18:放っておけば死ぬ
「動くなっ!」
突然、叫び声が響いた。
視線だけ動かすと、ルリカを後ろから抱えた女が、サカキに銃口を向けていた。
「ルリカ……」
男に意識を取られ、女の気配に気づけなかった。
「ごめんね。銃、撃つ暇なかった」
悪びれた表情でルリカは言った。女の手にある銃は、入り口でルリカに渡したものだ。サカキはわずかに体をずらし、女の死角に入る。
「この暗さじゃ、狙いはつかない」
「うるさいっ!こいつ、お前の連れなんだろ?撃ち殺されたくないなら直ぐに出ていけ」
サカキの言葉に逆上したのか、女はルリカのこめかみに銃口をあてた。引き金にかかった指が、今にも引かれそうに震えている。
「よせ、ラン」
脇腹に手を当てながら、男が苦しそうに言った。
「こいつは強盗じゃない。二階を使うと言っているだけだ」
「わかるものか。いくらでも言いようはあるだろ」
女は一歩も引かない。男のこの傷も、そういう手合いによるものかもしれない。
サカキは小さく息を吐いた。こういう状態では何を言っても無駄だ。
「出ていくのは構わないが……」
苦しげな男をチラリと見る。サカキはすでにザックを外していた。
「手当が先だ」
「余計なことするな!」
「これでは血は止まらない。傷口の縫合も必要だ」
「そんな……」
「放っておけば死ぬ」
「――っ」
黙った女を一瞥して、サカキはザックの中から針と糸が入った小さな袋を取り出した。当然、医療用ではない。
「お前、傷口の縫合なんてできるのか?」
苦しげな息の合間から男が言った。光量をあげた懐中電灯に照らされた男の顔は蒼白。びっしりと脂汗がうかんでいる。
男の問いには答えず、サカキは上着を脱いで男の口に突っ込んだ。
「多少痛いが耐えろ。死にたくないだろ」
「――小生意気なガキだな」
くわえた服の下で、男はくぐもった声をあげた。しかしすぐに観念したのか合皮製のソファにその身を沈めた。
「離すな」
真っ赤に染まったシャツをめくってガーゼをはずす。どろっとした血にまみれて十五センチほどの傷が口を開けていた。かなり深い。
針と糸を取り出しながら状況を測る。傷口を縫合しても、この出血量では、生きるかどうかは五分五分か。むしろ意識があることが不思議なくらいだ。腰に下げた水筒の水で傷口を洗い流すと、小さな呻き声が漏れた。
「アルコールはあるか?」
そう言うと、男は黙って小さな水筒を胸ポケットから取り出した。三分の一程しかはいっていない。酒を飲んで痛みをまぎらわしていたのだろう。
半分ほど使い、自分の手、針、ピンセット、そして傷口を消毒した。糸を通した針をピンセットでつまみ、傷を縫合していく。針が肉に入った瞬間、男の体が跳ねた。
「動くな」
ひと針ごとに、食いしばった歯の隙間から呻きが漏れる。
「タケトっ!」
男の苦痛の声に、女は銃を置いて男のそばに駆け寄ってきた。
「来るな!」
男の鋭い声に、女はびくっとして立ちすくみ、泣きそうな表情で、苦しみに歪む男を見つめている。
「――大丈夫」
ぎゅっと握られた女の拳を手に取り、ルリカが言った。女が驚いた表情でルリカを見下ろすと、薄紫の瞳がやわらかく細められる。
「大丈夫だから。絶対に」
もう一度、ルリカは言った。女はルリカの手を握りかえし、動けなくなったようにその場に立ち尽くした。
「……終了」
サカキは小さく呟くと、糸を切って残りの酒を傷口にかけた。ふうっと大きく肩で息をつき、男の口に突っ込んだ上着を取った。
「しばらく安静だ」
上着を破って傷口にきつく巻きつけながらサカキは言った。
「……お前、ずいぶんと手慣れているな」
男は苦しげに息をついて傷口に手を当てた。破った服をきつく巻いてはいるが、さっきよりずっと痛まないはずだ。
「この出血量で意識があるのか。大したもんだな」
「このくらいじゃ死なねぇよ。そんなにやわじゃない」
苦笑しながら男は言い、女に目を向けた。
「ラン、もう大丈夫だ」
「――ああ」
女は男の枕もとに座り込み、その胸に顔をうずめた。男は彼女の頭をくしゃくしゃとなでながらサカキとルリカを見た。
「お前たち、二人だけなのか?」
「……そうだ」
「二人だけでよく生き延びてこられたな」
そう言って男はにやりと笑う。
「まあ、お前みたいなクソ生意気なガキ、生き延びんのも不思議じゃないか」
「………」
サカキはテーブルに置かれた銃を拾い、腰に差し込んだ。
「おい?」
「言った通り出ていく。行こう、ルリカ」
「待て」
傷口を押さえながら男は起き上がった。
