27:彼らの死を無駄にしたいのか
夜半の豪雨は明け方には止み、日の出には澄んだ青空が広がっていた。雨に洗われた空気の中、朝日が濡れた瓦礫に濃い陰を落としていた。
「最悪の、パターン……」
そう呟き、原形をとどめていない瓦礫を踏みしめて上空を見上げた。見渡す限りの蒼天で、雲ひとつ見当たらない。こんな日は、奴らが活発になる。できれば出会わずに済めばいい。だが、願いは大抵徒労に終わる。
一歩進むたび、粉砕したアスファルトが鈍い音を立てた。両脇のビルも基盤から崩れ落ち、コンクリートの瓦礫がいたるところに散乱していた。地面が裂け、基盤ごと砕けた跡から、弛んだ地肌があらわになっていた。
――奴らの通った痕跡だ。
破壊、崩壊、殺戮。奴らの通った跡には、一片の草木も残らない。
枯渇した山林を抜けてこの街にたどり着いたのは、ほんの五日ほど前。徘徊の跡もまだ生々しかったが、痕跡から見て、通過したのは一体か二体。それもあまり大きくない個体。そう判断し、しばらくこの街に留まった。
原形をかろうじて留めている建物から街並みを見渡すと、綺麗に区画整備されていると気がついた。同心円状に街並みが広がり、中心には何かの施設が建てられていた。
この数日で街の状況はほぼ把握できたので、今日は街の中心に建つその施設を調べに行くつもりだった。だが、降り続いた豪雨の後の晴天では、いつどこから襲われるか分からない。少し迷ったが、結局、街の中心にある施設の正体が気になり、足を向けた。
旋回する通りを縦断しながら続く一本道を進んで行くと、正面にかろうじて林だと分かる跡が見えてきた。中心の施設を取り囲むように広がっており、防壁みたいだ。近づいてみると、大規模な公園だった。
「ひどいな」
木々の多くはなぎ倒され、あちこちに散乱していた。根元からひっくり返っている木や、倒れてはいないが、枯れはじめている木も多かった。
広場、噴水、並木路、その向こうにある池。どれも人工的に配置されたもので、温度のない無機質さだけが広がっていた。
池の向こうに見える施設に行くために、大きく旋回する石畳に沿って歩いてみることにした。池に浮かぶ水鳥を横目に進んでいくと、やっとアーチ状の橋にたどり着いた。橋を渡り切った所にタイル張りの大きな門があり、錆付いた格子状の門が中途半端に開いていた。わずかに緊張しながらその門を通り過ぎると、道路が左右に別れて駐車場とタイル張りの建物が広がっていた。
人の気配はない。
――研究施設?
だとすれば、拾い物があるかもしれない。とりあえず道路を渡って芝生を越え、駐車場を突っ切って中心に向かうことにした。
崩壊しかけている建物は、すべて緑っぽいタイル張りで、それが朝日を鈍く反射している。規模と造りからして、相当な投資が入っている。まだ使えるものが残っているかもしれない。
駐車場から中心の施設に向かう短い階段を上っている途中で、ズン、とかすかな震動と、何かが倒壊する鈍い音が聞こえた。
「まさか……」
奴らがこの先に残っているかもしれない。引き返そうと身を翻しかけてその足を止めた。だが、腰からコンバットナイフを抜き、周囲に意識を向けた。枯れた広場を駆け抜けると、正面にアスファルトの道路とその向こうに六角柱の建物が見えてきた。
そのとき、二度目の震動が来た。今度は、はっきりと感じた。六角柱の建物の上部が崩れ、その上から鬱蒼とした木の枝葉が大きくしなっていた。
――ルリカの木。
ナイフを両手に握りしめてその光景を見つめた。
高さは十五メートルといったところか。大きい方ではないが、ここは退散したほうがいい。そう判断したとき、小さな悲鳴が耳に届いた。
――人が?
