【第14話】 みなが見た「最後の光」
曇り空の朝、街はどこか沈んだ色をしていた。
風は弱く、屋台街の提灯はほとんど揺れない。
紬は観察ノートを胸に抱え、昨日みなが見せた“痛み”の余韻を思い返していた。
胸の奥の「風花」という響きは戻ってきた。
だが、みなの痛みが触れた場所だけが、まだじんわりと熱を帯びている。
それは、みなの記憶の奥にある“何か”が紬の中に残っている証だった。
ルクは肩で小さく跳ねるが、光は弱い。
みなの痛みを支えた影響が残っているのだ。
「紬、今日は“みなが失った記憶”の続きを探そう」
蓮が静かに言った。
その声は、紬の胸の奥の空白にそっと触れるようだった。
「うん。みなの痛みの正体……もっと知りたい」
紬はノートを開き、昨日の記録を見つめる。
みなの名前を呼んだ瞬間に走った痛み――
それは、ただの共鳴ではなく、みなが“最後に見た光”の記憶だった。
紬と蓮は、再びみなの家へ向かった。
昨日よりも空気が重く、家の前の影が濃く見える。
「紬、気をつけて。今日は……糸の気配が強い」
ユイが風を探るように目を閉じる。
真白は紬の手を握り、治癒の光を揺らした。
「紬ちゃん、名前の響き……まだ不安定だからね」
紬は深呼吸し、家の扉を押した。
家の中は昨日よりも暗く、奥の部屋だけがかすかに光っていた。
その光は、みなが描いた絵の色が戻っている証だった。
「ここ……みなの記憶が強い場所だ」
蓮が言った。
紬は奥の部屋へ進む。
そこには――みなが描いた最後の絵があった。
絵は、みなが名前を失う直前に描いたものらしい。
色は薄く、輪郭は揺れている。
だが、中央に描かれた“光”だけが強く輝いていた。
「これ……何の光?」
紬は絵に触れようとする。
その瞬間、ルクが肩で激しく震えた。
「紬、触っちゃダメ! これは……痛みの記憶だよ!」
紬は手を引っ込める。
絵の光は、みなが名前を失った瞬間に見た“最後の光”だった。
蓮が絵をじっと見つめる。
「みなは……名前を奪われる瞬間、何かを見たんだね」
紬は胸の奥が締めつけられる。
「それが……痛みの正体?」
そのとき、部屋の影がゆっくりと形を変えた。
みなが現れた。
みなは昨日よりも輪郭がはっきりしている。
だが、その瞳は深い悲しみを宿していた。
「……来てくれた」
みなは紬を見つめる。
紬は一歩近づく。
「みな、この絵……あなたが名前を失った瞬間に見た光なの?」
みなはゆっくり頷いた。
「うん。あの日……私は、誰かの名前を呼ぼうとしたの。でも、声が出なかった。呼べなかった。だから……名前が消えたの」
蓮が息を飲む。
「呼べなかった……?」
みなは胸の奥を押さえ、震える声で言った。
「私、誰かを守ろうとしたの。影が来て……その人の名前を呼んで、助けようとした。でも……名前が思い出せなかった。呼べなかった。だから……私の名前が消えたの」
紬は胸の奥が痛くなる。
みなは“誰かを守ろうとして”名前を失ったのだ。
「みな……その人は誰?」
紬は静かに尋ねる。
みなは首を振る。
「思い出せない。でも……その人の名前の響きだけが、胸の奥に残ってる。だから私は……名前を探してるの」
紬は胸の奥が熱くなる。
みなの痛みは、誰かを守れなかった後悔だった。
その瞬間、部屋の奥から黒い糸が伸びた。
紡ぎ手の糸だ。
「紬、危ない!」
蓮が叫ぶ。
糸はみなの胸の奥に触れようとしていた。
痛みの記憶を奪い、みなの名前を再び消そうとしている。
紬はステッキを握りしめ、結びの輪を描く。
「みな!」
紬は少女の名前を呼んだ。
みなの瞳が強く光る。
名前を呼ばれることで、みなの存在が強くなる。
ユイが風を送り、糸の動きを乱す。
真白はみなの手を握り、治癒の光でみなの輪郭を支える。
ミナは糸の根元を切り裂こうとするが、糸は痛みの記憶に反応して避ける。
紬は胸の奥の響きを感じる。
みなの痛みは、誰かを守れなかった後悔そのものだった。
「みな、痛みはあなたのものだよ。でも、私が支えるから」
紬は静かに言った。
みなは涙を浮かべながら頷いた。
「……紬」
紬は結びの輪を糸の中心に叩き込んだ。
輪は糸の位相を崩し、糸は自らの張力で絡まり合う。
痛みの記憶が、みなの胸の奥に戻っていく。
糸は崩れ、影は消えた。
みなは紬を見つめ、かすかに微笑んだ。
「……ありがとう。紬。痛みが……少しだけ軽くなった」
みなは風の中に消えた。
戦いが終わった後、紬は膝をつき、深く息を吐いた。
胸の奥の「風花」という響きは、まだ薄いが、確かに存在している。
蓮が紬の肩を抱く。
「紬……本当に、よく頑張った」
紬は静かに頷く。
「みなは……誰かを守ろうとして名前を失ったんだね」
ユイは風を揺らしながら言った。
「その“誰か”って……誰なんだろう」
真白は紬の手を握る。
「紬ちゃん、その人を見つければ、みなの痛みはもっと軽くなるよ」
ミナは遠くを見つめながら言った。
「みな……その人の名前の響きだけは覚えてるって言ってたよね」
紬は胸の奥の響きを感じながら、静かに言った。
「みなが守ろうとした“誰か”……探さなきゃ」
あとがき(紬の日記)
みなの痛みは、誰かを守れなかった後悔だった。
名前を呼んだ瞬間、胸の奥が強く揺れた。
みなが守ろうとした“誰か”を見つけたい。
蓮の声が、今日も私を支えてくれた。
明日はその“誰か”の手がかりを探したい。




