第7話 面白いもの
【処刑まで――あと20日】
あの日から、二日が経った。
朝からヴァルグレイヴ家の屋敷は、普段とはまったく違う空気に包まれていた。
次々と行き交う馬車。慌ただしく駆け回る使用人たち。見上げるほど巨大な花飾りや、豪奢な調度品が次々と運び込まれていく。
俺は一昨日エリシアからもらった白いシャツと黒いズボン、そして赤いマントを身にまとい、廊下の隅でその様子を眺めていた。
ふと、普段より上等な装いをしたマリーが通りかかる。
「なんか手伝おうか?」
声をかけると、マリーは足を止め、淡々とした顔で首を振った。
「エリシア様のお側にいたほうがよろしいのでは?」
その言葉に、俺は少し戸惑った。
どうやら今日は「ただの居候」ではなく、エリシアの正式な客人として扱われているらしい。
俺は一つ息を吐き、邪魔にならないよう自分の部屋へ戻った。
『明後日は面白いものが見られるわよ』
一昨日の夜、「王様とかも来るのか?」と尋ねた俺に、エリシアは薄く笑ってそう言った。
こんな重々しい追悼の会で、一体何が面白いというのだろうか。
◇
追悼式が行われる大聖堂に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
高い天井。そこから降り注ぐ光を受けて輝く、巨大なステンドグラス。
そして、聖堂内を埋め尽くす無数の白い献花。
前列にはきらびやかな正装に身を包んだ貴族たちが並び、周囲は厳かな空気に包まれている。
「……すごいな」
映画やゲームの中でしか見たことのないような光景に、ただ圧倒される。
そして、祭壇の中央に掲げられているもの。
あれが、エリシアの父親の形見だという『宝剣レヴァンテイン』。
遠目からでも、その剣が放つただならぬ威圧感のようなものが肌を撫でた。
やがて、人々の視線が一箇所に集まる。
エリシアだ。
喪服を基調とした、黒く格式の高いドレス姿。
漆黒が彼女の金糸のような髪を際立たせている。だが、その表情は能面のように静かだった。
「まだ17歳なのに、両親を亡くして半年でしょう?」
「ヴァルグレイヴ家も大変ね」
「ええ。あんなんじゃエリシア様の代でおしまいね」
「それにしても、あの冷たい態度……」
「王太子殿下との婚約もどうなることか」
周囲の貴族たちから、ヒソヒソと声が聞こえる。
同情に紛れ込ませた、明らかな悪意と陰口。
だが、エリシアはそれらを完全に無視し、来客に対して一切の隙がない所作で礼儀正しく挨拶をこなしている。
(……なんなんだよ)
俺は内心で小さく苛立った。
その時、聖堂がにわかにざわめいた。令嬢たちの空気がふわりと華やぐ。
「あ……王太子殿下よ」
「今日もなんて凛々しいお姿……」
護衛の騎士団を従えて現れたのは、金髪の青年だった。
凛とした顔立ちに、清潔感があり、いかにも優しく誠実そうな雰囲気をまとっている。
(……イケメンだな。あれが王太子か)
男の俺から見ても、非の打ち所がない好青年だ。
エリシアの婚約者でもある。
王太子はエリシアの元へ歩み寄ると、静かに口を開いた。
「……お父上とお母上のこと、心よりお悔やみ申し上げる」
エリシアも「もったいなきお言葉です」と淡々と頭を下げた。
だが、二人のやり取りはまるで他人のように、それだけだった。
王太子は祭壇へ進み、祈りを捧げると、エリシアとはそれ以上言葉を交わすことなく離れていった。
「……婚約してるんだよな?」
思わず小さく呟く。
婚約すれば、それだけで幸せになれるわけじゃないのか。
王太子が離れ、二人の様子を見ていた周囲の貴族たちの間で、陰口がさらに大きくなっていく。
追悼式の主役が客と言い争うわけにもいかないのだろう。そう自分を納得させようとしても、一方的に言われ続けている彼女の姿を見ていると、どうしようもなく苛立ってくる。
その時だった。
「また会いましたね。シンイチさん」
ふいに横から声をかけられ、俺は驚いて振り返った。
銀白色の長い髪に、氷のように透き通る青い瞳。白いヴェールをまとったその姿は、周囲の誰よりも清らかで、神聖な雰囲気を放っていた。周囲の貴族たちも、彼女には一目置いているのがわかる。
聖女、アウロラ。
「少し外の空気を吸いませんか?」
彼女は、俺の苛立ちを見透かしたような目でそう言った。
