15:生きるために必要なことだ
空気はなまぬるく湿っていた。ビルの合間を縫って吹き抜ける風が、雨の到来を告げている。
サカキはスクラップ置き場を漁っていた手を止め、上空を仰ぎ見た。分厚い灰色の雲が、空一面に重く立ちこめている。
「……雨」
そう呟いた顔に冷たいものが落ちてきた。春先の雨にしては珍しく、大粒の水滴が叩きつけてくる。サカキは足元のリュックを拾いあげ、雨を避けるように走り出した。
この街に来て三週間あまり。これだけの雨は初めてである。久しぶりの潤い――そして、恐怖。命の水は、ともに戦慄を引きずってくる。
濡れて視界をさえぎる前髪をかきあげ、サカキはずり落ちたリュックを担ぎ直した。拾い集めたガラクタが重く肩にくいこむ。
――拾いすぎたか。
だが、どれも必要なものだ。できるだけ振動を与えないよう瓦礫の山を飛び越え、見慣れた大通りを抜けて路地裏に入った。その先の突き当たりの建物から地下道を抜けると、ねぐらに戻る。だが、その途中で、いるはずのない姿を見つけて思わず立ち止まった。
「――ルリカ」
サカキの声に驚いたのか、ルリカは一瞬ビクッとして、それから恐る恐る振り向いた。
「こんな所で何……」
サカキは言葉を切り、ルリカの足元に目を落とした。
人が倒れていた。ボロボロの服を身にまとった小柄な老人だった。
「どうしたんだ?」
「水をくみに行こうと思ったら、この人が倒れてて……」
サカキは老人の首に手を当て、脈を確かめた。
「死んでる」
まだわずかに体温が残っていた。外傷もないので、病気で死んだのかもしれない。
サカキは荷物の中身が濡れないよう、手早く開けて中を確かめた。使えなくなるのは困る。
「何してるの?」
「使えるものがないか探してる」
「そんな、死んだ人のものを盗むなんて」
「死んでるからだ。生きるために必要なことだ」
ルリカは押し黙ったまま、足元の老人を見つめていた。激しさを増してきた雨に濡れるその顔が、今にも泣き出しそうに見えた。
この時代を生きるには、ルリカは甘すぎる。背徳を抱えていれば、待っているのは死だ。
それでも彼女は、他人を思いやる。自分の子供を平気で置き去りにする親がいる中で、ルリカはそれでも他人に手を差し伸べようとする。
「ルリカ」
彼女の薄紫色の瞳を見つめたまま、サカキは小さく問いかけた。誰に何と言われようが、どれだけ非難されようが、一向に構わない。だが、ルリカに非難されるのだけは堪える。
しかし、ルリカはなかなか頷かない。
「ルリカ」
サカキはもう一度言った。彼女はサカキの顔をちらっと見て、すぐに老人に視線を戻した。
――やがて、口を真一文字に結び、ルリカは黙って頷いた。その拍子に、雨に混ざって、大粒の涙が頬を伝い落ちた。
その涙から目をそらし、サカキは老人の荷物の中身を手早く物色した。食料のほかに登山用ナイフとモバイル端末が入っていた。
「当たりか」
サカキはわずかに口元を緩めた。この老人が何のためにモバイル端末を持っていたかのかは分からないが、あつらえたようなタイミングで捜していたものが手に入った。自分の悪運の強さも、まだ捨てたものではない。
「ルリカ、戻ろう」
老人の荷物をまとめて担ぎ、サカキはルリカを振り返った。彼女はためらうような表情でサカキを見上げている。
「……埋葬はしない」
「……わかってる」
ルリカはか細い声でそう答えると、サカキが差し出した手をギュッと握った。冷たい指先を通して彼女の悲しみが伝わってくる。
「行こう」
立ち去りがたそうなルリカの手を半ば強引に引き、サカキはその場を立ち去った。
ねぐらに戻るころには、水の中に飛び込んだように靴の中までびしょ濡れだった。雨の中を出歩くことは滅多にない。このべったりとした感触も、悪くはなかった。
「しっかり拭け」
一枚しかないタオルをルリカに渡し、自分は濡れた服を絞って体を拭きながら、サカキは隣の部屋のルリカに声をかけた。二人で一組分しか着替えがない。荷物が少なくてすむように服は共有していた。だから今日みたいに二人ともびしょ濡れになると、どちらかがシュラフで過ごさなければならなかった。
サカキは固く絞った服を小さな机の上に干すと、ルリカのリュックからシュラフを引っ張り出してくるまった。少し埃っぽいぬくもりに息をつくと、今度は自分のリュックをひっくり返して集めた部品を床に広げた。
これだけあれば、目的のものは造れる。
サカキは一個ずつ手にとり、損傷と、使える部位を確認した。街のはずれに大きな工場跡があり、そこで電気系統の部品がかなり手に入った。加えて、老人の荷物から漁ってきたモバイル端末。かなりのものが造れる。
「それ、なに?」
着替えを済ませたルリカが入ってきた。雨のせいですすけた顔がきれいに洗われ、透けるような白さが際立っていた。
「部品。工作でもしようかと」
「なに造るの?」
「できたらな」
わずかに口元を緩めたサカキに、少し納得できない表情を見せながらも、ルリカは何も言わずにサカキの服の隣にタオルを干した。
どうせ聞いても分からないだろうと、床に転がるいくつもの部品を見て、ルリカはそう判断したようだった。
「寒くないか?」
まだ乾いていないルリカの髪を見て、サカキは言った。セミロングの髪先が肩を濡らしていた。
「ちょっと寒い」
そう答えて、ルリカは小さなくしゃみを一つした。
「もう少し髪を乾かせ。風邪をひく」
「大丈夫。そんなにヤワじゃない」
心配性なんだから、という顔だった。
「入るか?」
サカキがそう言うと、ルリカは大きく頷いてサカキの隣りに腰をおろした。シュラフの半分をルリカの肩にかけてやり、二人は互いにあたため合うようにシュラフにくるまった。
「あったかいね」
「二人だからな」
「服と毛布、もう一枚いるね」
「これから夏だから今はいい。荷物になるだけだ」
「そうか」
「……何か食うか?食ったらもう少しあたたまる」
「いい。何か眠くなってきた……」
とろんとした声でルリカは言うと、サカキの肩にもたれて眠り始めた。とたんに小さな寝息が聞こえてくる。
ルリカの寝顔にサカキは小さく笑った。ひとときの安息。こんな時間が永遠に続けばいい。
けれど、自分もルリカも、いつ死んでもおかしくない状況に生きている。死は至る所に潜んでいて、二人でいられるのは今日までかそれともずっと先までか。
今を生きるだけで、限界だった。




