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奴隷の帝王~無能な奴隷に転生した最強ヤクザの最底辺からの成り上がり~  作者: 三太華雄
第五章 抗争編

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境界線

 日本にいた頃の輝也の日常は、至って平凡だった。

 神社の息子として生まれたとはいえ、特別なことなど何もなく、せいぜいクラスメイトに弄られる程度。

 友達がいないわけでもないし、スポーツが得意というわけでもない。

 女の子にモテることもなく、かといって不満があるわけでもない。

 ごく当たり前の日常だった。

 だからこそ、異世界に転移したと気づいた時は、胸が高鳴ったものだ。


 異世界での生活は、まるで読んでいたライトノベルのようで、すべてが新鮮だった。

 ……だからこそ、自分の感覚が狂っていたことに気づけなかったのだろう。


 日本にいた頃は、たとえ相手が悪人でも、殺していいなどと考えたことはなかった。

 危険を感じれば真っ先に迂回し、面倒事が起きれば巻き込まれないようやり過ごしていた。


 アニメや漫画で主人公が敵を殺すシーンや、ニュースで人が殺されたという話も、これまで何度も目にしてきた。

 だが、そのたびに何かを感じることはなかった。

 それは、あくまでフィクション、あるいは自分とは無関係な出来事だと、どこかで割り切っていたからだ。

 だが今になって気づかされる。

 その感覚のずれで、自分が当事者になってもそれに気づけていなかったのだと

 そして今、ティア・マットによって、無理やり現実へと引き戻されていた。


 今、目の前の拘束された女性を殺すために、輝也は包丁を手にしていた。

 選んだ理由は、一番 簡単(らく) に殺せると思ったからだ。


 棍棒で殴れば、悲鳴を上げるかもしれない。

 ロープで首を絞めれば、苦しむ顔を間近で見ることになる。

 素手で殴れば、その感触が手に残る。


 そのどれもが、“人を殺している”という実感を突きつけてくる。

 その点、包丁ならば一突きで終わるかもしれない。


 剣で斬ったことはある。だから大丈夫なはずだ。

 そう思って手に取ったはずの包丁だったが、震える手ではまともに扱うことすらできない。


 それに包丁は短く、斬るのではなく刺すため、剣よりもはるかに感触が伝わる。

 そしてなにより包丁は、日本で最も身近な凶器でもあった。

 自分もかつて、この世界に来る前に包丁で怪我をしたことがある。


 その時は指先を切った程度だったが、それでも血が溢れ、ひどく動揺したのを覚えている。


 だからこそ、包丁で刺される痛みが容易に想像でき、それが逆に恐怖を掻き立てていた。


 ――こいつは悪人なんだ。殺されて当然だ。


 そう何度も、何度も言い聞かせる。

 だが、実際に彼女が悪行に及ぶところを見たわけでもないし、言葉を交わした時も不審な点はなかった。

 だから、どうしても悪人だとは思えなかった。


 それでも、この女性を殺さなければここから解放されない。仲間も危機にさらされている。

 時間が経つにつれ、徐々に思考が麻痺していく。

 やがて、すべてがどうでもよくなり始めた。

 それに伴い、動かなかった足が、わずかに軽くなる。


 輝也の足が、一歩、また一歩と女性へ近づく。

 やがて、その場で立ち止まり、彼女を見下ろした。

 女性は声にならない声で、必死に首を振ると、そこで、再び躊躇いが生まれる。


 ――もう、何も考えるな。さっさと終わらせるんだ。


 荒い呼吸を無理やり整えながら、包丁を逆手に持ち替える。

 そして、その場に膝をつくと、両手で強く握り締め、勢いよく振り上げた。


「うわあああああああああああああああああああああ!」


 何も考えないように、叫びながら振り下ろす。

 狙いも定めずに振り下ろされた包丁の刃は、まっすぐ彼女の首へと向かっていった。


 ……しかし、その刃は直前で止まった。


 気づけば、振り下ろした手首をティアマットに掴まれていた。


「……え?」


 何が起こっているのか理解できないまま、輝也はティア・マットの方を見る。

 すると彼は、輝也の手から包丁を外すように取り上げ、そのまま静かに立ち上がった。


「まだ酒も飲めねえようなガキに、本当に殺しをやらせるほど腐っちゃいねえよ。……だが、これで分かっただろ?人を殺すってのが、どういうことなのか」


 そう言ってティアマットは、小さく笑うと包丁を投げ捨てた。


 包丁が床に落ちた音に、輝也はハッと我に返る。

 そして汗まみれになっている自分の両手を、まじまじと見つめた。


 ――俺は今、人を殺そうとしていた……?


 その実感が湧いた途端、再び手が震え始める。

 そして気づく。今の状況は、つい先ほど自分が口にした言葉と、まったく同じだということに。


 『生きるために仕方なく殺す』『悪人は殺されて当然』


 そう言い続けてきたはずなのに。

 それは、まるで別の事のように感じられた。


「どうだ?人を殺すってのは怖えだろ?だからこそ殺すには覚悟がいる。そしてここが、いわば現実と非現実、表と裏の境界線だ。もしここでこの女を殺せば、お前は人を殺した事へ自覚で、二度と表には戻ってこれなくなっていただろうな。」


 その言葉に輝也は思わず唾を飲んだ。

 確かにそれだけのことをしようとしていたんだと今ならわかる。

 人を殺しておいて、いつも通りの日常を過ごすことなど、日本にいた事なら到底かなわない事だ。


「……だが、それでいい。その自覚ができたという事は()()真っ当に生きている証拠だ。」


 そう言って葉巻を取り出し、火をつける。

 そして、自分に背を向けて煙を吐き出した。


「……お前は俺と違って、真っ当な道も選べるんだ。なら、迷わずその道を選べ……俺は自分の意思で道を踏み外したからな……」


 ぽつりと零されたその言葉を、輝也は無言のまま見つめる。

 自分と同じくらいの年齢、自分よりも低い背丈。

 そしておそらく自分よりも弱いはずのその背中が、どうしようもなく大きく見えた。


 やがて葉巻を吸い終えたティアマットは、それを床に捨て、踏みつけて火を消すと、ゆっくりとこちらへ振り返った。


「じゃあ、行くとするか。」

「え?」

「せっかく同郷と出会えたんだ、聖剣ができるまで、時間があるから少しくらい話に付き合え。」


 そう言われると、輝也は未だ呆然としたまま、黙ってティアマットの後をついていった。





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