裸の付き合い
「あ、あの……」
「なんだ?」
「俺たち、敵対していましたよね?」
「そうだな」
「なら、どうして今、二人で風呂に入っているんでしょうか?」
湯船に浸かりながら、輝也は隣にいるティア・マットへ、おそるおそる尋ねた。
なぜか今、自分はティア・マットと二人きりで、誰もいない露天風呂に入っている。
戦意を喪失した輝也は、そのままティア・マットに従ってついて行き、いくつもの転移陣をくぐった。
すると、そこにはこの世界では初めて目にする、広々とした露天風呂が広がっていた。
そして流されるままに入浴し、現在に至る。
「話に付き合えと言っただろう」
「はい、それは分かっているのですが……どうして場所がお風呂なんですか?」
「腹を割って話をするなら、“裸の付き合い”って言うだろう?ここじゃ俺もお前も立場はない。お互い今はただの日本男児だ。」
そう言いながら、ティアマットは当たり前のように隣で湯に浸かっている。
一方で輝也は、つい先ほどまでの状況を考えれば、とても受け入れられるものではなかった。
ティア・マットは見た目だけなら、恐れるような相手ではない。
緋色と呼ばれる明るい髪色と、吸い込まれるような紅の瞳が特徴的で、むしろ、男であっても思わず目を引くような整った容姿をしている。
だが、その話し方と纏う雰囲気、そして背中に刻まれた龍の刺青が、この男がどういう人間なのかを雄弁に物語っていた。
「それで聞きたいんだが、お前は、どういう経緯でこの世界に来たんだ?」
「は、はい、実は――」
輝也は、日本でどのような人間だったのかを簡単に話し、その後、この世界に来るまでの経緯を説明した。
「……なるほどな。当時の西暦は何年だった?」
「二〇二五年でしたね」
「俺が死んだのは二〇一〇年だからそこまで時間のズレはないか。……それで、何か大きな出来事はあったか?」
「えーと、そうですね――」
輝也は、自分の覚えている限りの出来事を語る。
「……色々あったんだな。まあ、十五年も経てば当然か」
「はい。特に印象的だったのは、震災とパンデミックですね。」
話しているうちに緊張も解けていったのか、気がつけば輝也の口調も、先ほどよりいくらか柔らいでいた。
その後もしばらく、日本での他愛もない話が続く。
意図的なのかは分からないが、ティア・マットはこの世界でのことには触れてこなかった。
そのおかげか、輝也の言葉も次第に滑らかになり、気づけば警戒心はほとんど消えていた。
「ところで、僕からも聞いていいですか?」
「ああ、その為に風呂に来てんだ。遠慮なく聞け。」
「ティア・マットさんは――」
「ティアでいい」
「はい。じゃあティアさんは、やはりトラックに引かれて?」
「俺は覚えていないが、どうやらそうらしい。」
ティアが肯定すると、輝也も年相応の好奇心を浮かべた表情を見せた。
「やっぱり!じゃあ、女神様に出会ったり、転生特典をもらって転生したんですか?」
「いや――お前も薄々勘づいてるとは思うが、俺は前世じゃヤクザでな、その罪の禊ってやつで、無能として転生させられた。物心ついた時から十年ほどは奴隷として暮らしていた。」
「え……」
「その後は他の奴隷を煽って、見張りの兵士を殺して脱走してしばらくは商人の家族と一緒に、カタギとして旅をしていたが……染みついたもんは、生まれ変わっても取れねえらしく、結局こうしてこの世界でもヤクザをやってる」
輝也は、ティアの生い立ちを聞き、言葉を失った。
本人は平然と語っているが、その内容は自分が思い描いていた“異世界転生”とは、あまりにもかけ離れている。
そして今の話を聞いたことで、これまでのティアの言葉の重みが、より一層増したように感じられた。
「……そんな過去があって、今まで辛くなかったんですか?」
「別に。極道になった時点で、普通の生活なんて捨てたようなもんだ。それが生まれ変わっても続いてるだけだ」
淡々と語るティアに、輝也は自分との違いを思い知らされる。
そして、ふとした疑問が頭に浮かんだ。
「そういえば、ティアさんは前世ではどうやってヤクザになったんですか?――あ、いえ……ヤクザの知り合いなんていなかったので、どういう経緯でなるのか少し興味があって……あ、言いにくい話なら大丈夫ですけど」
「別に構わない。今さら別世界の話を隠す必要もないからな。」
そう前置きするとティアは語り始める。
「ヤクザってのは、基本は伝手で組員を紹介してもらってなるもんだ。だが、俺の場合は少し特殊でな」
「特殊?」
「ああ。俺は十五の時に組の関係者を殺したことで、逆に組と繋がりができて、そのまま盃を交わした」
そう話すと、ティアは天井を見上げ、どこか遠くを見るような目で続ける。
「幸い、殺した相手が組からも追われてた奴だったのが救いだったが……その時に兄貴分だった人に、色々叩き込まれてな。死ぬほどどつき回されて、人を殺したってことを嫌でも自覚させられた。おかげでしばらくは肉も食えず、何日もうなされたもんだ」
ティアは当時のことを思い出したのか、小さく笑みを浮かべる。
だが、その内容はとても笑えるような話ではなかった。
「……だが、最終的には全部承知の上で、その世界に踏み込んだ。……今、お前にやってるのは、その時に教わったことの焼き直しだ」
そう言うと、ティアは視線をこちらへ向け、まっすぐに見つめてくる。
その視線に耐えきれず、輝也は思わず目を逸らし、俯いた。
「……俺はこれからどうすればいいんでしょうか?」
おそらく、もう以前のようには戦えないだろう。
だが、戦いをやめれば、今の仲間たちに幻滅されるかもしれない。
そう考えると、冒険者をやめるという選択にも、どうしても躊躇いがあった。
「俺は一度戦いから離れろと忠告したはずだ……だが、最終的どうするかは自分で決めろ。」
ティアは静かに続ける。
「今のお前は命の重さを知っている、それでもなお戦うと言うのなら、もう止める理由はない。ただ、俺の邪魔をするなら今度は容赦はしないつもりだ。」
そう言うと、ティアは背中の龍の刺青を見せつけるように立ち上がる。
「半端な覚悟でいれば、すべてが半端で終わる。それは極道の世界でも同じだ。何の覚悟もなく裏の世界に足を踏み込んで、そのまま半端に死んでいく……そういうやつを、俺は腐るほど見てきた。……そうなるくらいなら、表で生きたほうがいい」
それだけ言い残すと、ティアは一足先に風呂場を後にした。
「覚悟……」
刺青の刻まれた背中を見送った輝也は、ひとりになった浴場で小さく呟き、改めてその言葉の意味を考える。




