第四十一話 囚人たちと信頼と
ラグス達はもう一つの石柱に阻まれた扉も開け、部屋の中に入ったあたりでディックから強い制止をされ立ち止まっていた。
その部屋の中央には見目麗しい装飾がなされた剣が空中に浮いており、少し遠目から観れば非常に高価なものであろうと判断できる代物であった。
ラグスはこれまでのいくつかの危機から学んだのか、その剣に飛びつくような愚挙を冒さなかったのは進歩と言える。しかし実際のところは、現在手持ちのコインに多少余裕があったことと柱を破壊するのに体力を消耗していることがラグスが飛びつかなかった主因であるが……
そんなラグスとそれ以外の二人がディックを見ると、ディックは疑惑の表情で真剣な目をして部屋を眺めていた。
「この部屋、おかしくないか?」
しばらくしてディックが他の三人に問った。ラグス達の目には部屋の中央に剣が浮いていること以外おかしいと感じる要因は特になかったのでそれぞれが首を横に振る。
三人からの否定を受け、ディックが訝しげに眉を傾げるが他の三人の意見よりも自分の勘を優先したのか、軽く腰を落とし探索の体勢に入った。それをみてディックの邪魔にならないようにわずかに下がる三人。
罠を調べる行為は傍から見ればおっかなびっくりしながら歩き、周囲をキョロキョロしているだけのように見えた。言い換えれば、一人でお化け屋敷を探索しているような、心霊スポットに一人で近づいているようなある種の可笑しみを感じるものである。
ラグス達はそれを真剣な目で見ながら口元が緩んでいた。しかし、それも無理もないことではあった。これまでディックは難しい罠も解除や回避が出来ていたのだから、罠に関してはディックに一任しておけば問題は起こらないであろうという厳しい言い方をすれば油断して、人間関係で言えば信頼をしていたからである。
一瞬でラグス達の表情が驚愕に変わる。目の前からいきなりディックの姿が消え、周囲が暗くなったからである。
「ディック!」
ラグスが飛び出そうとするのをザグンが咄嗟に止める。
「離せ!この!」
ラグスが激しく抵抗するが、ザグンが強く引きとめる。状況がわからないのに飛び出すのは二次被害が起こる可能性を否定できなかったからである。ザグンがラグスを引きとめながらロイを見る。
ロイの表情がめまぐるしく変わる。ロイの思考が高速で回転し始めたようだ。
ロイはまず制御器を発動させ、土属性の魔法である熱した金属を呼び出す。それによって周囲を松明ほどではないが明るくすることができた。この魔法は本来であれば熟練度がもっと高くなければ発動が難しいものであるが、制御器に補助されることで発動ができたのである。
ロイの知識の中には罠に関するものは少ない。術式に関係するいくつかの罠を知っている程度だ。しかも魔法使いと術式刻印者との関係上、どうしても知識は偏っている。罠に関連するスキルも持っていない。やはりそれはディックのような専門家からみれば劣ってしまうことは致し方がなかった。
臍を噛むような表情がロイに浮かぶ。もっと知識を得ていればこのような事態に陥ることはなかったのではないか。もっと即座に改善できるものであっただろう。そんな推測ばかりが頭をよぎっていたのか頭を軽く振り、周囲の状景を確認し始める。
ザグンも周囲を見回すが、力で解決することはできなさそうである。唇を噛みながらラグスをとどめ続ける。
ラグスはすぐにでもディックがいた辺りまで移動して確認したかった。これまで共に歩んだ、まだ深くは知らないがそれでも見知ったものの命が危機にさらされているのであるからラグスにとってなぜザグンがいかせてくれないのかと歯痒い思いであった。
ロイが不意に天井を見る。そして愕然とした表情を浮かべる。
「まさか!」
その部屋の天井には細かな装飾がなされていた。中央の華美な剣に気を取られ、これまでを乗り越えてきたという慢心ともいえるものが目を塞いでいたといえる。その細かな装飾は全て術式であった。そしてロイの知識が示すその術式の形は隠し扉のそれと同じものであった。
入口近辺以外の天井全体を覆う程の隠し扉用の術式、消えたディック。この二つから類推するのはたやすかった。
「落とし穴!」
隠し扉用の術式、それは一見壁にみえるように幻術を発動させる。しかし、それは触感はなく手を突き出せばすり抜ける。それを床に発動させればどうなるか、考えるまでもないであろう程単純なこと。しかし、普通は隠し扉に用いる程度の術であり、それ以外に使用することはあまりない。だからこそ隠し扉用の術式は複数あり、探索難度に段階が置かれている。迷宮探索ギルドが行っている既知の罠に関する簡単なレクチュアにおいても床に隠し扉用の術式を用いた説明はない。ディックを消したこの罠はコスト度外視の悪辣ともいえる使用方法であった。
落とし穴、単純なその罠は落ちる距離によって危険度は比較級数的に上昇する。通常であれば四メータル程の穴があり、その底には槍や剣などの鋭利な刃物を天井に向けて突き出し、落ちてきたものを殺傷をするのであった。
