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一度きりのリボン  作者: 矢満田太郎
第1章:名前の揺らぎと影の少女
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【第8話】 揺れる灯りの下で

風が戻った翌日、街は少しだけ明るさを取り戻していた。

屋台街の提灯はゆっくり揺れ、昨日までの重苦しい空気が嘘のように軽く感じられる。

だが紬の胸の奥には、まだ薄い空白が残っていた。

名前の響きの欠片――「風花」の一部が、まだ遠い。


紬は観察ノートを抱え、古道具屋の前で深呼吸した。

ルクは肩で小さく跳ねるが、いつもの元気はまだ戻っていない。


「紬、今日は少し休んだ方がいい」

蓮が静かに言う。

彼女の声はいつもより柔らかく、紬の胸にそっと触れるようだった。


「休むのは……後で。今は、名前の響きを探したい」

紬はノートを開き、昨日の糸の位相を見返す。

名前を奪う糸の周波数は、他の糸よりも深く、ゆっくりしていた。

その周波数を記録したページは、紬にとって大切な手がかりだった。


紬と蓮は、街の人々に聞き込みを始めた。

昨日見つけた古い切符の半券――そこに書かれた日付と屋台の名前を頼りに、紬は記憶の断片を探す。


「この屋台、昔はここにあったんだよ」

年配の店主が教えてくれた。

紬はその言葉を胸に刻む。


「風花ちゃん、昔ここで迷子になってたよね」

別の店主が笑いながら言う。

紬は驚いて蓮を見る。


「……私、迷子になってたの?」

「うん。おばあちゃんが探してたって聞いたよ」


胸の奥がふわりと温かくなる。

その温度は、名前の響きの欠片に触れたような感覚だった。


紬は観察ノートに書き込む。

「迷子」「提灯の色」「祖母の声」

どれも、名前の響きに繋がる大切な断片だ。


聞き込みを続けていると、ルクが突然肩で震えた。

光が弱く、揺れ方が不規則だ。


「ルク?」

紬が呼びかけると、ルクはかすかに光を揺らした。


「……糸が、また張られてる。昨日のとは違う。もっと細い……もっと深い糸」


蓮が眉をひそめる。

「紡ぎ手が、また動いてるの?」


ユイが風を探るように目を閉じる。

「風はある。でも……風の中に、細い糸が混ざってる」


ミナは拳を握りしめる。

「昨日の大規模な糸じゃない。これは……狙い撃ちだ」


紬は胸の奥が冷たくなるのを感じた。

名前の響きがまだ薄い状態で、狙い撃ちの糸が張られる――

これは、紬にとって危険すぎる状況だった。


糸は街の中心ではなく、紬の周囲にだけ張られていた。

透明で、光の残滓だけが揺れている。

昨日の糸よりも細く、鋭い。


「紬を狙ってる……」

蓮の声が震える。


「名前の響きが弱ってる今なら、奪いやすいってこと?」

真白が紬の手を握る。


紬はステッキを握りしめる。

「……来るなら、受けて立つ」


だが蓮が紬の肩を掴んだ。

「紬、今日は戦わないで。名前の響きが弱すぎる」


紬は蓮の瞳を見つめる。

その瞳は、紬を失うことを恐れているように見えた。


「……でも、逃げたらもっと奪われる」


蓮は唇を噛む。

「紬……お願いだから、無茶しないで」


その言葉は紬の胸に深く響いた。

名前の響きよりも深い場所に触れるような温度だった。


そのとき、糸の中心に小さな影が現れた。

昨日の紡ぎ手とは違う。

もっと小さく、もっと揺れている。


「……誰?」

紬が問いかける。


影は少女の形をしていた。

髪は糸のように細く、瞳はかすかに光っている。

だがその光は、紡ぎ手のような冷たさではなく、どこか怯えたような揺れだった。


「……名前が、ないの」

少女はかすれた声で言った。


紬は息を飲む。

名前がない――それは、存在の輪郭が曖昧になり、世界に触れられなくなる状態だ。


「名前を……返してほしいの」

少女は紬の方へ手を伸ばす。

その手は震えていて、糸のように細い。


蓮が紬の前に立つ。

「紬に触れないで!」


少女は悲しそうに手を下ろした。

「……奪うつもりはない。返してほしいだけ」


紬は胸の奥が痛くなるのを感じた。

名前を奪われた少女――

紡ぎ手の犠牲者なのか、それとも別の存在なのか。


少女は紬の胸の奥を見つめる。

「あなたの名前の欠片……少しだけ、私の中にある」


紬は息を飲む。

「……返せるの?」


少女は小さく頷いた。

「返せる。でも……代わりに、あなたの光を少しだけ貸してほしい」


蓮が叫ぶ。

「紬、ダメ!」


だが紬は少女の瞳を見つめた。

その瞳は、紡ぎ手の冷たさとは違う。

ただ、名前を失った痛みだけが揺れていた。


紬は静かに言った。

「……少しだけなら、貸すよ」


少女は紬の胸に手を伸ばし、名前の欠片をそっと返した。

胸の奥に温かい響きが戻る。

「風花」という響きの一部が、確かに戻った。


少女は光を少しだけ受け取り、糸のように細い体がふわりと揺れた。

「ありがとう……また、会いに来るね」


少女は糸の中に消えた。

あとがき(紬の日記)

名前の欠片が少し戻った。

あの少女は敵じゃなくて、ただ名前を失っただけだった。

返してくれた響きが胸の奥で温かい。

蓮の声が、今日も私を支えてくれた。

明日は少女のことをもっと調べたい。

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