笑しながら歩きだしたその時。


『ローズ……』


 また、あの声がした。後ろから。そちらにあるのはジャスミンの部屋と、さらにその隣の肖像画の部屋だ。


 振り返っても、誰もいない。けれど自然と、私の足はそちらに向かっていた。蝶の式神を置き去りにしたまま。


 そのまま、自分にあてがわれた部屋の前を通り過ぎ、すぐ隣の部屋の前に立つ。さっきの声はここから聞こえていたのだと、不思議なことに私はそう確信していた。


 扉に鍵はかかっていなかった。ためらうことなく開けて、中に入る。


 ジャスミンの部屋は、隣のローズの部屋と、家具も装飾も全て同じだった。でもここには、かつて誰かがここで暮らしていたのだという、そんな空気がどことなく残っていた。


 でも、この部屋の主はもういない。そう思ったら、鼻の奥がつんとした。丁寧に整えられた寝台も、可愛らしい飾り物が置かれた机も、素敵な装飾が施されたクローゼットも、もう誰も使わない。


 長い時を生きる天人だって、寿命は無限ではない。私も、今までに何人かがいなくなるのを経験してきた。でもなぜか、この部屋はとびきり悲しい場所のように思えた。


「ジャスミン……」


 名前を呼びながら、ふらふらと机に向かう。そこに置かれた小鳥の置物が、やけに目を引いたのだ。繊細な銀細工の小鳥が、水晶を彫り出して作った木の枝に止まっている。


 この置物は、ローズの部屋にはなかった。そんなことを思いつつ、ふと小鳥に触れる。


『ローズ、会いたかったわ』


 次の瞬間、とても嬉しそうな声が聞こえた。目の前の銀の小鳥が喋ったように思えた。呆然としながら、言葉を返す。


「……ジャスミン、なの?」


『ええ。生きているうちには会えなかったけれど、ここで待っていればいつか会えるかもって、そう思ってたの。でも疲れて、眠ってしまって……』


 死者の魂が、思い入れの深い物に宿ってこの世界に留まることがある。でもそうやって不自然な形で留まり続けると、魂は少しずつ力を失っていく。力を失った魂はやがてまた眠りについて、そのまま天に召されていくのだ。


 私たち天人は、みなそのことを知っている。つまりジャスミンの魂は、もう消える直前だったのだ。


『でも、さっき懐かしい気配がして……きっとこれはローズだって思ったから、一生懸命に呼びかけたの。会えて嬉しいわ』


「えっ、でも、私はきっとローズじゃないわ」


『いいえ、あなたはローズよ。生まれる前から一緒にいた私が言うんだから、間違いないわ。あなたにだって、分かるでしょう?』


「それは……」


 戸惑いつつも、否定できなかった。確かにこの声の相手は、私ととても近しい人物なのだと、そう感じていたから。


 それにもう一つ、裏付けとなりそうな事実があった。双子は、とても良く似た魂を持っている。きっと、私が近くに来たことでジャスミンの魂は揺り動かされ、ほんの少しだけ力を取り戻したのだろう。


 そうして彼女は目を覚まし、私に呼びかけてきた。そう考えれば、納得がいく。私がローズだということも、彼女が語っていることも。


 それでもまだ、受け入れられない。私がこの家の娘なのだということを。


 口を閉ざす私に、ジャスミンは優しく問いかけてくる。


『ねえローズ、あなたはどんな暮らしをしていたの? 幸せだった?』


「……ええ、とても幸せよ」


『よかった。ずっとあなたのことが、心配だったの……もっと話していたいけれど……また、眠くなってきちゃった……』


「あの、待って、ジャスミン。もしかしてあなたは、その銀の小鳥の置物の中にいるの?」


『……ええ。病で命を落として、気がついたらここにいたの、よ……』


 そう言い残して、ジャスミンの声は止んだ。どうやら、また眠ってしまったらしい。


「ユリ」


 とたん、声をかけられた。あわてて振り向くと、お父様が一人で立っていた。


「式神に君を迎えに行かせたら、君の様子が変だったからね。追いかけてきたんだ」


 ほんの少し息を弾ませているお父様の青紫の目は、いつになく切羽詰まったような色をしていた。

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