ラグスがザグンの手をすり抜け、ディックが消える直前の所まで移動する。床にしゃがみ込み手を床に伸ばすと手が床にのめり込む。今度は床に寝そべり、床に顔を突き込む。
その動作まで見て取り、あわててザグンがラグスの体が穴に落ちないように支える。
ラグスが穴の中を覗きこむがあまりの深さに底が見えない。そして当然ディックの姿も。手を伸ばしても底に届かないその穴はまるで深淵を覗き込んでいるかのようであった。
「ちくしょおおおお!」
ラグスの痛恨の絶叫が辺りに響き渡り、木霊が返ってくる。ラグスは唇から血が滲むのもかまわず下唇を噛んでいる。
さっきまで話をしていた仲間が不意に消えた。またも守ることができなかった。あまつさえ、その直前まで笑みを浮かべていた。その表情は後悔という嵐がラグスの心を抉り続けているかのようであった。何度も何度も手を床に砕けよとばかりに叩き突け、手の皮が剥け血が流れ出てくるほどであった。
そんなラグスを見ていたザグンが訝しげな表情を浮かべた。ラグスが立てる騒々しい音に混じって何か聞こえた気がしたのである。それをよく聞くためにラグスを制止するとラグスは鬼のような形相でザグンを睨みつけた。
一瞬の静寂の後微かに何かが聞こえる。それは呼び声のようでもあった。それをラグスも聞いたのか睨むのをやめ音に集中する。
「ぉーぃ」
小さいがそれは確かにディックの声であった。全員がそれを認め床に寝そべり床に頭を突きいれて再度確認するように耳をすます。そうするとまたディックの声が聞こえてきた。
「ディック!生きているのか!」
それを是とするディックの返答があり、安堵する三人。しかし、今すぐに合流するのは難しいことはすぐにわかる。いくら助かったとはいえ、このままディックを一人にしておくのは危険すぎる。どうにかして合流しなければならない。
「俺はできるだけ上の階に上るから何とか下に降りてきてくれないか!」
「できるだけ早く合流するから、なんとか持ちこたえてくれ!」
そうディックが告げ、ラグスが全力でそれに返答をした。
急いでその場を後にする三人であった。
三人が立ち去った部屋で怪しく剣が光っていた。
ディックの周囲には深い池と呼ぶのが正しいのか大きな水たまりというのが正しいのかがあった。そしてその中をディックは立ち泳ぎしていたのである。
「くそっ、俺としたことが……」
そんな愚痴がつい口をつく。
そんなことをいっても詮無い事とばかりに頭を振る。水は冷たく、このままでは体力が急激に奪われる。何とか岸に上がる必要があった。
しかし、水によって松明は消え、明かりはまったくない。またこの池のようなものがどれほどの広さなのかがわからない。そしてどちらに行けばいいのかがわからない。一番大きな点は水生のモンスターがいるかもしれない。ないものづくしここに極まるといった状態であった。
しかし、ラグス達はこちらに向かってくれるという言葉を信じて行動するしかなかった。
ラグス達が誠実に行動してくれるとは限らないのに、その点に関しては疑いもしていない自分に一瞬呆れた。囚人迷宮にきて明らかに変わってきている自分がおかしく感じたのである。
「俺ともあろうものがこんなことを思うなんてな」
複雑な表情を浮かべながらそんなことを言うディック。
とりあえず正面に向けて泳ぎ始める。二十メータルほど進むと足が床をつく。なんとか岸に近づいているようで安心する。
一番心配していたのはこの空間が実はすべて深い水で覆われていたらというものであった。なんとか立ち上がり腰の辺りまである水をかき分けながら進む。水によって脚に負荷がかかるためにそれはひどく重労働であった。
しかし進まなければ始まらないし、下手をすれば終わってしまうという危機感も相まってなんとか進み続ける。進めど進めど一向に水かさが減らない。
そして足に何かが当たった。一瞬体が跳ね、恐る恐る足であたったものを確認する。
壁がそこにあった。
壁を右にしながらバサバサと盛大に水音を立てながら進む。ふいにディックが立ち止まった。手を当てていた壁がなくなったからである。
それでも水はなくならない。どうやらこの階層は水に覆われた階層であるらしい。
立ち止まったディックの耳に水音が右側から聞こえてきた。
ディックは背にしていた弓を手にとり、音がする方向に矢を番えた。きりきりという弓を引き絞る音と蛇のようなシューシューという複数の威嚇音が耳にはいる。
明かりがないことにより視界と水のせいで動きは制限され、さらに防具はない。そしてこちらの武器は弓と短剣だけである。落ちてきた距離から考えていままでよりも深い階層にいることは判っていた。相手が何にせよ、そんな制限下で複数を一人で対処しなければならない。
「これは本格的にやばい……な」
戦闘の予感をひしひしと感じながらディックはそう独り言をいうのであった。




