20.オイジュス公爵家にて
さらに一日汽車で旅して、ようやく目的地にたどり着いた。そこは王都に負けず劣らず栄えた、大きな町だった。この町の奥に、オイジュス公爵家の屋敷があるのだ。
ステファニーとハーヴェイと一緒に馬車に乗り、町の中を進む。シオンお父様とダミアンさんは、別の馬車だ。
一晩経ったことで、ハーヴェイも多少なりとも落ち着きを取り戻しているようだった。戸惑いの名残を宿した、それでいて妙に清々しい目で、時々こちらを見てくる。
私に対するひとめぼれの件は解決したような気配がするけれど、この堂々とした態度はどういうことなのだろうか。よく分からない。どういう心境なのだろうか。
開き直ったようなハーヴェイと、そんな彼に困惑する私。馬車の中はぎこちない空気になってしまっていた。それを見かねたのか、ステファニーがいつもよりちょっぴり明るい声であれこれ話している。
「さすが、公爵家のおひざ元ですわね。歴史のある町並みに、とても栄えた……栄え……」
しかしステファニーの声は、しりすぼみになってしまう。私たちは困り顔を向け合って、それから同時に窓の外を見た。
「……なんだか、建物も人も、全体的に薄汚れているような気がするわ……ねえステファニー、古い町ってこういうものなの?」
「いえ、そんなことはないはずですわ……オイジュス家は歴史も格式もある家ですから、なおさら町の治安や清掃については気を配るはずですもの。ハーヴェイ様はどう思われますか?」
「そうだな……俺も、どことなく、すさんだような印象を受ける。ただどうも、こんな風になってからさほど時間は経っていないようだ。薄汚れてはいるものの、建物や道自体はさほど傷んでいないからな」
そんなことを話しながら、私はあることを思い出していた。
前に、ステファニーと町に遊びにいった時、ならず者としか言いようのない男たちにからまれた。
あの後ステファニーは、この町は治安もいいし、あのような人たちが出入りすることはそうそうないのですけれど、と眉をひそめていた。
あの町で出くわした、ちょっとした異変。その異変は、オイジュス公爵が治めるこの地にも広まっているような気がした。
私は人間の町をそうたくさん知っている訳ではないけれど、このすさみ方はおかしいと思う。
そしてステファニーとハーヴェイも、この状況をおかしいと感じているらしい。
あの大舞踏会の日に出会った、オイジュス公爵夫妻の顔を思い出す。
妙にやつれた雰囲気のあの二人は、自分たちの屋敷がある町がこんなことになっていることを知らないのだろうか。まさか、そんなはずはないだろうに。
私たちはそろって首をかしげながら、町の奥へと運ばれていった。
そうして、私たちはとうとうオイジュス公爵家の屋敷にたどり着いた。屋敷はさすがに手入れが行き届いているようで、真っ白な壁がきらきらと輝いているようだった。目に痛い。
ステファニーとハーヴェイは緊張しているのか、二人とも肩に力が入ってしまっている。ダミアンさんはいつも通りに明るくしゃれた笑みを浮かべてはいたけれど、その顔がほんのちょっぴりひきつっているようだった。
お父様だけはのんびりと構えているようだった。でも、その青紫の目は油断なく光っていた。警戒しているような、観察しているような。
「ウラノス家のユリ様ですね。お待ちしておりました」
馬車から降りた私たちを、すぐに執事が出迎える。彼は私の顔を見た瞬間、はっきりと動揺を顔に浮かべた。恐ろしいほどの衝撃を受けているような、そんな表情だった。どうしてそんな顔をするのだろう。
不思議なことは、もう一つあった。そもそも若い娘は私とステファニーの二人いたのに、彼はまっすぐに私のところに向かってきたのだ。
落ち着かなさを感じながら、執事の案内で屋敷の中を歩く。よく手入れがされている立派な屋敷なのに、なんだか空気が重かった。
