【第16話】 蓮の胸に残る影
夕暮れの街は、どこか落ち着かない色をしていた。
風は弱く、屋台街の提灯はゆっくり揺れている。
紬は観察ノートを胸に抱え、昨日みなが告げた「蓮を守ろうとして名前を失った」という事実を思い返していた。
胸の奥の「風花」という響きは戻ってきた。
だが、みなの痛みが触れた場所だけが、まだじんわりと熱を帯びている。
蓮の名前の響き――「れん」。
その音が、紬の胸の奥でかすかに揺れていた。
蓮は静かに紬の隣に立ち、空を見上げた。
「紬……今日は、私の記憶を探そう」
紬は頷く。
「うん。みなの痛みを軽くするには、蓮の記憶が必要だと思う」
ルクは肩で小さく跳ねるが、光は弱い。
みなの痛みを支えた影響が残っているのだ。
紬と蓮は、古書館へ向かった。
女主人は二人を見ると、静かに頷いた。
「蓮さんの記憶……みなさんと深く結びついているようですね」
蓮は少し戸惑いながら言った。
「私、みなのこと……覚えてない。でも、胸の奥が痛い。何か大事なことを忘れてる気がする」
女主人は古い記録を開き、紬たちに見せた。
そこには、蓮が幼い頃に描いた絵が貼られていた。
「これ……蓮が描いたの?」
紬は絵を見つめる。
蓮は驚いたように目を見開いた。
「覚えてない……でも、私の字だ」
絵には、蓮ともう一人の少女が描かれていた。
その少女の髪は、みなの絵と同じ色だった。
「蓮……これ、みなだよ」
紬は静かに言った。
蓮は胸の奥を押さえ、震える声で言った。
「私……みなと一緒にいたんだ……?」
女主人は頷いた。
「蓮さんとみなさんは、幼い頃よく一緒に遊んでいました。ですが、みなさんが名前を失った日を境に、蓮さんの記憶も揺らぎ始めたのです」
紬は胸の奥が痛くなる。
蓮はみなの名前が消えた瞬間、みなとの記憶まで奪われてしまったのだ。
■蓮の記憶の場所へ
風の声を頼りに、紬たちは街外れの古い公園へ向かった。
そこは、みながよく遊んでいた場所だ。
蓮はブランコを見つめ、胸の奥を押さえた。
「ここ……来たことがある気がする。でも、思い出せない」
紬は蓮の手を握る。
「蓮、ゆっくりでいいよ。みなの名前が戻ったから、蓮の記憶も少しずつ戻るはず」
そのとき、風がふわりと揺れた。
みなが現れた。
みなは昨日よりも輪郭がはっきりしている。
だが、その瞳はどこか怯えていた。
「……蓮」
みなは蓮を見つめた。
蓮は息を飲む。
「みな……私、あなたのこと……」
みなは胸の奥を押さえ、震える声で言った。
「蓮……あなたを守ろうとしたの。影が来て……名前を呼ぼうとした。でも……呼べなかった。だから……私の名前が消えたの」
蓮は涙を浮かべながら言った。
「ごめん……みな。私、あなたのこと……忘れてた」
みなは首を振る。
「蓮のせいじゃない。忘却の偏りが……私たちを引き裂いたの」
紬は胸の奥が強く揺れた。
みなと蓮は、名前と記憶を奪われたことで離れ離れになったのだ。
その瞬間、公園の奥から黒い糸が伸びた。
紡ぎ手の糸だ。
「紬、危ない!」
蓮が叫ぶ。
糸は蓮の胸の奥に触れようとしていた。
蓮の記憶を奪い、みなの名前を再び消そうとしている。
紬はステッキを握りしめ、結びの輪を描く。
「みな!」
紬は少女の名前を呼んだ。
みなの瞳が強く光る。
名前を呼ばれることで、みなの存在が強くなる。
ユイが風を送り、糸の動きを乱す。
真白は蓮の手を握り、治癒の光で蓮の輪郭を支える。
ミナは糸の根元を切り裂こうとするが、糸は蓮の記憶に反応して避ける。
紬は胸の奥の響きを感じる。
蓮の記憶は、みなとの絆そのものだった。
「蓮、記憶はあなたのものだよ。でも、私が支えるから」
紬は静かに言った。
蓮は涙を浮かべながら頷いた。
「紬……お願い」
紬は結びの輪を糸の中心に叩き込んだ。
輪は糸の位相を崩し、糸は自らの張力で絡まり合う。
蓮の記憶が、胸の奥に戻っていく。
糸は崩れ、影は消えた。
蓮は紬を見つめ、かすかに微笑んだ。
「……紬。私、みなのこと……少しだけ思い出した」
みなは蓮の隣に立ち、静かに言った。
「蓮……ありがとう。私、あなたを守れてよかった」
蓮は涙を流しながら言った。
「みな……ごめんね。ありがとう」
みなは風の中に消えた。
戦いが終わった後、紬は蓮の隣に座り、静かに言った。
「蓮……みなとの記憶、少し戻ったんだね」
蓮は頷いた。
「うん。でも……まだ全部じゃない。みなは、もっと大事なことを隠してる気がする」
紬は蓮の手を握り、静かに言った。
「一緒に探そう。みなの記憶の続きを」
蓮は紬の手を握り返し、強く頷いた。
「うん。絶対に」
あとがき(紬の日記)
蓮の記憶が少し戻った。
みなは蓮を守ろうとして名前を失った。
胸の奥が強く揺れた。
蓮の痛みも、みなの痛みも、まだ続いている。
明日はみなが隠している“最後の記憶”を探したい。




