第9話 明かされない真相
【処刑まで――あと19日】
カーン、と甲高い音が中庭に響く。
翌朝、朝食を終えた俺は、中庭で日課の薪割りをしていた。
斧を振り下ろしながらも、頭の中を占めているのは昨日の毒殺未遂事件のことだった。
追悼の晩餐会で、聖女アウロラの杯に毒が盛られた。
アウロラとエリシアの仲が険悪なのは事実だ。周囲の貴族たちは、ここぞとばかりにエリシアを犯人扱いし、憎悪と悪意の視線を向けていた。
(だけど……だからといって、エリシアが毒を盛ったとは思えない)
俺の心の中にあるのは、その直感だけだった。
処刑の時まで、あと19日しかない。
エリシアを幸せにするために、俺には何ができるのだろうか。昨日の冷ややかな群衆の中で、たった一人で毅然と立っていた彼女の姿を思い出す。
(何かしないといけないのに……)
柄を握る手にぐっと力を込めた、その時だった。
「精が出るわね」
背後からかけられた声に振り返ると、いつものように完璧に着こなしたドレス姿のエリシアが立っていた。
俺はふうっと息を吐き、斧を下ろす。
「エリシア」
少しだけ躊躇ってから、俺はずっと言いたかったことを口にした。
「昨日のこと……俺は、エリシアじゃないと思ってる」
エリシアは少しだけ目を伏せ、静かに答えた。
「……そう」
「聖女様とは仲が悪いんだろ?」
「ええ。聖女は目障り極まりないわ」
さらりと恐ろしいことを言う。いつものエリシアらしい、辛辣で容赦のない言葉だ。
「でも、だからって毒を盛るとは思えない」
俺がまっすぐに見つめると、彼女はふっと視線を外した。
「……犯人に心当たりはあるのか?」
俺の問いに、エリシアは中庭の木々へ視線を向ける。
「敵は、そこら中にいるわ」
そして、どこか遠くを見るような、冷たいけれど哀しげな響きを含んだ声で言った。
「……シンイチ。どうであれ、目の前にあるものが真実になってしまうことがあるのよ」
その言葉の意味が、俺にはよく分からなかった。言い訳もせず、弁明もせず、ただ残酷な事実だけを受け入れているような響きがあった。
「俺にできることはないか?」
俺は思わず一歩踏み出していた。
「何でもいい。少しでも何か……」
「無いわね」
即答だった。
見事なまでに切り捨てられ、俺は少し拍子抜けする。ただ、その突き放すような響きの裏に、俺という部外者をこれ以上危険な事態に巻き込みたくないという、彼女なりの不器用な線引きがあるような気もした。
エリシアは足元の薪の山に目を落とした。
「……だいぶ様になってきたわね」
そう言って、割られた薪を一つ拾い上げる。
「だろ?」
俺は少し得意になって胸を張った。
「最初は一日かかったけど、今なら午前中には終わらせられるようになったんだ」
「そう」
エリシアは拾い上げた薪をコトンと落とすと、積まれたままの丸太の山に向かって、ゆっくりと白い手をかざした。
ドン!!
ものすごい衝撃音が響いたかと思うと、積まれていた丸太の半分が一瞬でパカンと割れ、綺麗な薪の山を作った。
「……はぁ」
俺は持っていた斧を取り落としそうになった。
「一秒で終わりかよ」
「そうね」
「いや、お前、本当に何でもできるんだな……」
俺が呆然と呟くと、エリシアは事もなげに言った。
「魔法は単純に力があれば使えるわけではないわ。生まれ持った魔力量もそうだけれど、適性や、緻密な制御のための鍛錬も必要なのよ」
「へえ……魔法って便利そうに見えて、案外苦労するんだな」
「ええ、当然よ」
「俺のいた世界には魔力なんてなかったからな。その代わり、指先一つで何でもできる『スマホ』って便利なものがあったよ」
「すま?」
初めて聞く単語に、エリシアが小さく首を傾げる。
「スマホ。んーと……四角い板みたいなもんで、そこに全部入ってる。遠くにいる人と話したり、ゲームしたり、もの買ったり」
「……板?」
「なんて言うか、説明が難しいな」
俺は苦笑した。異世界の公爵令嬢にスマートフォンを説明するのは、魔法を理解するより難しいかもしれない。
スマホのことを考えていると、ふと、向こうの世界に残してきた家族の顔が浮かんだ。
「シンイチの親御さんも、心配していると思うわ」
俺の表情の変化を読み取ったのか、エリシアが静かに言った。
「そうだな。……まあ、案外向こうは向こうでどうにかなってるんじゃないかな。俺がいなくても」
少しだけ強がって見せた俺に対し、エリシアは真剣な瞳で首を横に振った。
「そんなことはないわ。きっと心配している」
そして、ほんのわずかに声を落とす。
「親とはそういうもの……じゃないかしら」
そのどこか寂しげな横顔を見て、俺はずっと胸につかえていた疑問を口にしていた。
「あ……エリシア。一ついいか」
彼女が振り返る。
「エリシアのご両親は、本当に事故死なのか」
風が、中庭の木々を揺らした。
エリシアは少しの間沈黙した後、淡々と口を開いた。
「そう処理されてるわね」
彼女の口から語られたのは、不自然な事実だった。
両親は議会の帰りだったこと。
なぜか、いつもとは違うルートを通っていたこと。
その途中で馬車が谷へ転落し、護衛の兵士たちも皆、誰一人助かることなく一緒に亡くなったこと。
「違うルート?」
「ええ。理由は分からない」
エリシアの青い瞳が、すっと細められる。
「だから、私は信じてはないの」
(昨日の毒事件も……)
俺は思考を巡らせる。
(エリシアの両親の事故も……全部、偶然なのか?)
明確な証拠なんてない。推察できるほどの知識も情報もない。
ただ、この世界に来てからずっと感じている「何かがおかしい」という得体の知れない違和感だけが、冷たく背筋を撫でていった。
考え込んでいた俺に、凛とした声が降ってきた。
「シンイチ」
エリシアが、まっすぐに俺を見ていた。
「……昨日、私のことを信じてくれてありがとう」
俺は少し照れくさくなって、頭を掻く。
「別に。まだ何も分かってないけど」
「それでもよ」
エリシアは、ほんのわずかに……本当にわずかにだけ、口元を綻ばせた。
普段の冷たく張り詰めた仮面がふっと崩れた、年相応の柔らかい微笑み。
その表情を見た瞬間、俺の中で何かがすとんと腑に落ちた。
神様から押し付けられた『この子を幸せにしなければならない』という使命感。それだけじゃない。
俺はただ、この不器用で、誤解されやすくて、それでも一人で立とうとするこの少女を――信じたいのだ。
少しだけ柔らかくなった空気の中、エリシアがふいに俺の足元を指差した。
「さあ、薪割りの続きをやりなさい」
「え?」
俺は綺麗に山積みになった薪を見る。
「さっき全部終わったじゃん」
「あれは別よ」
エリシアはすまし顔で言い放った。
「あなたが割ってないからね」
「えぇ……」
無慈悲すぎる宣告に、俺は肩を落とす。そして、切実な思いで叫んだ。
「魔法の使い方教えてくれえええ!」
「無理ね」
一刀両断だった。
「あなたの魔力、その辺の虫けらより低いわ」
「虫けら以下!?」
俺の情けない悲鳴が、穏やかな朝の中庭に響き渡った。
【処刑まで――あと19日】




