08:水をもらった
「ルリカ、起きろ」
サカキのよく通る声に呼ばれ、ルリカは薄く目を開けた。
「……サカキ?」
ぼんやりとした視界に、破れた壁紙と薄汚れた天井が映る。頭がひどく重い。視線をずらすと、しゃがみ込んで自分を見下ろすサカキの黒い瞳がすぐ近くにあった。
「よく眠ってたな。もう昼過ぎだ」
薄く笑ってサカキは言った。
「水が出る場所が近くにあった」
「みず?」
「そう。五分ほど先」
サカキはルリカの隣りに腰を下ろすと、二十センチほどの楕円形の果実を取り出した。それをナイフで半分に切ると、器用にその分厚い皮をむき始める。切り口から果汁がしたたり、甘酸っぱい匂いがたちこめた。
ルリカはその様子を見ながらシュラフを小さくたたみ、自分のサックにしまった。
きれいに皮をむいた果実をルリカに渡し、サカキはもう半分の皮をむき始めた。
「ありがとう」
橙色のその果実をほおばると、口の中にさっぱりとした甘酸っぱい風味が広がる。食料が手に入りにくい彼らにとって、この果実は主食であり命をつなげる水分補給であった。分厚くかたい皮のおかげで、実をもいでも一か月は腐らないため、採れるだけ取ってリュックサックいっぱいに持ち歩いている。
「そろそろ出かけよう」
果汁でべとべとした手をズボンの横でふきながら、サカキは立ち上がった。
新しい寝床に着くたび、必ず周辺の地理を確認していた。逃げ道の確保、危険な建物、水場の有無など、必要なことを把握して安全性を確かめる。
「荷物持ったか?」
サカキが振り向くと、ルリカは小さくうなずいた。リュックと腰にさげたサック。二人とも荷物はこの二つだけだが、これが全財産である。盗られないように、二人で出かけるときはどんな近場でも必ず持ち歩くようにしていた。
「先に水を汲もう」
薄暗い階段を降りて外に出ると、春先特有の薄い膜の張ったような青空だった。ルリカは少し目を細めてそれを見上げた。青空を見たのは久しぶりだった。
「こっちだ」
サカキが目の前の道路を横断して歩き出したので、ルリカも慌ててその後を追った。
「今までの場所に比べて、道路も建物もあまり壊れていない。もしかすると誰か住んでいるかもしれない」
小さな街だったのか、ビルと呼べる建物はなく、二〜四階建の小さな建物がずっと続いている。商店らしきものが密集しているところからみると、この辺りがこの街の中心だったのかもしれない。
しかし、どの店もガラス戸やシャッターがこじ開けられ、中には何も残っていないことが一目瞭然だった。略奪された形跡の無い店は、おそらく店の主がすべて持って逃げたのだろう。
何回か道を曲がったあと、裏路地に入ってすぐの建物の前でサカキが足を止めた。
「ここ」
サカキが目を向けたのは、何かの店の裏口だった。鉄製のドアはきちんと閉められていて、もう何十年も開けられたことがないように錆びて赤茶けていた。埃にまみれたドアのノブを回すと、金属の鈍く擦れる音の後に、甲高くきしみながらドアが開いた。
「暗いから気をつけて」
差し出された手を握り、ルリカはサカキの後について中に入った。
わずかに差し込む光に目が慣れてくると、そこは意外に広い場所だということが分かった。床には散乱するゴミに混ざって倒れた台があり、奥にはステンレス製の簡素な流しがいくつかあった。
「飲食店などの調理場だったのかもしれない」
ルリカの手を握ったままサカキはゴミの山をまたいで流しに歩み寄り、一番左の蛇口をひねった。
「すごい」
ルリカは溢れ出た水に声を上げ、果実で汚れた手と顔を軽く洗った。
「地下水を直接くみ上げてるのかも」
同じように顔を洗って袖口で拭きながら、サカキが言った。
「道、覚えたか?」
「大丈夫」
水筒にたっぷりと水を入れると、二人は再び手をつないで出口に向かった。
ドアをくぐって外の明るさに一瞬目がくらんだとき、
「ここで何やってるんだ」
何の前ぶれもなく、挑発的な声が降ってきた。身をこわ張らせたルリカが目を上げると、少年が四人、少し離れた場所に立っていた。
「何をやってるのかって聞いてるんだよ」
一番前に出ていた少年がもう一度言った。おそらく彼が四人の中のリーダー格なのだろう。
「水をもらった」
ルリカを背後に下がらせ、サカキは静かに言った。
「ここは俺たちの場所なんだ。勝手に使われちゃ困るんだよ」
少年は薄笑いを浮かべ、威圧的に二人を見下ろした。
「そうだな……」
彼はわざとらしく顎に手を当て、サカキとルリカを値踏みするように、ゆっくりと視線を這わせた。
「その荷物と服、全部置いてけよ。今なら、それで済ませてやる」
後ろの少年たちから乾いた笑いがもれた。あからさまに足元を見ているのが分かる。断れば、力ずくでかかってくる気なのだろう。
この時代は、弱肉強食の世界だ。弱い者は強い者に襲われ、奪われ続ける。
まだ子供の二人が、何度襲われてきたか分からない。




