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06:夜でも、動くのか

 満月の夜だった。

 

 透明な月光が、遮るもののない荒れ地を照らしていた。崩れた廃墟を抜ける風の音だけが、かすかに響いている。虫の声も、何かが潜んでいる気配さえも――すべてが沈黙に呑まれていた。

 

 月によって縁取られた闇と月明かりの狭間を縫うように、小さな人影が二つ、先を急いでいた。まだ十歳前後にしか見えない幼い彼らは、互いに強く手を握り合って瓦礫の山々を乗り越えていた。

 

「疲れた?」

 

 先を歩いていたサカキが肩越しに振り返る。軽く息を切らしているルリカは小さく笑って首を振る。

 

「まだ大丈夫」

 

 もう一時間以上も歩き続けていた。目的地は、ない。ただ、“安全な場所”を求めて歩き続けているだけだ。

 

「もう少ししたら休憩しよう。今夜中にこの街を抜ける」

「うん……」

 

 頼りなげに頷くルリカを安心させるように、サカキは小さく笑うと、彼女の手を握り直して歩き出した。


 この街も、少し前までは賑やかな大都市だったのだろう。大破した道路の両脇には、商店や商業ビルと思わしき建物が立ち並び、かつての面影を残している。


 しかし、かつての繁華を取り戻し、人々がこの街に戻ることは、もうない。あとはこのまま朽ち果てるのを待つしかなかった。

 

 レンガ造りの歩道に乗り捨てられた車をよけて道路におりたとき、ルリカが急に手を引っ張って立ち止まった。

 

「なに?」

「あれ……」

 

 強張った表情で、ルリカは呟いた。視線はサカキの向こう、その先を見つめている。その表情に気がついて、サカキは振り向いた。


 前方のビルの陰から巨大な樹木の葉が見えている。見たこともないほど巨大な樹木だった。高さ三十メートルは優に超えていた。枝がしなるほど生い茂った葉が、風にたゆたって揺れている。その姿は、二人を手招きしているように見えた。

 

 そこは何かの広場だったらしく、太い幹の向こうに噴水らしきものがあった。しかし巨木が張り出した根によって広場は占領され、噴水も土台から大きく傾いていた。

 

「夜だから大丈夫だ。光がなければ、あれは動かない」

 

 ルリカの手を握る指に力を込め、サカキは言った。彼女はその横顔を見上げ、小さく頷く。

 

「行こう」

 

 二人は道路を横断し、歩道の端を通ってできるだけ巨木との距離をとりながらその脇を駆け抜けた。


 道端に届きそうなぐらいひときわ大きくしなった枝の前を通りすぎたとき、それまで差し込んでいた月光が、不意に遮られた。

 

「―――っ」

 

 サカキは反射的に腰のコンバットナイフへ手を伸ばした。

 

「―――助けてくれっ!」

 

 遠くで誰かが鋭く叫ぶのと、サカキがルリカを抱えて横へ跳ぶのが、ほぼ同時だった。


 ドゴッ。


 地面が砕ける音が鈍く響く。


 顔を上げると、ほんの寸前まで二人がいた場所に細い蔓が突き刺さり、歩道のレンガが粉砕していた。


 蔓は意志を持つかのように――こちらを“見ている”。

 

「なぜ……」

 

 ルリカを抱えたままサカキは低く呻いた。ありえないはずの光景だった。

 

「立てっ!」

 

 サカキはルリカの身体を引き起こすと、ナイフを抜いて構えた。

 

「走れるか?」

 

 レンガに突き刺さって蛇のようにうねっている蔓を睨んだまま、サカキは背中のルリカに低く言った。

 

「何とか……でも、あのひとが……」

 

 ルリカは小さく咳き込みながら空を見上げた。頭上数メートルのところに、月の光に照らされて男性が一人、何本もの蔓に絡まれて身動きできずにもがいているのが見えた。おそらく先ほどの声の主だろう。


「たすけ――」

 

 そう言い終わらないうちに彼に巻きつく蔓が見る間に数を増していき、繭のように彼の身体をすっぽりと覆ってしまった。


 幾重もの蔓に絡まれて見えなくなった男の姿をちらりと見上げ、サカキは感情のこもらない声音で言った。

 

「無理だ。助からない。――行け」

 

 目の前の蔓が矛先を二人に向けている。他人のことより自分たちの命が危ない。サカキはナイフを構えて腰を低くした。


 ぐしゃり。


 何かが潰れるような鈍い音が頭上から聞こえた。同時に風にまぎれて漂ってくる血の匂い。

 

「はやく」

 

 サカキのすぐ後ろでルリカがじりじりと後退りし、身を翻して走り出した。同時に幾本かの蔓が二人めがけて襲いかかってくる。サカキはそれらを躱しながらナイフで切り落とし、ルリカの後を追って走った。幸いにも先に大人が一人捕らえられているため、襲いかかってくる蔓の数が少ない。


 どうにか追撃を振り切った二人は、ビルの白いタイルの壁に寄りかかって肩で大きく息をついた。まだ安心し切れないのか、ルリカはサカキの上着の裾をぎゅっと握りしめ、唇をかみしめている。

 

「満月の光のせいか……」

 

 天頂に輝く月を見上げ、サカキは低く呟いた。

 

「……夜でも、動くのか」

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