第13話 信じるということ
【処刑まで――あと15日】
屋敷の中は、正面の喧騒が嘘のようにしんと静まり返っていた。
暗い廊下を歩きながら、俺は前を進むマリーの背中に向かって声をかけた。
「マリー、何か知ってるなら話してくれ」
マリーは足を止め、ゆっくりと振り向いた。感情の読めない瞳で俺を見つめ、静かに口を開く。
「……エリシア様も私も、やっていません」
「それは分かってる。でも、どうしてそう言い切れるんだ?」
「……エリシア様は、私にとって大切な方だからです」
「それだけじゃ、理由にならないだろ」
「……そうですね」
重い沈黙が、二人の間に流れた。
マリーはそれ以上、何も言わなかった。彼女が何かを隠しているのか、それとも本当に何も知らないのか、今の俺には判別がつかない。
マリーは静かに息を吐くと、背を向けて歩き出そうとした。
だが、数歩進んだところでふと立ち止まり、廊下の壁際に置かれた小さな飾り棚へと手を伸ばした。
カチャリ、と微かな金属音が響く。
彼女がエプロンのポケットから取り出した真鍮製の鍵が、棚の上にそっと置かれた。
「マリー、これ……」
俺が声をかけると、マリーは少しだけ顔をこちらに向けた。
だが、彼女は何も言わず、そのまま静かに一礼し、廊下の奥へと去っていった。
俺はその場に残り、棚の上の鍵を手に取った。
手に伝わる冷たい金属の重み。見覚えのある意匠。
――エリシアの部屋の鍵だ。
無言でこの鍵を置いていったマリーが、俺に何を伝えようとしたのかは分からない。
俺は握りしめた鍵を胸ポケットに押し込み、エリシアの部屋がある二階へと向かった。
鍵穴に鍵を差し込み、静かに回す。カチリと軽い音がして、扉が開いた。
主を失った部屋は、薄暗く、ひんやりとしていた。
整然と並べられた調度品、綺麗に整えられたベッド。いつもの気品ある香水とインクの匂いが微かに漂っている。
部屋の中を見渡していた俺の視線は、窓際の小さな丸テーブルでぴたりと止まった。
そこには、一輪の花が飾られていた。
一輪挿しの小さなガラス瓶に活けられた、深紅の花。
かつて『嘆きの洞窟』へ向かった時、俺が彼女に渡した『真紅の輝花』だった。
花びらは少し萎れかけていたが、花瓶には綺麗な水が張られ、大切にお手入れされていたことがひと目で分かった。
「……捨てて、なかったんだ」
ポツリと、言葉が漏れた。
世間では冷酷無比な悪役令嬢と呼ばれ、自分に逆らう者を切り捨てる冷血漢だと恐れられているエリシア。
だが、彼女はこんな名もない一輪の花を、自室のテーブルに大切に残していたのだ。
胸の奥が、じんりと熱くなる。
アウロラの胸に刺さったダガー。図書室で見つけた赤いバツ印の記録。
疑おうと思えば、疑うための材料なんていくらでもあった。
けれど、証拠がないからといって、俺がこの目で見てきた彼女の姿まで嘘にする必要があるのだろうか。
不器用に言葉を交わした時間、薪割りの時に見せた呆れたような顔、そしてこの花を大切に育てる優しさ。
俺が見てきたエリシアは、絶対に偽物なんかじゃない。
「俺は……エリシアを信じる」
はっきりと、心の中でそう決めた。
もう疑わない。ただ怯えて、誰かが真相を教えてくれるのを待つのもやめだ。
俺が自分の意思で、エリシアを救うために動くんだ。
◇
決意を固めた俺は、すぐに行動を開始した。
マリーから受け取ったローブのフードを深々とかぶり、街の裏通りや酒場を巡って、エリシアが収監されたという『パンデモニウム監獄』について探りを入れた。
裏通りの酒場で尋ねると、カウンターで一人、エールを煽っていた赤髪の男が面白そうに鼻で笑った。
「パンデモニウム監獄だぁ? なんだ少年、あんな物騒な場所を知ってどうする気だ」
「……知り合いが、そこに送られたかもしれないんだ」
「へえ。そいつは運が悪いな」
男は飄々とした態度でグラスを傾ける。
「あん? まさかお前、パンデモニウム監獄に知り合いを助けに殴り込むつもりか?」
「いや、そういう訳じゃ……」
男がこちらに視線を向けた。
「あー?やめとけやめとけ。あそこは王都の遥か北、断崖絶壁に建つ要塞だ。一度入ったら二度と生きて出られねえ、『死を待つだけの場所』だぜ。お前みたいなひ弱な少年が近づく場所じゃねえよ」
「……」
「ま、精々長生きすることだな、少年」
男の言葉に、俺は息を呑む。厳重な警備と高い城壁に囲まれ、一般人が近づくことすら許されない場所らしい。
さらに、街を歩けば、聞きたくもない凶報が嫌でも耳に飛び込んできた。
「聞いたか? あの悪役令嬢、ついに処刑されるらしいぞ」
「ああ、処刑は決まったらしい。ただ、執行日はまだ発表されていないそうだ」
「聖女様を殺したんだ。当然だろう!」
俺は奥歯を噛み締めた。まだ時間は残されている。しかし、いつ処刑が執行されるか分からない。
今の俺の力で、パンデモニウム監獄に乗り込んでエリシアを救い出すなんて不可能だ。警備兵に返り討ちに遭って殺されるか、捕まって終わりだろう。
じゃあ、俺にできることは何だ?