この状況では助からない。――そう思ったとき、再び悲鳴が上がった。子供の声だった。
「――お母さんっ」
地響きのような崩壊音にまぎれて聞こえてきた。
「ちっ!」
面倒事も、無駄な危険も御免だ。自分の身を守れる者が生き残り、弱いものは死ぬ。それが、この時代の摂理だ。
それなのに――身体が、勝手に動いていた。ナイフを片手に持ったまま、目の前の建物に向かって走り出していた。
「お父さん、お母さん!!」
泣きじゃくる少女の声が響く。――両親が捕獲されたか。
降りそそぐ瓦礫を避けながら、巨木の下まで来ると、砂塵の向こうに少女が座り込んでいた。頭上には、蔓が幾重にも巻きついて繭のような塊が二つ。その更に上に、ひとまわり小さな塊が見える。
――三人。
見慣れた光景とはいえ、さすがに顔をしかめた。折り重なる蔓の隙間から鮮血が滴り落ちている。捕食の真っ最中だった。逃げるなら今しかない。
気配を殺して一歩足を踏み出した瞬間、数本の蔓が半狂乱の少女に向かって伸びてきた。
「――ッ!!」
飛び込みながら、少女の腕と胴に巻きついた細い蔓を切り落とした。その勢いのまま、彼女を抱きかかえて倒れこんだ。
「立て!!」
少女の腕をつかんで無理やり引き起こしたが、彼女は泣きじゃくりながら、呆然と自分を見上げていた。
「逃げるぞ!」
腕を引っ張ったが、少女はなおも動こうとしない。
「死にたいのか!」
「いやッ!お父さんッ、お母さんッ、オウヤ……」
かすれた声で、少女が悲鳴をあげた。
「もう助からない。彼らの死を無駄にしたいのか!」
巨木に向かって走り出そうとする少女を強引に引き戻し、両腕を掴んで叫んだ。少女はようやく焦点を合わせた。――恐怖と絶望が入り混じったその瞳で。
「行くぞ」
少女の腕をつかみ、半ば引きずるように走り出した。追いすがる蔓の数はそう多くはない。摂餌がまだ終わっていないのだ。今を逃したら自分たちも捕獲されてしまう。
少女が背中越しに何か叫んでいたが、構わずにそのまま走り続けた。
大きな地響きが背後から聞こえてきた。同時に突風が吹きぬける。残りの建物が崩壊したようだった。
さっき通ってきた門を抜け、一直線に伸びる道路をひたすら走り抜けた。どこへどのくらい走ったか、見当もつかない。ただ、あの木の気配が完全に消えるまで、その足を止めるつもりはなかった。
さすがに息が切れて、足元がおぼつかなくなった頃、突然強い力で腕が引っ張られた。後ろに転びそうになり、振り向くと、少女が座りこんでいた。
「……大丈夫か?」
息も切れ切れにそう問い掛けると、少女は苦しそうに胸元をつかんで首を振った。
「大きく息を吸って。できるだけゆっくり」
あれだけ泣き叫んだ後にこれだけ走り続けたのだ。呼吸が乱れている。それでも少女は言われたとおり呼吸を整えた。まだショックは抜けきれていないのか、ほとんど機械的に呼吸をしているようだった。
「――おとうさん、おかあさん、オウヤ……」
蒼白の顔を涙に濡らし、震える声で少女は呟いた。
「お前の家族が犠牲になって助かった命なんだ。生きぬけよ」
ビクッとして少女が顔を上げた。
――どこまでも澄んだ薄紫色の瞳。それが涙をたたえてまっすぐと自分を見つめていた。夕暮れ時の空を思わせる、深い色。幼さに似合わず芯の強さがあり、なぜか心が落ち着いた。
「――ありがとう、助けてくれて」
抑揚のない小さな声で少女は言った。あのまま残っていたなら、彼女は家族と共に死ねたのかもしれない。
だが、彼女は選んだ。生きることを。少女の様子からそう判断した。
「オレはサカキ。おまえは?」
「……ルリカ」
穏やかな声で少女は答えた。




