自覚と覚悟
「お前、人を殺している自覚があるのか?」
ティア・マットの言葉に、輝也は一瞬、心臓が大きく跳ねたような感覚に襲われた。
「も、もちろんだ」
わずかな動揺を滲ませながらも、輝也は即座に答える。
そんなことは、当然分かっている。
人を殺すという行為が、どれほど重いものなのか。
だが、この世界は日本とは違う。
争いが当たり前で、人間同士だけでなくモンスターも存在する。
生きるためには、戦わなければならない。
そして争う以上、相手を殺してしまうことも仕方がない。
「なら、初めて人を殺したときの感触は? 殺した相手の表情は?」
「え……」
重ねられた問いに、今度は言葉を詰まらせた。
初めて人を殺した時のことは、覚えている。
クエストの途中で遭遇した山賊を、仲間と共に戦い、剣で斬り捨てた。
だが相手の顔や、その時の感触を思い出そうとしたところで、思考が止まる。
……浮かばない。
相手の表情も、目も、何一つとして。
あの時、自分は相手の顔を見ていなかった。
いや、あの時だけではない。他の相手の時も、魔法など遠距離からの攻撃で、まともに見ていない。
その事実が、相手の指摘を肯定しているように思え、輝也の胸に焦りが込み上げてくる。
そんな輝也の様子を見て、ティア・マットが口を開いた。
「そういうことだ。お前は剣や魔法といった、元の世界にはない 非現実 な力を使っているがゆえに、人を殺しているという実感を持っていない。お前にとってこの世界はゲームと一緒だ。」
「ち、違う! お、俺だって人を殺す重みは分かっている!だけどこの世界は、日本みたいに平和じゃない! やらなきゃ殺される世界なんだ!だから、襲ってくる相手を殺すのは仕方がな――」
「それは、この世界で生きてきた奴らの理屈だ。生まれた時からそういう常識しか知らない、この世界の住人たちのな。かすり傷に怯え、転ぶことすら許されない。そんな過保護な国で生きてきたお前が、そんな簡単に割り切れるはずがないだろう。」
言い返す言葉を失った輝也に対し、ティア・マットはさらに言葉を重ねていく。
「もちろん、元の世界でも殺しても平気な奴もいる。だがそいつらは、ちゃんと人を殺したことを自覚している。自覚した上で、それでも人を殺している。お前との違いは、そこだ」
「で、でも……俺が斬ったのは、殺されても仕方がないような悪人たちだ。それに、俺だって戦っている以上、殺される覚悟は持っている……」
輝也は何とか反論を絞り出す。だが、その言葉をティアマットは鼻で嗤った。
「殺される覚悟がある、だと? フッ……俺には到底そうは思えないがな」
「な、なんだと⁉」
「お前はこの世界に来た時点で、自分が力を持っていることを知っていた。そして、その強さも自覚している。お前が戦えているのは、殺される覚悟があるからじゃない。ただ“死なない自信”があるから戦えているだけだ。」
ティアマットは一歩踏み込むように言葉を重ねる。
「もし、お前の実力が一般人程度だったとしたら……盗賊相手に、同じように立ち向かえたか?」
「そ、それは……」
輝也は再び言葉を詰まらせた。
「な、ならあんたはどうなんだ⁉ あんただって、俺と同じ転生者なんだろ?転生してきたなら、力を手に入れているはずだ。なのにお前は、その力を使って悪の組織を立ち上げて――その力で今までにどれだけの人間を殺してきたんだ⁉」
追い詰められた輝也は、話題を逸らすように問い返す。
だが、その言葉を聞いたティアマットは、わずかに眉を顰めた。
「なんだ、その馬鹿な質問は? いちいち数えているわけないだろ。」
「なんだと⁉」
「殺した数なんて数えてねえ。だが、その代わりにどういった人間を、どんな理由で殺したかは覚えている」
ティア・マットは淡々と言い切る。
「命の重さってのは、人の生き様で変わる。惰性で生きてる奴と、必死に生きようとしてる人間の命が、同じ重さなわけねえだろ。そして、命を奪うってことは殺した奴の命を背負うって事だ。命の重さも分からねえ奴が、簡単に人の 命 取ってんじゃねえよ。」
「……っ⁉」
自分とは違い、迷いのない答えを返してきたティア・マットに、輝也は思わず怯みを見せた。
「……まあ、そこまで言うなら。確かめてやるよ。お前の覚悟って奴を。」
「……え?」
そう言ってティア・マットが指を鳴らすと、輝也がこの部屋にやってきた転移陣が再び起動する。
そこから男が二人現れ、腕と足を拘束された若い女性を引きずるように連れてくると、輝也の前へ無造作に放り投げた。
「こ、この女性は――」
その顔に、見覚えがあった。
彼女は、宿で働いていた従業員の一人だった。
「そいつは、宿の従業員をしながら、裏では娼婦の真似事をしてな。宿に泊まった男どもを誑かし、眠ったところを殺して金品を奪ってきた犯罪者だ。俺たちの世界で言えば、強盗殺人――極刑ものだろうな。お前のさっきの言い分なら、そいつも殺せるはずだ。……さあ、やってみろ」
命じられ、輝也はその女性を見下ろした。
女性は涙を流し、拘束された手足を懸命に動かしながら、逃れようともがいていた。口に布を詰められ塞がれているものの、その必死な姿に助けを求めているのが分かる。
――この人を……殺す?こんな女性を、俺が……?
「ちなみに使うのはあれだ。」
そう言って指を指された先には、包丁、ロープ、そして棍棒などが置いてあった……
「剣や魔法と言った架空の様なものじゃなく、当日本でも簡単に手に入るような凶器ばかりだ。本当ならバットや鉄パイプでもあれば良かったんだがな。まあそれで代用できるだろう。当然素手で殺しても構わない、モンスターや暗殺者をやるよりよっぽど簡単だろ?」
輝也は動けなかった。
そう、やることは、いつもと同じはずだ。
なのに、どうしてこうも体が動かない。
気づけば、体は小刻みに震えていた。
「ちなみに、逃げようと思うなよ?今お前の仲間のところには、メーテルを向かわせている。お前が逃げれば殺すように指示してある。」
「な⁉」
「別に、焦る必要はないだろう。今までの様に殺ればいい。簡単だろ?ついでにてめえらが保護してるガキにも今後一切関わらないよう約束してやろう。だから早く殺れ。」
――……そうだ。この女性は悪なんだ。それに、殺さなきゃ代わりに皆が殺される。だから、殺すしかない。
この女性を殺す理由はいくらでもある。
それなのに、どうしても一歩が踏み出せない。
徐々に輝也の呼吸は荒くなり、やがて過呼吸に陥っていく。
逃げ出したい。
夢なら覚めてほしい。
だが、どれだけ待っても、この時間は終わらない。
輝也は助けを求めるようにティアマットの方を見るが、赤にも似たその瞳で無言のまま見つめ返されるだけだった。
吐き気が込み上げ、意識さえも薄れていく。
輝也は時間をかけて、ようやく包丁を手に取る。
するとさらに呼吸は乱れ、心臓の鼓動が嫌になるほど大きく響いた。
そして、震える手で落とさないよう両手で包丁を握り締めると、よろよろと女性の方へ歩き出した……




