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一度きりのリボン  作者: 矢満田太郎
第1章:名前の揺らぎと影の少女
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【第7話】 風のない夜

屋台街の灯りが落ちると、街は一気に静けさを取り戻した。

その静けさは、いつもの夜よりも重く、どこか張り詰めているように感じられた。


紬は観察ノートを抱え、古道具屋の前で立ち止まる。

胸の奥の名前の欠片はまだ薄く、呼ばれるたびに灯る小さな光が紬を支えていた。

だが今日は、その灯りがいつもより弱い気がした。


「紬、今日は風がないね」

ユイが空を見上げながら言った。

彼女の風は、街の空気の流れを敏感に感じ取る。

そのユイが「風がない」と言うのは、ただの天気ではなく、何かの前兆だった。


「影の気配が薄いのに……空気が重い」

ミナが低く呟く。

彼女の攻撃は影の反応を敏感に拾う。

そのミナが落ち着かない様子を見せるのは珍しい。


真白は紬の手をそっと握った。

「紬ちゃん、今日は無理しないでね。名前の響き、まだ遠いでしょ?」


紬は小さく頷く。

胸の奥の「風花」という響きは、昨日よりさらに遠く感じられた。

蓮が呼んでくれれば戻るが、呼ばれなければ、響きは霧のように薄れていく。


そのとき、ルクが肩で小さく震えた。

光が弱く、いつもの跳ねるような動きがない。


「ルク、どうしたの?」

紬が囁くと、ルクはかすかに光を揺らした。


「……風が止まるときは、糸が張られてる。見えない糸が、街の上に」


紬は息を飲む。

見えない糸――それは、紡ぎ手が大規模な準備をしているときに現れる現象だ。


蓮が静かに言った。

「紡ぎ手が、街全体を覆う糸を張ってる可能性がある。目的は……わからないけど」


ユイは風を探るように目を閉じた。

「空気が動かない。風が流れない。まるで……街が糸で包まれてるみたい」


ミナは拳を握りしめる。

「広域の糸なんて、今までなかった。何かが起きる」


紬は胸の奥が冷たくなるのを感じた。

名前の響きが遠いまま、街全体が糸に包まれる――

これは、紬にとって最悪の状況だった。


屋台街の中心に向かうと、空気がさらに重くなった。

風は完全に止まり、提灯の揺れも消えている。


「紬、上を見て」

蓮が指差す。


紬が見上げると、夜空に薄い光の筋が走っていた。

糸だ。

だが、今まで見た糸とは違う。

透明で、光の残滓だけがかすかに揺れている。


「これは……名前の響きを吸う糸」

蓮の声が震える。


紬は胸の奥がさらに冷たくなるのを感じた。

名前の響きが遠い理由は、これだった。

街全体に張られた糸が、紬の名前の響きを少しずつ奪っていたのだ。


「紬ちゃん、下がって!」

真白が紬の手を強く握る。


だが紬は一歩前に出た。

「……私が行かなきゃ。これは、私を狙ってる」


ユイが叫ぶ。

「紬! 名前が消えたら、君は――」


紬は静かに首を振った。

「消えないよ。呼んでくれる人がいるから」


蓮が紬の名前を呼ぶ。

「紬」


その響きが胸の奥に灯りを戻す。

紬はその灯りを頼りに、ステッキを握りしめた。


街の中心には、巨大な結び目があった。

透明な糸が何十本も絡まり、空中に浮かぶ球体を作っている。

その球体は、紬の名前の響きを吸い込むように震えていた。


「これが……紡ぎ手の新しい繭」

蓮が呟く。


ミナは拳を握りしめる。

「壊すしかない」


ユイは風を集めようとするが、風は動かない。

「風が……使えない……!」


真白は治癒の光を紬に向ける。

「紬ちゃん、名前の響きを守って」


紬はステッキを掲げ、ルクの光を集める。

だが今回は、結びの輪を作るだけでは足りない。

街全体に張られた糸の中心を断つ必要がある。


「ルク、私の名前の響き……全部預ける」

紬は囁く。


ルクは驚いたように光を揺らした。

「紬、それは――危ないよ」


「大丈夫。呼んでくれる人がいるから」


蓮が紬の手を握る。

「紬、戻ってきて。必ず」


紬は頷き、名前の響きを光に乗せた。

胸の奥の「風花」という響きが、ルクの光に吸い込まれていく。

響きが薄れ、紬の胸が空白になる。


だが紬はステッキを振り下ろし、結びの輪を糸の中心に叩き込んだ。


透明な糸が一斉に震え、街を覆う糸がほどけていく。

巨大な結び目が崩れ、光の粒となって夜空に散った。


風が戻った。


ユイが息を吐く。

「風が……戻った……!」


ミナは拳を下ろし、真白は紬の肩を抱く。


蓮は紬の名前を呼ぶ。

「紬」


紬はゆっくりと目を開けた。

胸の奥の響きは――まだ薄い。

だが、完全には消えていない。


「……呼ばれたから、戻ってきた」


紬は微笑んだ。

あとがき(紬の日記)

今日は名前の響きをほとんど預けた。

胸の奥が空っぽみたいで少し怖かった。

でも、蓮が呼んでくれた声で戻れた。

風が戻ったのが嬉しい。

明日は名前の響きを少しでも取り戻す方法を探したい。

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