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05:とりあえず、あなたを信用するよ

 IDカードは、すべての国民に携帯が義務づけられている身分証明書である。専用端末にかざせば、顔写真や生年月日、住所などが即座に読み取られる。さらに、個人情報はIDバンクに登録されており、条件次第では市内限定で照会することも可能だった。

 

 ワカナエシティでは、IDカードを常に携帯することが徹底されており、出入りのたびに提示が求められた。山に囲まれた地形のため、外部との接点は検問所に限られている。身元の不確かな者は、基本的に出入りできない。さながら、隔離され管理されている実験動物のようだった。


「だめ。手がかりゼロ」

 

 ノートパソコンの画面から目を離し、莉菜は硬い表情で言った。

 

「ワカナエシティに居住している、十四歳から二十五歳の男性に該当者はなし。この街の住人ではないことが分かっただけ」

「そう」

 

 短く答えたきり、少年は何も言わない。まるでそれが分かっていたかのように、わずかに視線を落としただけだ。

 

「ワカナエシティに入るには、IDカードをゲートに通さないといけない。それを持ってないってことは、失くしたか、あるいは盗られたかってことになるんだけど」

「……まったく覚えてない」

 

 少年はソファからふっと立ち上がり、中央公園を見下ろす窓縁に腰かけた。開け放たれた窓からは初夏の心地よい風が吹き込んでくる。

 

「でも、あなたぐらいの年齢でこの時期に外部から来る人は少ないのよ。最近の来訪者の中にも、長期滞在者の中にも該当者はいなかった」

「つまり?」

「あなたに当てはまる人物がこの街に入った形跡がないってこと。普通ではありえないことなんだけどね」

 

 少年は表情一つ変えずに黙っている。


 莉菜は小さな吐息を漏らした。思っていたよりも厄介なことになっている。

 

「……オレは、この街を出ることもできないのか?」

「そうなると思う」

 

 IDカード不所持、ましてや記憶がまったくないとなれば、問答無用で警察に連行されるのが目に見える。未成年だとしたら、しっかりと身元を調べてもらえるかもしれない。ただ、身元がはっきりし、ワカナエシティに来た目的が明瞭になるまでは、彼の身柄は拘束されるはずだ。


 もし、記憶も戻らず、身元不明のままなら……


「それなら、」

 

 低く呟いた少年の声に莉菜はドキッとして顔を上げた。

 

「ここを出る。助けてもらったのに、迷惑をかけそうだ」

 

 涼しげな風に吹かれながら、少年は動揺する莉菜の顔を見つめる。仮面のような表情の中にある漆黒の瞳は、相変わらず静かなまま彼の意思を伝えていた。


 確かに厄介なことなのかもしれない。今の自分には、彼に関わっている暇はない。


 だけど――

 

「ここにいていいって言ったでしょ」

 

 自然と口をついて出た言葉だった。その言葉に、少年は少し驚いたような表情を見せた。

 

「本気?」

「ここを出ていっても、すぐに警察に拘束されるだけだし、もう少し様子を見てからでも遅くはないでしょ」

「面倒なことを背負い込んで、後悔してるんじゃないのか?」

「後悔してなくはないけど、別に迷惑でもない。記憶も所持品もない人を放り出すほど非情な人間じゃないもの」

「記憶喪失の振りをしているだけだったら?」

「――どうしようか」

 

 莉菜はふっと笑った。だが、おそらくこの瞳に嘘はないだろう。真っ直ぐと人を見つめるこの瞳の中に、偽りを見出せる者はいないはずだ。


 彼にはそう思わせるだけの何かがある。

 

「とりあえず、あなたを信用するよ」

 

 莉菜は言った。少年は一瞬言葉を失ったように莉菜を見つめていたが、すぐに、

 

「……ありがとう」

 

 少しはにかんだようにその顔をほころばせて笑った。


 屈託の無い、まるで無防備な笑顔。初めて見せたその表情に、莉菜は言い知れぬ気持ちを覚えた。


 彼の力になりたい――そう思った。


 閉ざされた街の中で、自分の部屋と研究室を行き来するだけの毎日。今一番やりたい研究も思うようにできず、教授に出された課題だけをこなしている現状に、少しうんざりしていたのかもしれない。

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