16:もう居場所はない
背後で微かにシュラフの擦れる音がした。サカキは手を止めず、そのまま工具を持ち替える。
小さなテーブルに置いた懐中電灯が、拾ってきた部品と指先を白く照らしていた。
何本かの針金を口に咥えたまま振り返ると、ルリカが寝転んだまま、眠たげな目でこちらを見ていた。シュラフは胸元まで引き上げられている。
「眩しい?」
「平気」
ルリカの口元がわずかに和らいだ。
「すごい難しい顔してた。何か大変なもの作ってるの?」
「大したものじゃない」
ドライバーを懐中電灯のそばに置き、サカキは目頭を押さえた。細かい作業を続けていたせいで、目の奥が重い。
「服、もう乾いてた?」
「着てれば乾く」
「風邪ひくよ」
「大丈夫だ。それより飯にしよう。腹減った」
サカキはテーブルの上に広げていた部品やドライバーをまとめてザックの中にしまい、自分の荷物と昼間の老人から貰った荷物を背負った。
「果実スープにする」
火を使うときは、ねぐらから少し離れた場所で使うことにしていた。寝床を燃やす危険と、他人に見つかるのを避けるためだ。
「ちょっと待ってね」
慌ててルリカも自分の荷物をまとめた。いつ何があるか分からない。荷物は常に持ち歩くようにしていた。
荷物がまとめやすいように、サカキはルリカの手元に懐中電灯の光をあてた。
その時だった。
ズゥン…
低い地響きとともに鈍い振動が足元を揺らした。
「……なに、今の」
「行くぞ」
咄嗟にルリカに覆い被さるように身を寄せたサカキは、すぐに彼女を引き起こして部屋の外に出た。
何かが崩れ落ちた音だった。だが、この三週間にサカキが見回った限り、こんな大規模に崩壊するものは周辺にはなかった。
嫌な予感がする。
サカキはルリカの手を引っ張りながら真っ暗な地下道を走り抜け、地上に出た。
「まだ走れるか?」
サカキの問いに、ルリカは軽く息を切らしながらも頷いた。サカキはルリカの手を強く握り、裏路地から見通しのよい大通りまで一気に駆け抜けた。
「サカキ!」
悲鳴に近い声でルリカが叫んだ。振り向くと、小雨が降りしきる大通りのはるか向こう、土煙が立ちこめているのが見えた。
「……早すぎる」
思わず低い声が漏れた。
小雨によって途切れた土煙の切れ間に、黒い巨木の影が見えていた。突然張り出した根と幹に耐えきれず、ビルが崩れ落ちたのだろう。湿った土と、腐ったような甘い匂いが風に乗ってきた。
昼間の豪雨と夕方の晴れ間。確かに活動条件は揃っていた。――だが、ヤツの動きは想定を超えている。
サカキは自分の見込みの甘さに唇を噛んだ。
住みやすい街だった。だが、もう終わりだ。
「ルリカ、行こう」
そう言った瞬間、握る手に違和感を覚えた。ルリカの手が小刻みに震えている。
「今は大丈夫だ。明るくなる前にこの街を抜ける」
サカキは繋いだ手に力を込めた。だが、ルリカは硬直したまま立ちつくしている。視線が巨木に張り付いたままだ。
「ルリカ!」
サカキの鋭い声に、ようやく見上げた薄紫の瞳が、震えていた。だが、目が合うと安堵したように息をついた。ルリカはもう一度、土煙に見え隠れする巨木を見据えた。
「この街も、あの木に埋めつくされてしまうんだね」
「行くぞ。もう居場所はない」
――どこへ行けばいい。
どこへ行っても安息の地はない。すぐにヤツらがやってきて、すべてを喰らってゆく。
逃げる場所は、どこにもなかった。