――処刑が執行される前に、真犯人を見つけ出して、エリシアの冤罪を証明する。
それしかない。
事件の真相を暴き、エリシアが無実であることを証明できれば、彼女を正当な手続で助け出すことができるはずだ。
◇
次に俺が向かったのは、惨劇の現場となったアウロラの教会だった。
大教会の敷地内は、聖女の死によって騒然としていたが、俺は巡回する騎士の目を盗み、なんとか教会の使用人や修道女たちに接触して話を聞くことができた。
そこで、ひとつの奇妙な事実が浮かび上がった。
「事件の当日、アウロラ様は『大事な用事があるから』とおっしゃって、周囲の護衛や給仕をすべて下がらせていたのです」
修道女の一人が、不安そうにそう語った。
あの日、聖女の私邸に護衛の騎士もおらず、静まり返っていたのは、アウロラ自身が人払いを命じていたからだったのだ。
さらに別の修道士はこう言った。
「教会側の人間で、エリシア様が正面から入られる姿を見た者はいません」
胸の中に、強い違和感が芽生える。
表向き、激しく対立していたはずのエリシアとアウロラ。
アウロラは自ら人払いをしていた。エリシアが来た姿を見た者もいない。
二人は……密かに会う約束をしていたのだろうか。
俺が知る二人の関係とは、違う何かがあったのではないか?
事件の食い違いを感じ取った俺は、一度屋敷へと戻り、これまでの出来事を整理した。
アウロラの殺害。
エリシアの両親の不審な死。
そして――あの追悼式の晩餐会で起きた、アウロラへの毒殺未遂事件。
それぞれの事件が別々なのか、すべて裏でつながっているのかは分からない。
だが、もし誰かが意図的にエリシアやヴァルグレイヴ家を陥れようとしているのだとしたら、あの毒殺未遂事件こそがすべての始まりだったんじゃないか?
俺は屋敷の中にいた古い使用人を捕まえ、晩餐会の夜のことについて尋ねた。
「あの晩餐会の夜、アウロラ様のテーブルの近くで給仕をしていた奴で、怪しい動きをしてた者とかはいなかったか?」
使用人は少し考え込んだあと、ハッとしたように顔を上げた。
「そういえば……あの毒騒ぎがあった翌日、アウロラ様のお席の給仕を担当していた『ローレル』という女中が、急に仕事を辞めましたな」
「ローレル……?」
「ええ。田舎に帰ると言って、荷物をまとめて出ていってしまいました。実家はたしか、王都の外縁部にある古い農村のあたりだと聞いておりますが……」
ローレル。
彼女が本当に毒を盛った実行犯なのか、ただ事件に巻き込まれて恐ろしくなって逃げ出しただけなのかは分からない。
けれど、彼女があの現場で何か重要な『目撃』をしていた可能性は十分に高い。
俺は使用人からローレルの実家の場所を聞き出し、羊皮紙にメモを取った。
ただ信じて待つだけの時間は、もう終わりだ。
俺は深くかぶったローブの裾をひるがえし、屋敷の裏口へと向かった。
エリシアを救うために。
俺は自分の足で、真相へと続く最初の手がかりを掴みに行く。
【処刑まで――あと14日】




