第二話「魔法のスティッキ」
「おばあちゃん、お名前は?」
公園のベンチに座った老女は、私をぼんやりと見上げた。
「……どちら様?」
行方不明者の通報で向かった先で、私は内心で状況を整理した。名前がわからない。住所がわからない。身分証もない。
「おばあちゃん、お名前を教えてください」
老女は耳が悪いのか、ぼんやり空を見ている。
「名前ねぇ。なんだったかしら」
認知症により、名前も住所もわからない迷い人だ。この場合、警察署に保護して照会や家族からの届け出を待つのが早い。
「警察署にお連れしますね。そこで担当の者が——」
「やです」
「でも——」
「やです。家に帰らないと……」
老女はベンチから立ち上がろうとしなかった。
「おばあちゃん、困りますよ。立ってください」
少し声を強めた。
老女の肩がびくりと縮んだ。
その瞬間、隣にいた理津がベンチに腰を下ろした。
「それ、何ですか」
理津が指さした先には、ビニール製の安っぽい棒があった。老女が両手で膝の上の細い棒を抱え込んでいた。
老女が理津を見た。そしてゆっくり袋から棒を出す。
「魔法のスティッキですか?」
「そうなの。孫がねプリキュアってアニメ好きでね。さっき買ったの」
「そうなんですね。それはお孫さんも喜びますね」
「孫のためになら私なんでもできるの。孫の嬉しそうな顔でいつも元気が出るのよ」
「お孫さんも良い子ですね」
「そう、優しいの。いつもね、かずえばーば、ありがとうって言ってくれるの」
老女の顔がほころんだ。
理津と目が合った。カズエ、だ。
半信半疑で照会をかけると、数分後に三件の履歴が引っかかった。過去の行方不明の記録に『栗原和枝』があり、身体特徴が一致した。
住所はこの近くだ。
「栗原和枝さん、おうち近くなので一緒に行きましょう」
老女は杖をついてゆっくり立ち上がった。
「ありがとう、家まで連れてってくれるのね」
老女の家は、五分も掛からない場所だった。
チャイムを押すと、すぐに扉が開いた。
「お義母さん!」
四十代くらいの女性が飛び出してきた。その後ろから小学生くらいの女の子が顔を出した。
「ばーば!」
女の子は老女に勢いよく抱きついた。老女は驚いたように目を丸くして、それからゆっくりと女の子の背中に手を回した。
「どこ行ってたの、心配したよ」
女の子の声が少し震えていた。
老女は魔法のスティッキを握ったまま、女の子の頭をそっと撫でた。
帰りのパトカーの中で、私は理津を見た。
「よく名前聞き出せたわね。でも、本来はすぐ引き継がないと駄目だよ」
「はい、僕はおじいちゃん、おばあちゃんと話をするの好きなんですよ。それに、引き継ぎの書類書くの苦手で……」
「はぁ~、発見と送り届けた記録。結局帰ったら全部作るのよ」
「えぇ~無理です。飯塚さん、一緒に書きましょう」
「飯塚部長ね。何回言ったら分かるの。マニュアル渡すから一から一回全部作りなさい」
「えぇ~厳しいです……」
理津はがっくり肩を落とした。
理津のバッグの中には、交通法規のテキストが覗いていた。
私は少し、微笑んだ。




