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33 : それが自己満足でないと言い切れるか?

「オレたちに残されたものは、もう何もない」

 

 サカキの声には、冷たい絶望が滲んでいた。


「ルリカの木から逃げるだけの毎日で、生きる希望すらない。それでもこの現実は誰のせいでもなく、人類の愚かな行為の結果だと、思っていた。――だけど……」

 

 そこで言葉を切ると、サカキは再び莉菜に目を向けた。

 

「元凶がこの時代にある。それを消すために来た」

 

 頑なな意志。


 相変わらず無表情な顔の奥で、濡れた絹のような漆黒の瞳だけが、彼の内にある様々な感情を映して、かすかに揺らめいていた。


 それでもその冷ややかな視線は、静かに、しかし確実に莉菜を責めているようで、莉菜は立ち上がり、正面から向かい合うことができなかった。

 

 莉菜の様子には構わず、サカキは続けた。


「当初は、泉莉菜を殺して『ルリカの木』のデータを抹消するはずだった。だが、それではあいつの存在も消えてしまう……」


「――あいつ?」

 

 自分が殺される予定だったことに驚愕しながらも、莉菜は問い掛けた。サカキは苦しそうにわずかに顔を歪め、銀のネックレスを握り締めた。


「ルリカ」

 

 ふっと莉菜から視線をそらし、短く小さな声でサカキは答えた。

 

「ルリカ?」

 

 自分が命名した木と同じ名であるそれが、何を指すものなのかわからず、莉菜は眉をひそめた。


「……子供のころからずっと一緒だった。彼女は――莉菜、あなたの遺伝子を受け継いでいる。あなたを殺せば、ルリカの存在そのものが消える」

「―――そんな……」

 

 サカキの言葉に莉菜は返す言葉もなかった。

 

 遺伝子。

 

 ――つまり、自分の子孫。


 莉菜はふと、思い出す。

 

 今朝サカキが莉菜の顔を見て別の誰かを思い出しそうになったのは、きっとそのルリカのことなのかもしれない。


「泉莉菜がどんな人間か、殺すかどうかも、どうでもよかった。だけどそれがルリカに関わってくるのだったら話は別だ。彼女を守るためにも、あなたを殺すことはできない。―――だけどルリカの木も抹消しなければならない」

 

 ルリカを守るためなら莉菜の命はどうでもいい。

 

 その言葉は、鋭い刃のように莉菜の胸に突き刺さった。



「――オレ達を救ってくれ」

 

 消え入りそうな声でサカキが言う。

 

「できるのは、莉菜だけだ」


 嘘のない瞳だった。

 

 真っ直ぐに莉菜をとらえるその瞳を見つめながら莉菜は苦悩した。

 

 どこまで信じていいのだろう。

 

 莉菜はその場にひざまづいたまま、自分を見下ろすサカキの冷たい鉄面皮のような表情を見つめた。まるで、この世あらゆるものを見てきた老成者のようだった。


  

 ――ああ、そうなんだ。

 

 月明かりに映えるその漆黒の瞳を見つめたまま、莉菜は、突如理解した。

 

 彼のこの表情も少年とは思えない雰囲気も、無邪気さのかけらもない大人びた物腰も。過酷な現実の中で、あまりにも多くのものを背負わなければならなかったから、そうしなければ生きていけなかったから、だからなのだ。

 

 彼がどんな過酷な状況の中をどんな風に生きてきたのか莉菜には想像することもできない。


あんな摂餌行動を取る巨大な植物が無数に徘徊する世界――考えただけで、身震いがした。


 けれど、それが一四〇年後の現実の世界。


 そして――その種をまいたのは、自分だ。

 

 

 突然現れた、記憶にもない少年の言葉を鵜呑みにするつもりはない。まだ起きてもいないことで責められても、どうすることもできない。


 それでも―――


 目を逸らすことは、できなかった。


 莉菜は、青白く光を反射するサカキの瞳を見つめたまま、静かに息をついた。


 そこに宿る絶望的な悲しみと怒りは、まぎれもなく本物だった。


 ――逃げ場のない現実。

 

 誰に何と言われようと、そうとしか思えなかった。


「……例えば、」

 

 用心深く考え込みながら莉菜は言った。

 

「ルリカの木が放射能をあびないようにするとか、あびたとしても食肉木にならないような遺伝子操作をすればいいんじゃないの?」

 

 ルリカの木が、いつどこで廃棄性放射能を浴びるのか、詳しく分かれば、阻止することができるかもしれない。放射能を浴びた後、どの遺伝情報が作用したのか分かれば、進化は食い止められるかもしれない。

 

 しかしサカキは、冷徹なまなざしで莉菜を見下ろし、口元にわずかな冷笑を浮かべた。

 

「どの時代でも、科学者っていうのは、自分の過ちを認めたがらないんだな。自分の研究が莫大な被害を生んでも、自分には直接関係のないことだと言わんばかりだ。そのせいで、どれだけの人が苦しんでいるのか、知ろうともしない。新しい発見と栄誉に固執して、それを捨てるという簡単な行為にすら思い至らない」

「固執なんてしていない。私はただ、壊れていく自然環境を守りたいだけなの。自分にできることを、必死にやろうとしているだけなの。だから――」

 

 涙が止まらなかった。

 

 誰かを苦しめるためにあの木を思いついたわけではなかった。自分なりに自然のこと、地球環境のこと、生き物たちのことを考えたつもりだった。

 

 確かにあの木を創り出す自分を夢見てはいたが、それは決してサカキの言うように、栄誉を求めていたわけではない。

 

 研究を成就するということは、一科学者として誇りあることだ。自分が何かの役に立てるのだという喜びでもある。


「それが自己満足でないと言い切れるか?」

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