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35 : そのとき、お前は消える

 過去に跳ぶことができる時空転移装置が完成したとき、サカキは自らの手で過去を変えるためにマシンに乗ることを志願した。


 しかし直前になって、ルリカが和泉莉菜の子孫であるとわかり、サカキは躊躇していた。和泉莉菜を説得する自信もなく、最終手段として彼女を殺す覚悟も持てなかった。和泉莉菜を殺すということは、ルリカを殺すことと同じだった。

 

 それだけはできない。だが、その役目を他の誰に委ねることもできなかった。


 計画を先送りにしたまま、サカキは何日も悩んでいた。


 その間にも、刻一刻とルリカの木による犠牲者は増え続けていた。――事態は一刻を争っていた。



「出発は決まった?」

 

 ルリカがそう聞いてきたのは、人工島の一角にある植物ゾーンで、夕暮れ時に散歩をしている最中だった。

 

 ここではルリカの木によって失われた樹木や野菜、穀物など、多種にわたる植物が専門家たちの手で育てられていた。食料栽培区画は原則立ち入り禁止だが、それ以外は開放されていて、いつでも自由に出入りできた。

 

 サカキにとって、野菜や穀物はともかく、背の高い樹木は視界に入るだけでも不快だった。だが、ルリカが樹木の中の散歩を気に入っていて、訓練がないときは、よく付き合わされていた。

 

 今日も早めに訓練が終わったので、屋上でぼんやりとしていたのを、咲いたばかりの金木犀の花を見に行こうと連れてこられた。

 

 フロアごとにいくつかに区画分けされた部屋は、それぞれ異なった気候帯の設定がされ、代表的な植物が栽培されていた。


 それはいつか「ルリカの木」がこの地球上から消えたとき、どの地域にも植物を植えられるようにするためのものだった。ここでは、「ルリカの木」によって絶滅した種も数多く育成されていた。

 

 しかし、それらが再び陸上に植林される日が本当に来るのか、誰にも分からなかった。それほど「ルリカの木」は驚異的で、その暴走を止めることは、もはや不可能に近かった。

 

 だからこそ、開発された時空移転装置を使って過去を変える、すなわち「ルリカの木」の開発者である和泉莉菜に接触してその研究をとめるしかもう残っていなかった。


「……いいのか」

「なにが?」

 

 常葉樹のしなる枝に伸ばしかけた手を止めて、ルリカは傍らに立つサカキを不思議そうに見上げた。

 

 強化ガラスの向こうの水平線には、赤々と燃える太陽が半分ほど沈みかけていた。その光を受けて赤く反射する水面に目を細めながら、サカキもまたルリカを見下ろした。

 

 この施設に来た頃は、目線の高さは同じぐらいだったが、三年のうちに差が少しひらいていた。

 

「も交渉が失敗したら、和泉莉菜を殺す。そのとき、お前は消える。それでも、」

「それでもかまわない」

 

 穏やかに笑いながら、しかし断固とした声でルリカは言った。

 

「サカキなら、和泉莉菜を説得できるって信じてる」

 

 ルリカは赤く光る海原に目を向けた。その横顔には、自分の存在が消えてしまうことの抵抗や不安などなく、むしろ固い決心すら見えていた。

 

 レノアからルリカが和泉莉菜の子孫だと聞かされたとき、ルリカは既に知っている様子だった。時空移転装置が完成した時点で、覚悟を決めていたに違いない。

 

「もし、和泉莉菜を殺さなければならないのなら――」

 

 ルリカは再びサカキに目を向け、薄紫色の瞳で真っ直ぐと彼を見据えた。

 

「そうなったら、サカキにしてほしい。ほかの誰でもなく」

「そんなこと――」

 

 サカキはルリカに手を伸ばし、その細い肩を抱きしめた。感情がとまらずに、そのままルリカを押しつぶしてしまいそうだった。

 

「それはさせない。……意味がない」

「お願い――」

 

 サカキから身を離し、ルリカはサカキの瞳を覗き込むように間近に彼を見上げた。

 

「この地を、この星に生きる多くの命を守って。あなたにやって欲しいの」

「……」

「もし私が消えるのなら、サカキの手で」

 

 強い、意志だった。

 

 ゆるぎない決心と覚悟。

 

 こんな酷な手段を、自分に課すのか。

 

 しかし――


 それを実行しなければならないというのなら、他人の手に委ねることなど、サカキ自身が許せなかった。


「おまえも、この地も、オレが守る。和泉莉菜は殺さない。――待っていろ」

 

 サカキの言葉にルリカは笑顔を見せた。だが、サカキにはそれが泣いているようにも見えた。

 

「ありがとう」

 

 何を犠牲にしても絶対にルリカを守る。

 

 その決心だけは昔からずっと変わらなかった。――だけど、彼女の意志は尊重したい。

 

 和泉莉菜を説得できれば問題はない。だが、もし失敗したとき、自分がどういう行動に出るのか、サカキには自信がなかった。


 そして実際に和泉莉菜に会い、サカキは思い知らされる。

彼女をこの手にかけることなど、到底できないと――

 

 人を殺すことなど馴れているはずなのに、躊躇してしまうほど、彼女はルリカと似ていた。何世代も離れているのに、姉妹であるかのように、瓜二つだった。



 


 莉菜は部屋に入ったまま、戻ってくる気配がない。

 

 彼女がどういう行動に出るか想定しながら、サカキはテラスの柵に背中を預けて孤高の満月を見上げた。寝静まった街には虫や木の葉のすれる音ぐらいしかなく、車や人通りはどこにも見当たらなかった。

 

 まるで、自分と莉菜の二人しか存在していないみたいだった。


「サカキ……」

 

 ルリカと同じ声で名を呼ばれ、サカキは視線を下げた。莉菜がテラスに出てくるところだった。スケッチブックとノートを小脇に抱えていた。

 

「これ……」

 

 莉菜はそれらをサカキの目の前に差し出す。

 

「ルリカの木の構想を書き溜めてきたものよ。ずっと未来のために、何かできることはないかと思っていた。そして、今、私にしかできないことがあるのね」

 

 そう言って、莉菜はスケッチブックとノート、一枚のディスクを足元に置き、ポケットからライターを取り出した。震える手でライターに火をつけ、スケッチブックの端にそれを移した。

 

「――ごめんね」

 

 燃え広がる炎を見つめ、莉菜が泣きそうな声で小さく呟いた。

 

 何に対する謝罪なのか、サカキにはわからなかったが、黙って燃えていくスケッチブックを見つめていた。

 

「これが、私にできること」

 

 そう言った莉菜の顔には、固い意志と思いを断ち切る覚悟が浮かんでいた。

 

 それは、あのときのルリカと同じ表情だった。


――終わったのだ……


 物心がついた時からルリカの木から逃げ回り、死と隣り合わせの中で生き抜くことだけを考えてきた。

 

 沖合いの人工島に移ってからは、実働部隊に入り、ルリカの木を抹消するために日々奮闘していた。

 

 その終わりなき闘いにも、ようやく終止符が打てる。

 

 半分以上燃えたスケッチブックを見つめ、サカキは体中の力が抜けていくのを感じていた。

 

 次第に意識が遠のいていく。


「……ありがとう」

 

 それだけが、精一杯だった。


 遠ざかる意識の中で聞こえてくるのは、あの日ルリカが言った言葉――

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