表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/37

24:森が鳴いている?

 早めの梅雨明けのせいか、今年はセミが鳴き出すのが早かった。初夏のさわやかな時期のはずなのに、もう真夏が来たかのようだった。

 

 朝の雨もすっかり上がり、日差しは強く明るかった。何もかもがくっきりと眩しく、景色は強い色彩を放っていた。

 

 ワカナエシティの中心にある中央公園も、朝夕はひんやりと静けさに包まれているのに、日中はセミの鳴き声がこだまして暑苦しかった。

 

「森が鳴いているみたいだ」

 

 莉菜が後部シートを整理している横で、少年がふと呟いた。

 

「森が鳴いている?」

「森という、一つの巨大な生物の鳴き声」

 

 荷物を移すのを手伝いながら、少年はかすかに笑った。その表情の複雑さに気が付いたものの、莉菜はあえて何も言わなかった。そういう表情をするとき、彼は妙に大人びて見えた。それどころか、この世のあらゆるものを見てきたかのような、老成した雰囲気すらあった。

 

 漢字が苦手なことといい、物腰や雰囲気を見ていると、少年がごく一般の家庭に生まれ育ったとは、どうしても想像できなかった。

 

「よし、準備完了」

 

 後部シートの一部を空けて荷物を積み重ねると、外からは荷物しか乗せてないように見える。

 

「さあ、どうぞ」

「……ここに?」

「外からは、荷物がぎっしり詰まってるようにしか見えないから大丈夫。上からシートを被せれば、絶対に分からないはず」

「――無謀すぎないか?」

「大丈夫。さあ、早く乗って」

 

 それでも不服そうな少年を無理やり狭い空間に押し込み、氷水が入ったペットボトルを渡した。

 

「十五分ぐらいで着くから」

「……分かった。莉菜にまかせる」

 

 狭い空間に押し込められた少年は、ため息混じりに言った。

 

「じゃあ、行こう」

 

 バックドアを閉めると、莉菜は急いで運転席に乗り込んだ。ゲートまで六分、そこで身分証明して駐車場まで更に五分。余裕を見て十五分弱というところか。


 

 少年は折り曲げた身体にペットボトルを抱き、じっと目を閉じた。荷物に挟まれ、上から厚手のシートを被ると、かなり暗い。むしろ何も見えないほうが、かえって圧迫感は少ない。狭い場所に包まれるような、わずかな安心感。

 

 ――この闇に守られているんだね

 

 そう言ったのは誰だったのか。

 


 思い出そうとして、少年は顔をしかめた。そこにあるはずなのに、掴むことができない、まるで霞のようにぼんやりとした記憶。だけど、感情は確かに覚えていた。だからこそこんなにも懐かしく、胸がきしむのだ。

 

 息を殺し、硬く目を閉じて微かな記憶の断片をたどっていると、ゴトゴト揺れていた車が不意に停車した。同時にかすかに人の話し声が聞こえた。

 

 ――ゲートか

 

 幾分緊張しながら息をひそめていたが、すぐに車は走り出した。どうやら難なくゲートを通過できたらしい。車はゆっくりと長いカーブを走りつづけ、右折してから停車した。バタンと車のドアが閉まる音がして、少ししてからバックドアが開いた。

 

「大丈夫だった?」

 

 莉菜の不安そうな顔がのぞきこんできた。

 

「問題ない」

 

 外のまぶしさに目を細め、少年は小さく笑った。大学構内に入るのに、ここまでするのも何だか仰々しい気もする。

 

「誰もいないから早く出て」

 

 後部シートから出て靴を履くと、少年は外の空気を吸い込んだ。汗ばんだ身体に初夏の風は心地よい。身体を伸ばして莉菜を見下ろすと、彼女はいたずらっぽい笑みを見せた。

 

「心臓、飛び出すかと思った。結構スリルだね」

「帰りもあるけどな」

「一回やれば、もう平気」

 

 そう言って莉菜は助手席からバックを取り出して、車にロックをかけた。

 

「こっち」

 

