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第4話 命がけの幸福論

【処刑まで――あと27日】


 翌朝。裏庭に、カーン、と小気味よい音が響く。


 狙いすました一撃で、太い丸太が綺麗に真っ二つに割れた。


「……よし」


 額の汗を拭い、俺は斧を置いた。


 異世界に来てから、薪割りだけは随分と上達した気がする。


 ただし、生活に慣れてきたからといって、気持ちまで落ち着いたわけではない。


 ――昨夜の『お前も殺す』が、まだ耳に残っていた。


 エリシア・フォン・ヴァルグレイヴ。


 この屋敷の主であり、三十日後に処刑される悪役令嬢。


 そして、俺の命を握っている少女だ。


 彼女を幸せにしなければ、俺も死ぬ。


 そう神様に告げられたからこそ、俺はこの世界で生きるために動いている。


 だが、肝心の彼女は、俺を殺すと宣言した。


 ……いったい、どう報告すればいいんだ。


 それに、昨日の聖女アウロラの言葉も気になっていた。


 ――やはり、お告げ通り、神様の――。


 あの続きを聞く前に、エリシアが現れたせいで話は途切れてしまった。


 何か重要なことを言いかけていたように思うが、今は確かめようがない。


 考え込んでいても仕方がない。


 俺は斧を持ち直し、次の丸太に狙いを定めた。


 カーン。


 乾いた音が、朝の裏庭に響いた。


◇


 エリシアを幸せにする。


 言葉にするのは簡単だが、具体的に何をすればいいのだろう。


 彼女は公爵令嬢だ。金も、地位も、屋敷もある。俺が元いた世界の高校生とは、生活水準が違いすぎる。


 高級な食事を用意すれば喜ぶのか。綺麗な花を贈ればいいのか。それとも、彼女の望みを何でも叶えればいいのだろうか。


 そもそも、彼女は俺に幸せにされたいと思っているのか。


 昨日の態度を思い出す限り、答えは限りなく否に近い。


 ただ、ひとつだけ確かなことがある。


 あの夕方、硬いパンにかじりついた俺を見て、彼女は年相応に笑った。


 ほんの一瞬だったけれど、あの笑顔は確かに本物に見えた。


 ――あの笑顔を、もう一度見たい。


 まずは、彼女の好きなものを知るところから始めよう。


◇


「マリー。エリシアの好きなものって、何か知らないか?」


 廊下で見かけたマリーに尋ねてみた。


 彼女は一瞬だけ俺を見て、それからいつものように表情を引き締めた。


「――私からエリシア様について、シンイチ様に申し上げることは何もございません」


「……そうか」


 予想していた答えとはいえ、取りつく島もない。


 マリーは軽く頭を下げると、そのまま去っていった。


 ならば、別の人に聞くしかない。


 屋敷で働く使用人たちに尋ねて回ると、いくつかの情報が集まった。


 どうやら、エリシアは甘いものと紅茶が好きらしい。


 よし。これなら何とかなるかもしれない。


 俺はさっそく、マリーに頼んで高級なフルーツタルトを調達してもらい、香り高い茶葉で淹れた紅茶と一緒にトレイに載せ、エリシアの執務室へと向かった。


◇


「失礼します」


 ノックをして部屋に入ると、エリシアはデスクの膨大な書類に目を通していた。


 相変わらず冷ややかな空気を纏っているが、その横顔は息を呑むほど美しい。


「何の用かしら、虫けら。今日の薪割りは終わったはずよ」


「まあまあ、そう冷たいこと言うなよ。ほら、これ」


 俺は机の端に、洋菓子と紅茶を置いた。


「街で最近評判の菓子屋の高級フルーツタルトと、一番いい茶葉で淹れた紅茶だ。ちょっと息抜きにどうだ?」


 我ながら、なかなか気の利いた差し入れのつもりだった。


 だが、エリシアはチラリとそれを見ると、冷ややかな鼻息を漏らした。


「いらないわ」


「え? 甘いもの好きだって聞いたぞ」


「誰から聞いたのか知らないけれど、他人が持ってきた得体の知れない食べ物を、私が口にすると思う? 毒が入っているかもしれないでしょう」


「毒っておい! 俺がそんなことするわけないだろ!」


「さあ、どうかしら。神の使いだの何だのと怪しい戯言を抜かす不審者が持ってきたものなんて、毒が入っているのと同じことね」


 一刀両断。


 さらに俺が庭園の薔薇の話を持ち出してみても、「ただの手入れが行き届いているだけの植物よ」と一蹴され、読書の話を振っても「あなたのような無能に勧める本なんてないわ」と完全無視。


