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一度きりのリボン  作者: 矢満田太郎
第2章:失われた名と痛みの記憶
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【第15話】 みなが守ろうとした名前

曇り空の夕方、街はいつもより静かだった。

風は弱く、屋台街の提灯はほとんど揺れない。

紬は観察ノートを胸に抱え、昨日みなが語った「守ろうとした誰か」のことを思い返していた。


胸の奥の「風花」という響きは戻ってきた。

だが、みなの痛みが触れた場所だけが、まだじんわりと熱を帯びている。

それは、みなの記憶の奥にある“誰か”の名前が、紬の中に残っている証だった。


ルクは肩で小さく跳ねるが、光は弱い。

みなの痛みを支えた影響が残っているのだ。


「紬、今日は“みなが守ろうとした名前”を探そう」

蓮が静かに言った。

その声は、紬の胸の奥の空白にそっと触れるようだった。


「うん。みなの痛みの続き……必ず見つけたい」


紬はノートを開き、昨日の記録を見つめる。

みなが守ろうとした“誰か”――

その名前の響きだけが、みなの胸の奥に残っている。


紬と蓮は、再びみなの家へ向かった。

家の前の空気は昨日よりも重く、影が濃く見える。


ユイが風を探るように目を閉じる。

「紬、今日は……風がざわざわしてる。何かが近い」


真白は紬の手を握り、治癒の光を揺らした。

「紬ちゃん、名前の響き……まだ不安定だからね」


ミナは家の影を見つめながら言った。

「みな……今日、何か思い出す気がする」


紬は深呼吸し、家の扉を押した。


家の奥の部屋は昨日よりも明るかった。

みなが描いた絵の色がさらに濃くなり、輪郭がはっきりしている。


「みなの記憶が戻ってきてるんだ」

蓮が言った。


紬は絵を見つめる。

その中には、昨日見た“最後の光”の絵の隣に、新しい絵が貼られていた。


それは――誰かの後ろ姿だった。


「これ……誰?」

紬は絵に触れようとする。


その瞬間、ルクが肩で震えた。

「紬、気をつけて! これは……名前の記憶だよ!」


紬は手を引っ込める。

絵の後ろ姿は、みなが守ろうとした“誰か”の記憶だった。


そのとき、部屋の影がゆっくりと形を変えた。

みなが現れた。


みなは昨日よりも輪郭がはっきりしている。

だが、その瞳は深い悲しみを宿していた。


「……来てくれた」

みなは紬を見つめる。


紬は一歩近づく。

「みな、この絵……あなたが守ろうとした人なの?」


みなはゆっくり頷いた。

「うん。でも……名前が思い出せない。呼べなかったから……消えちゃったの」


蓮が息を飲む。

「呼べなかった名前は、響きを失って消える……」


みなは胸の奥を押さえ、震える声で言った。

「その人を守ろうとしたの。影が来て……名前を呼んで助けようとした。でも……名前が出てこなかった。だから……私の名前が消えたの」


紬は胸の奥が痛くなる。

みなは“誰かを守ろうとして”名前を失ったのだ。


「みな……その人の名前の響き、少しでも覚えてる?」

紬は静かに尋ねる。


みなは目を閉じ、胸の奥を押さえた。

「……ひとつだけ。響きの最初の音だけ……“れ”」


紬は息を飲む。

「れ……?」


蓮が目を見開く。

「紬……その響き、どこかで聞いたことない?」


紬は胸の奥が熱くなる。

「れ……蓮……?」


みなはかすかに頷いた。

「そう……その人の名前は、“れ”から始まるの。私は……蓮を守ろうとして名前を失ったの」


蓮は息を止めた。

「……私?」


みなは涙を浮かべながら言った。

「蓮を守ろうとしたの。影が蓮を狙って……名前を呼ぼうとした。でも……呼べなかった。だから……私の名前が消えたの」


紬は胸の奥が強く揺れた。

みなの痛みは、蓮を守ろうとした後悔だった。


その瞬間、部屋の奥から黒い糸が伸びた。

紡ぎ手の糸だ。


「紬、危ない!」

蓮が叫ぶ。


糸はみなの胸の奥に触れようとしていた。

痛みの記憶を奪い、みなの名前を再び消そうとしている。


紬はステッキを握りしめ、結びの輪を描く。


「みな!」

紬は少女の名前を呼んだ。


みなの瞳が強く光る。

名前を呼ばれることで、みなの存在が強くなる。


ユイが風を送り、糸の動きを乱す。

真白はみなの手を握り、治癒の光でみなの輪郭を支える。

ミナは糸の根元を切り裂こうとするが、糸は痛みの記憶に反応して避ける。


紬は胸の奥の響きを感じる。

みなの痛みは、蓮を守れなかった後悔そのものだった。


「みな、痛みはあなたのものだよ。でも、私が支えるから」

紬は静かに言った。


みなは涙を浮かべながら頷いた。

「……紬」


紬は結びの輪を糸の中心に叩き込んだ。

輪は糸の位相を崩し、糸は自らの張力で絡まり合う。


痛みの記憶が、みなの胸の奥に戻っていく。

糸は崩れ、影は消えた。


みなは紬を見つめ、かすかに微笑んだ。

「……ありがとう。紬。蓮を守れなかった痛み……少しだけ軽くなった」


みなは風の中に消えた。


戦いが終わった後、紬は膝をつき、深く息を吐いた。

胸の奥の「風花」という響きは、まだ薄いが、確かに存在している。


蓮は紬の隣に座り、静かに言った。

「紬……私、みなに守られてたんだね」


紬は蓮の手を握る。

「蓮……みなはあなたを守ろうとして名前を失ったんだよ」


蓮は目を閉じ、震える声で言った。

「私……みなのこと、覚えてない。でも……胸の奥が痛い。たぶん……忘れたくなかった記憶なんだと思う」


紬は蓮の肩に手を置き、静かに言った。

「蓮、みなの記憶……一緒に取り戻そう」


蓮は紬の手を握り返し、強く頷いた。

「うん。絶対に」

あとがき(紬の日記)

みなが守ろうとした名前は“れ”から始まっていた。

蓮を守ろうとして、みなは名前を失った。

胸の奥が強く揺れた。

蓮の痛みも、みなの痛みも、まだ続いている。

明日は蓮と一緒に、みなの記憶の続きを探したい。

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