 莉菜の後ろからついて行くと、駐車場から階段を上がった先に、若苗色をしたタイルの建物が見えてきた。正面から朝日が当たるその建物は、中央公園の若葉よりも薄い黄緑色の光を鈍く反射していた。五階建ての建物を、少年は立ち止まってしばらく見上げた。

 

「私が所属している自然科学群の研究棟よ」

 

 階段の一番下で莉菜が振り向きながらそう言った。

 

「自然科学群?」

「自然界に関することを研究する、各学科をまとめた総称。私は植物に関することを専門に研究しているの。」

 

 莉菜は研究棟を横切り、中央棟に向かって歩きながら説明した。中庭に並ぶ木々の合間に、六角柱の建物の上階が見えていた。

 

「植物……」

 

 莉菜の隣りで少年が小さく呟いた。

 

 自然科学群ⅠとⅡの建物の間にある中庭の地下には、大規模な地下温室がある。大量の光ファイバーで太陽光を取り込むため、天窓がいたるところに点在していた。

 

 高さ約一メートルの、六角柱の強化ガラスが等間隔に並んでおり、何かの墓標を思わせる光景をつくり出していた。

 

「この下にはこの大学が誇る地下温室があるの。後で案内してあげる。」

 

 不思議そうにこの光景を眺める少年に、莉菜は笑いながら言った。初めて見る者には、気味の悪い光景に映るのかもしれない。

 

「私たちの研究チームは、別の種を交配して、環境に適した植物を作ろうとしているの」



 子供のように希望に満ちた表情で話す莉菜の目は、まだ来ぬ未来の姿を遠くに夢描いているようだ。

 

 しかし、そんな彼女の声を横で聞きながら、少年は何か嫌な感情が広がってくるのを感じていた。

 

 何故なのか、分からない。

 

 不安か――少年は眉をひそめた。

 

 いや、違う。

 

 もっと粘りつくような、心の奥底から湧き上がってくる嫌な感情だ。

 

 ――憎しみと怒り

 

 血を飲むほど味わってきた現実の感情。

 

 いったい何が、自分を憎悪へと駆り立てているのだろう。


 

「見て」

 

 莉菜に腕をつかまれて、少年は我に返った。いつの間にか中庭を通り過ぎ、中央のループ道路まで出てきていた。そのすぐ向こうに先ほどの六角柱の建物が見える。

 

 莉菜の指差す方向を視線で追ってゆっくりと顔を上げた。そこには朝日を反射して若苗に光る、三つの建物が、少年を誘うように優美な姿を見せてそびえ建っていた。


 ――ドクンッ。


 その建物を見た瞬間、体中の血が逆流するような錯覚に陥った。

 

 なんだ、コレは――全身の毛が逆立った。


 「ここがこの大学の中心、つまり、ワカナエシティの中心にあたる中央棟よ」

 

 かたわらで説明する莉菜の声が遠くなっていく。


 ナニ―――?


 今、少年の目に見えているのは、若苗色に反射する輝かしい建物ではなかった。巨大な木の幹にのみ込まれ、無残にも崩れかけた灰色の棟だった。

 

 巨木は五階建ての中央棟よりも更に高く、方々にはり出した枝は、ループ道路を覆って向かいの建物にまで届きそうだ。その葉先がゆっくりと小刻みに揺れていた。


 

「――聞いてる?」


 呆けたように突っ立っていた少年は、莉菜の声にはっとして息を吐いた。

 

「……すまない、聞いてなかった。」

「朝から変だよ。何か思い出した?」

 

 莉菜が少年の顔を覗き込んだ。その瞳には、心なしか不安げな色が映っている。

 

「いや……」

 

 少年は莉菜から目をそらして一呼吸つくと、目の前にせり出す若苗の建物をもう一度見上げた。何も変わらない、普段通りの姿だった。

 

 少年は目を細めた。さっきのあの木の像は、いったい何だったのだろうか。不意に言い知れぬ不安が頭をもたげる。頭のどこかで危険を訴える信号。

 

 もう終わりだと、自分たちに残されたものはもう何もありはしないのだと、何かが叫んでいた。


 

 嗤っていた。

 

 そう、確かにあの木は、自分をあざ嗤っていたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