不安にかられて、隣を歩くお父様をそっと見上げる。お父様は、いつも通りに優しく微笑んでくれた。
それだけで、足取りが軽くなる。きっと面倒なことが待ち受けているんだろうなと確信しながらも、どうにかなると心からそう思えた。それに、ステファニーもいてくれる。ダミアンさんも、あとハーヴェイも。私は、一人ではない。
そうして豪華な扉をくぐると、そこには大舞踏会の時に会ったあの男女、オイジュス公爵夫妻が私を待っていた。私の顔を見るなり、夫人はハンカチを目元に当てた。
「……お招きいただき、ありがとうございます。ところで、話とはいったい何なのでしょうか」
食い入るような目で私を見つめているオイジュス公爵に、ためらいながらもそう声をかける。彼は切なげに目を細め、口を開いた。
「……そうだな。ただ話をしても信じてもらえないかもしれない。こちらに来てくれ」
そう言って、彼は夫人を連れて奥の扉に向かう。首をかしげながら、私たちも彼らの後に続いた。
そして、私は信じられないものを目にした。
誰も、何も言わない。みんながどんな表情をしているのか、確かめることはできなかった。私は、その部屋にかけられた大きな肖像画から目が離せなかったから。
そこに描かれているのは、可憐なドレスをまとった一人の少女だった。かすかに小首をかしげ、こちらをまっすぐに見つめている。ふわふわと広がる金の髪が、華やかに彼女の顔を縁取っていた。
「……わた、し……? ううん、違う……わたしじゃ、ない……」
そんな声が、自然ともれていた。その絵の少女は、私にしか見えなかった。けれど、私ではなかった。
私の目は、ざくろのような赤。でもこの絵の少女の目は、晴れた空のような青。
「そこに描かれているのは、私たちの娘、ジャスミンだ。去年、突然病に倒れ亡くなった」
呆然としていると、オイジュス公爵の声が耳に飛び込んできた。夫人のすすり泣く声も。
「そうでしたか。これはなんとも見事な、他人の空似ですね」
お父様が平然と、どことなく冷たい声で答えている。そんな二人の声が、ひどく遠くに聞こえた。絵の中のジャスミンは、優しく微笑みながら私を見つめていた。
「いや、他人ではないと、私たちはそう考えている。そちらの少女、ユリと名乗る彼女は、ジャスミンの双子の妹、ローズなのだと」
予想もしていなかった言葉に、ただ立ちすくむ。私が、この絵の少女の妹で、この家の娘?
ありえない話ではない、のかもしれない。私は、人間の世界で捨てられていた。公爵家の娘が捨てられているという事態がどうやっても想像がつかないけれど、でも、もしかしたらそんなこともあるかもしれない。
足の下の床がなくなってしまったような、そんな心もとなさに襲われる。ジャスミンから目をそらして、お父様のほうに歩み寄った。オイジュス公爵夫妻の視線から逃れるように、お父様の背中に隠れる。
「……お父様……私は、お父様の娘、ですよね」
お父様以外に聞こえないよう、消え入るような声でささやく。お父様は私を見て、力強くうなずいてくれた。けれど、不安は消えてはくれなかった。
ゆっくりと、お父様はオイジュス公爵に向き直る。オイジュス公爵が、心なしかひるんだように見えた。
「どうして、そう思われるのです? 彼女がローズだと、どうして確信しているのでしょうか。そもそも彼女は、捨て子でした。公爵家の娘が捨てられることなど、ありえませんね」
切り返すお父様の声は、恐ろしく冷ややかだった。まるで抜き身の刃物のようなその声に、オイジュス夫人が涙にぬれた目を見張り、半歩後ろに下がる。
オイジュス公爵が険しい顔をして、視線をさまよわせた。私とお父様を交互に見て、それからジャスミンを見る。しばしためらってから、彼は重苦しく告げた。
「……まだ赤子だったローズを、ジャスミンとそっくりの赤子だったあの子を捨てたのは、私たちなんだ」