正式な客人として抜け出していいのかと一瞬迷ったが、この淀んだ空気に耐えきれず、俺は小さく頷いた。
◇
案内されたのは、聖堂の裏手にある静かな中庭だった。
中央には噴水があり、心地よい水の音が周囲の喧騒を遮断してくれている。
「……息が詰まりそうだったんだ。ありがとう」
俺が本音をこぼすと、アウロラはふわりと微笑んだ。
「ここでの生活にも慣れてこられたようですね」
アウロラの視線が、俺の羽織っている赤いマントに向けられる。
「そうかな。……あ、この前はありがとな。街でチンピラに絡まれた時、助けてくれて」
俺が素直にお礼を言うと、アウロラは首を横に振った。
「いえ、お気になさらずに」
その穏やかな空気に少しだけ救われた気がして、俺はずっと気になっていたことを尋ねた。
「エリシアの両親って、どんな人だったんだ?」
アウロラは少しだけ考えるように目を伏せ、やがて静かに口を開いた。
「お二人とも、とても立派な方でした。ヴァルグレイヴ家の当主として、何よりも国の平和を大切にしていらっしゃいましたから」
「国の平和……」
「領民からの信頼も厚かったんですよ」
(領民からも慕われていた……)
俺は眉をひそめた。
その娘であるエリシアが、なぜあんな冷たい扱いを受けているんだ?
「それにしても、嘆きの洞窟へ一人で行かれるなんて無茶をされますね……」
「――ッ」
突然の言葉に、俺は明確に驚いて身構えた。
(なんで、知ってる……?)
俺が警戒を強めたのに対し、アウロラは答えをはぐらかすように微笑んだまま、すっと俺に手を向けた。
手のひらから、柔らかな光が溢れる。
エリシアの放つ、戦うための強くて鋭い光とは違う。柔らかく、ただひたすらに温かい光。
その光が体を包むと、洞窟で負ってから微かに残っていた傷の痛みが、嘘のようにすっと消えていった。
これが、聖女の力。
癒やし終えたアウロラは、真っ直ぐに俺の目を見た。
「このままエリシア様のお側にいるのは危険です」
その声音は、ひどく真剣だった。
「あなたの身も危ない」
(この人は……エリシアや俺について何か知っている?)
俺は迷った。
30日後にエリシアが死ぬこと。それを、この聖女に相談すべきなのだろうか。
彼女であれば何か教えてくれそうな気がした。
「あのさ……」
俺が言いかけた、その時だった。
「……何してるのよ」
背後から、氷点下の声が響いた。
振り返ると、中庭の入り口にエリシアが立っていた。追悼式の主役である彼女が、参列者を放置してこんな所にいるはずがないのに。
彼女の青い瞳が、俺とアウロラを冷たく射抜いている。
「あら、少しお話ししていただけですわ」
アウロラは笑顔を崩さない。だが、二人の間に流れる空気は、触れれば火傷しそうなほど険悪なものだった。
「シンイチ。こんな女と何してるのよ」
エリシアが苛立たしげに吐き捨てる。
「気分転換にお誘いしただけですわ。殿方にも休息は必要でしょう?」
「人の家の庭で勝手な振る舞いをしないでちょうだい。目障りよ」
「……それは失礼いたしました」
アウロラは意味深な笑みを浮かべたままだ。俺には二人の会話に割って入る隙などなかった。
エリシアは最後に、俺の顔をじっと見つめた。
怒りとも、焦りともつかない、読めない視線。
そして「行くわよ」とだけ言い残し、聖堂へと戻っていった。
エリシアが去った後、アウロラは少し申し訳なさそうに俺を見た。
「ごめんね。最後に一つ」
そう言うと、彼女は俺の手を取り、小さな星型の折り紙のようなものを握らせた。
「お守りのようなものです」
「これ……?」
「もし、この先、本当に困った時に開けてください」
アウロラはそれ以上詳しいことは説明しなかった。ただ静かに一歩下がり、頭を下げる。
「では、あなたにも幸運があらんことを」
聖女はそれだけ言い残し、静かに聖堂へ戻っていった。
一人残された中庭。
俺は手のひらの星型の折り紙を見つめ、そっとポケットにしまった。
アウロラは、一体何を知ってるんだ。
聖堂の中から、人々が歓談する声が微かに聞こえてくる。
エリシアの言う『面白いもの』が何なのかは、まだ分からない。
俺は噴水に背を向け、再び重い扉の向こうへと歩き出した。
【処刑まで――あと20日】




