17:何かあったら撃て
小雨の降る闇夜を、懐中電灯の光だけを頼りに、サカキとルリカは進んでいた。
行き先のない旅は、不安と疲労をじわじわと蓄積させる。いつまで、どこまで歩き続ければいいのか分からない。
不安は、やがて耐え難い恐怖へと変わっていく。それでも歩みを止めれば、確実に死ぬ。だから、恐怖と不安にさいなまれながらも、歩き続けるしかない。
道路に積み重なる車の残がいを避け、歩道に上がろうとしたとき、後ろでドサッと何かが落ちる音がした。振り返ると、ルリカがその場に崩れるように倒れていた。
「ルリカ」
足元に懐中電灯を置き、ルリカの体を抱き起こした。体がひどく冷えていた。
「大丈夫か?」
「……なんとか」
「休める場所を探す。背中に乗れ」
サカキは背負っていた荷物を降ろし、ルリカに背を向けてしゃがんだ。
「歩けるよ」
「いいから。代わりにこの荷物を持って」
そう言うと、ルリカはサカキの荷物を拾い上げ、その背中におぶさってきた。前にスクラップの入ったリュックを抱え、背中にルリカを背負い、サカキは立ち上がった。
「怪我は?」
「……してないと思う」
「荷物は重くないか?」
「平気。サカキのほうが大変でしょ」
「問題ない。もっと重いものを持たされていた」
「持たされていた?」
「ああ。ルリカに会うずっと前だ」
そう答えたとき、交差点に建つ五階建てのビルが見えてきた。赤いレンガ造りの細長いビルだった。近づくと、一階のシャッターがこじ開けられているのが見えた。
――誰かいるな
「調べてくる」
脇の階段にルリカを座らせ、サカキは懐中電灯の明かりを消した。ザックから銃を取り出し、ルリカの手に握らせる。
「何かあったら撃て。すぐ戻る」
「でも……」
「念のためだ。使い方は覚えてるな」
「うん……」
ルリカは不安気な声を漏らし、手の中の銃に目を落とした。使い方を教えたことはあったが、実際に撃ったことは一度もない。どうしたらいいのか分からない、そんな表情だった。
「ここで待ってろ」
サカキはそう言うと、こじ開けられたシャッターをくぐって中に入った。
窓一つない部屋の中は、外よりもいっそう暗くて何も見えない。入口から少し離れた壁に背をつけ、暗闇に目が慣れるのを待った。
――無理か
夜目が利いても、一片の光もない部屋ではほとんど見えない。手探りで進むことにした。
何かのオフィスらしく、中央にカウンターがあった。自分の胸元の高さのカウンターを乗り越え、散乱する紙の山を踏み分けながら壁伝いに奥に進んだ。いくつかの机をかわして一番奥の壁にたどり着いたとき、ふと指先にモニターの画面が触れた。キーボードとマウスが足元に落ちている。手を伸ばしてみると、パソコンが並んでいるのが分かった。
床に倒れた棚を乗り越え、奥のガラス戸を開けて廊下に出た。懐中電灯を点け、光を最小限に絞って辺りを窺う。
じゅうたんが敷き詰められた床と、ざらざらした手触りの白っぽい壁。この状態なら、誰かが使っているはずだ。
壁に背中をつけたまま、一番奥にある階段を昇る。じゅうたんの階段は気を使わなくても足音を消してくれる。人気のないビルは、不気味なほど静かだった。
上階も同じ造りをしていた。カウンターはなく、スチール製の机が並んでいる。
ここには人の気配はない。頬を伝う水滴をシャツの袖で拭い、さらに上の階へ昇ることにした。
四階は階下と違い、いくつかの部屋に分けられていた。サカキは音を立てないように気を配りながら、一番手前の部屋から調べていった。
どの部屋も散乱するゴミの中に机と本棚が置いてあるだけで他には何もない。以前はここで人が仕事をしていたのが信じられないくらい雑然としている。重要なものは会社ごと移動したのかもしれない。
細く開けたドアの隙間からそっと廊下に出たとき、不意に低いうなり声が聞こえた。
人か、それとも動物――
息を殺して耳を澄ませる。が、物音一つ聞こえてこない。この階で見ていないのは、一番奥の部屋だけだ。
懐中電灯を消してドアノブに手をかけると、意外にも鍵はかかっていなかった。ノブをゆっくりと回し、一気に蹴り開けた。
「誰だ!」
低い男の声だった。入口に背を向けているソファから銃口がこちらを向いている。ソファの影になって男の姿はほとんど見えない。相手からもサカキの姿は見えていないはずだ。この距離なら、先に撃たれれば終わる。
思案していると、男が咳き込んで呻き声をあげた。
――手負い
サカキは腰のコンバットナイフに掛けた手を止めた。
「奪いに来たわけじゃない」
真っ暗な部屋の中で、それでもブレない銃口を見つめたまま言った。話が通じるか。
「ガキか」
舌打ちの後、男がソファの影から姿を現した。引き金に指を掛けたまま、銃口は真っ直ぐサカキに向いている。
「何の用だ」
「二階を使用する」
一瞬の沈黙。
「……お前一人か?」
「連れがもう一人」
「……二階だけだ。子供だからって容赦はしねぇ」
「分かった」
そう答えると、荒々しい呼吸が室内に響いた。よく見ると、男はソファの背に腕を置いて体を支えていた。立っているのもやっとだという印象だ。
「怪我をしているのか?」
サカキは懐中電灯の明かりをつけた。薄明かりに照らし出されたのは、三十歳前後の大柄な男。
「オレに構うな!」
男が再び銃を向けてきた。脇腹から太腿にかけて血で真っ赤に染まっている。相当の深手だ。これだけの出血で、立ち上がって銃を向けているのが不思議なくらいだ。
「もっとマシな処置をしないと、死ぬぞ」
「余計なお世話だ」
「見せろ。傷口の縫合ぐらいはできる」
懐中電灯を下に向け、サカキは男に近づいた。いまさら処置をしたところで間に合うか分からない。
男は銃を向けたまま、体を支えるように立っている。
その姿に、理由の分からない既視感が走った。放っておく、という選択肢は浮かばなかった。




