第一話「スマホの中の歯医者」
「このスマホに、歯医者の先生が入ってるんです」
通報を受けて向かった先で、五十代くらいの女性がスマホを差し出してきた。
一瞬止まった。
「……不正アクセスの被害ということでしょうか」
「そうです。ずっと監視されてるんです。毎日怖くて」
内心で息を吐いた。よくある話だ。根拠のない被害妄想。丁寧に、でも明確に返す。
「科学的な痕跡がない場合、被害として扱うのが難しい状況です。専門の業者に相談していただき、まず痕跡を確認してもらってください」
正しい対応だ。間違っていない。
女性の顔が歪んだ。
「私はこんなに苦しんでいるんですよ!」
スマホのカメラ部分にはガムテープが貼られている。
「ご家族はいますか?」
「家族は関係ないでしょ!私の話をしているの!」
本人は必死なのだろうが、どうすることもできない。このような案件は、ほとほと苦手だ。
その時、隣に立っていた理津がスマホをひょいと受け取った。
「先生のお名前は?」
「え、田中先生です」
理津はスマホの画面に向かって、大きく息を吸った。
「田中先生! 警察です! この方のスマホから出て行ってください! これ以上つきまとうと、警察として対応します!」
固まった。
「また出てくるようであれば、言ってください」
女性は目を丸くして、それから、ふっと息を吐いた。
「ありがとうございます」
女性の顔から緊張が無くなり、頭を深々下げた。
「……よかった」
理津はスマホを返した。
「田中先生のことは、僕たちとご家族で一緒に解決しましょう」
「家族はもう聞いてくれないの」
「大丈夫ですよ。僕からしっかり説明しときますから」
女性は少し間を置いてから、娘と夫の名前と番号を教えた。
家から出る時に、女性は深々とお辞儀をしていた。
パトカーに戻ると、理津はすぐに聴取した電話番号に電話をかけた。
「お母さんが大変怖い思いをされています。精神的に参っていますので、ケアしてください」
電話口の向こうで、娘らしき声が「また?」と言うのが聞こえた。
理津は表情を変えずに続けた。
「お母さん、すごく心細そうでした。スマホ以外に原因があるかもしれないのでよくお話を聞いてください」
そして私にスマホを渡してきた。
「飯塚さん、行政の支援について説明をお願いします」
「飯塚部長ね……」
そう言うと、ため息をついて保健所の説明をした。
帰りのパトカーの中で、理津を見た。
「あの人、また何回も連絡してくるわよ」
「はい、そしたら僕がまた叫んであげますよ」
「何回も何回も通報されるわよ」
「はい、それが仕事ですよね」
理津は前を向いたまま、それ以上何も言わなかった。