 ことごとく作戦は失敗に終わった。


「なんなんだよお前……! 少しは機嫌良くしてくれてもいいだろ!」


「何を勝手に怒っているの? 私はあなたにお菓子を頼んだ覚えもなければ、この部屋に入る許可を与えた覚えもないのだけれど。自分の立場を弁えなさい」


 涼しい顔でそう言い放つエリシアに、俺はすっかり参ってしまった。


 ――やっぱり、この女を「幸せにする」なんて無理ゲーなのではなかろうか。


◇


 それから数日。


 毎朝の薪割りは続き、機嫌取りも同じように失敗した。


 何をしても、エリシアは俺に心を開こうとしない。


 こうなったら、本人に直接聞くしかない。


 俺は意を決して、エリシアの執務室を訪ねた。


「今度は何? また変なものを持ってきたわけじゃないでしょうね」


「違う違う。ひとつ、聞きたいことがあるんだけど」


「何よ……」


「何をしたら、君は幸せになれるんだ?」


 エリシアは手にしていたペンを止め、ゆっくりと顔を上げた。


 青い瞳が、まっすぐに俺を捉える。


「……私を幸せにしたい?」


「ああ。そのために、ここにいるから」


 真っ直ぐに問う俺に、エリシアは少しだけ眉をひそめ、やがて興味がなさそうに視線を書類に戻した。


「そうね……」


 呟き、彼女は静かに言った。


「真紅の魔石を取ってきなさい」


「……しんくの、ませき?」


 聞き慣れない言葉に、俺は思わずオウム返しした。


「ええ。かなり希少な魔石よ」


「それがあれば、お前は幸せになるのか?」


「さあ?」


 エリシアはふっと冷たく笑った。


「あなたが私を幸せにしたいのでしょう? だったら、そのくらいの難題をクリアしてみせなさいよ」


 ふざけているのか本気なのか分からない。


 だが、彼女が「真紅の魔石」とやらに何か特別な意味を持っているのは確かだった。


◇


 その日の夜、俺は公爵邸の巨大な書庫にこもっていた。


 『真紅の魔石』について調べるためだ。


 棚から棚へと分厚い魔導書や地理の資料を引き出し、ページをめくる。


 難解な書物と格闘して何とか得られたのは、真紅の魔石が非常に強大な魔力を宿し、極めて希少であるという情報だ。そしてどうやら、それは『真紅の輝花』という植物に関係しており、『嘆きの洞窟』の奥底に存在するものらしい。


「……『嘆きの洞窟』って……素人の高校生が行っていい場所じゃないっぽいが……」


 本を閉じ、俺は大きく息をついた。


 そこへ、背後からスッと足音が近づいてくる。


「随分と熱心ね、平民」


 振り返ると、そこには淡い橙に染まる蝋燭の火に照らされた、エリシアが立っていた。いつの間にか書庫に入ってきたらしい。


 そして、俺は虫けらから平民に昇格したのだろうか?


「お前が無茶言うから調べてるんだよ。『嘆きの洞窟』だろ?」


「少し頭が働くようになったのね。けれど、あそこがどれだけ危険か、そんなことも知らないの?」


「……え?」


 俺が少し絶句すると、エリシアは当然でしょうと言いたげに小さく鼻を鳴らした。


「欲しいものを手に入れるには、それ相応の対価が必要よ。生半可な知識と覚悟で挑むような馬鹿な真似をすれば、一瞬で命を落とすわ」


「お前……なんでそんなに詳しいんだよ?」


「……さあ。あなたには関係のないことよ」


 そう言い残し、彼女はヒラヒラと手を振って書庫を出て行ってしまった。


 相変わらず人を煽る天才だな、あの女は。


 だが、確かに、俺には魔法の才能も、戦闘経験もない。


 この世界に来てからやったことといえば、薪を割ったり、屋敷の中を歩き回ったりしたくらいだ。


 そんな俺が、危険な洞窟に入って魔石を取ってくる。


 普通に考えれば無謀だ。


 それでも。


 エリシアを幸せにしなければ、俺は三十日後に死ぬ。


 彼女の頼みが意地悪だったとしても、何もせずに諦めるわけにはいかなかった。


◇


 翌日。


 屋敷を出る前に、俺は制服の上から、くたびれた使用人用のローブを羽織った。


 目立つ格好で町を歩くわけにはいかない。


 流石にこれをエリシアに堂々と言うと止められそうだし、一人で片付けて驚かせてやろうという算段だ。


 武器らしい武器もない。魔法も使えない。


 これで本当に大丈夫なのか、という不安はあった。


 それでも、足を止めるわけにはいかなかった。


「シンイチ様?」


 背後から声がした。


 振り返ると、マリーが立っていた。


 彼女の視線は俺の格好を順番に見て、すぐに事情を察したようだった。


「……どちらへ行かれるおつもりですか?」


「ちょっと、嘆きの洞窟まで」


「嘆きの洞窟……?」


 マリーの表情が険しくなる。


「まさか、真紅の魔石を取りに行かれるのですか?」


「……よく分かったな」


「その格好を見れば、察しはつきます」


 マリーは呆れたようにため息をついた。


「危険な場所です。おやめください」


「分かってる。でも、エリシアを幸せにするためなんだ」


 そう答えると、マリーの目がほんの一瞬だけ大きくなった。


 だが、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻る。


「……そうですか」


 彼女はしばらく俺を見つめていたが、やがて腰に下げていた短剣を外した。


「せめて、こちらをお持ちください」


「これは……?」


「護身用のダガーです。何も持たずに行くよりは、ましでしょう」


 差し出されたダガーの柄には、細かな傷がいくつも刻まれていた。


「いいのか?」


「お返しください。必ず」


 マリーの声は、いつもより少しだけ強かった。


「……分かった。必ず返すよ」


 俺はダガーを受け取った。


 ダガーは、ずっしりと重かった。


 これが、俺の初めての武器になる。


 不安は消えない。


 むしろ、これから向かう場所の危険を考えるほど、足がすくみそうになる。


 それでも、進むしかない。


 エリシアを幸せにするために。


 そして、自分自身が生き残るために。


 俺は短剣を握りしめ、嘆きの洞窟へと向かって歩き出した。


【処刑まで――あと24日】


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