「ここで休んでいけ。オレはそんなに薄情な男じゃない」
そして、女の顔を見る。
「ラン、お前もいいよな」
「当たり前だ。……手荒なまねして悪かった」
思ってもいなかった言葉に、サカキはルリカを見た。彼女は目を合わせると、小さく笑ってサカキの手をぎゅっと握ってきた。
他人を信用しないサカキが、初対面の人間と自ら関わりを持つことはほとんどない。手を貸すなどなおさらだ。なぜこの男の傷の手当をしようと思ったのか、ルリカには分からないはずだ。それでも彼女は、うれしそうに笑っていた。
「……二階でいい」
サカキは小さく言ったが、男はランタンの前で二人を呼んだ。
「こっちに来て座れよ」
なおもサカキが決めかねていると、ルリカが袖を引っ張って促した。
「サカキ」
「……わかった」
仕方なくサカキは男の向かいのソファに腰をおろした。そのすぐ隣にルリカも腰を落ち着け、脇に荷物を並べた。
男と女は、タケトとランと名乗った。
「サカキ」
「ルリカ」
短く名を名乗る。
「サカキとルリカか。おかげで何とか命拾いしそうだ」
ソファに横になったまま、男はにやりと笑う。
テーブルの上に置かれたランタンの火はかなり明るく、タケトとランの顔がはっきりと見える。部屋はこじんまりとしているが、床に敷き詰められたじゅうたんや置いてある家具は結構高価なものだ。
タケトとランはここに着いてまだ日が浅いらしく、生活の跡がほとんどなかった。荷物はほどかれることなく、部屋の隅に置いてあった。
「コーヒーだけど飲める?」
白い湯気の立つステンレス製のカップを手渡しながらランが言った。ルリカは申しわけなさそうに首を横に振ったが、サカキは黙ってそれを受け取った。口にすると、飲み慣れた味がした。
――コーヒー好きなんて変なガキだなお前
遠い記憶の中で、誰かの呆れた声がする。それと、サカキの頭をくしゃくしゃとかき乱す大きな手。
「――の木の果実じゃねぇか」
タケトの驚いた声に我にかえると、ルリカが橙色をした大きな果実を両腕に抱えていた。
「これ、いいよね」
細い両腕に余る果実を抱きしめるように、ルリカは言った。今手にすることができる食糧の中で、この果実は特に栄養価が高い。ルリカはこれを怪我人のタケトに食べさせようと言っているのだ。
「皮をむく」
そう言うと、ルリカは長さ三十センチほどのアーモンド型の果実を、重たそうにサカキへ渡した。
「丸ごとなんて、どうやって手に入れたんだ?」
「夜に登って蔓ごと実を切り落としただけだ」
果実を四等分に切り分け、皮をむきながらサカキは言った。
「自分で獲ってきたのか?夜だって攻撃されりゃあいつ等も襲ってくるだろ」
「動きが鈍いから問題ない」
なんでもないことのように答えるサカキに、タケトは信じられないと言わんばかりに首を振った。
「普通は逃げ切れずに捕獲されちまうってのに……」
タケトはそのまま絶句した。この果実を獲るために直接近づき、無傷で戻った人間をサカキは見たことがない。大抵は道具を使って離れた場所から狙う。
「お前、なんかの訓練を受けたのか?」
「……生きていくためだ」
サカキはきれいに皮をむいた果実をタケトとランに渡した。ランは初めて見るのか、物珍しそうに観察している。
サカキはタケトを無視して、今日初めての食事である果実にかぶりついた。ほとんどが水分なので、量の割には腹にたまらない。だが、この貧栄養状態の中では格好の栄養供給源である。
分厚い皮の下に蓄えられた、豊富な水分と栄養を求めて、多くの人間が命を落としていた。だが、目の前の糧を見過ごす気もない。この果実は、生きるための手段の一つだった。
「二人ともいくつなの?」
タケトに果実を食べさせてやりながらランが言った。サカキは手を止めてふと考え込み、それからルリカの顔を見た。
「そういえば、お前いくつだ?」
「十二」
ぽつりとルリカは呟いた。
「十二か……」
そう言うと、サカキは指を折って自分の歳を数える。
「オレは、次の夏で恐らく十三」
「お前たち二人ともまだ十歳ぐらいのガキにしか見えねぇな」
「食料不足で栄養が足らないからな」
栄養失調で餓死した子供の亡骸を、数え切れないほど見てきた。なんらかの理由で大人から取り残されてしまった子供は、生き抜くことができずに死んでしまう。誰もが自分のことで手いっぱいで、足手まといになる子供に手を貸す余裕などない。
そうして弱き子供たちは何人かでグループをつくり、必要な物資を他人から強奪するという手段を覚えた。サカキやルリカのように、二人で行動しているほうが珍しかった。




