空気を読む力、場面を読む力 (雁木戦法からも学ぶ)
「自分の理屈は通用するのだろうか?」
「自分の信念(戦法)は、カモネギになっていないか?」
サカグチ・カオル(28)は、液晶モニターの淡い光に照らされながら、独りごちた。
地上28階、港区のタワーマンション。窓の外には、まるで宝石箱をひっくり返したような東京の夜景が広がっている。10年前、ブラック企業の激務でボロ雑巾のように使い捨てられ、実家の子供部屋で震えていた自分に見せてやりたい景色だ。
世間は金持ちの彼を「勝ち組ニート」と呼ぶだろう。だが、カオルの心は凪いでいた。
彼は今、盤面を見つめていた。それは株のチャートではなく、もっと巨大で、もっと残酷な「社会」という名の将棋盤だ。
廃れた戦法、死んだ理屈
カオルは、かつて自分が信じていた「真面目に働けば報われる」という理屈が、現代においては完全に『廃れた戦法』であることを知っている。
「今の時代、それはただの『歩』の突き捨てにもならない」
彼はチェアーに深く背を預けた。
将棋の世界には『雁木』という戦法がある。かつては守りが薄いと敬遠され、プロの間で廃れた戦法だ。しかし、AIの登場によってその価値が見直され、現代的なアレンジを加えて復活を遂げた。
「でも、俺が持っているこの『教育』や『人間関係』への持論はどうだ?」
カオルは今、私財を投じて「人材再生学校」を作る計画を練っている。かつての自分のように、一度折れてしまった人間を、再び社会という盤面に「打ち駒」として復帰させる場所。
だが、彼を不安にさせるのは、自分の思考が「素人には通用しても、百戦錬磨のプロには通用しない」独りよがりなものではないか、という疑念だった。
「国が必要としているのは、画一的な労働力じゃない。でも、俺が考えている『個の再生』は、国家という巨大なシステムから見れば、効率の悪い悪手なんじゃないか?」
もし自分の信念が、すでに誰かが通り過ぎ、対策を立てられ、捨て去られた「古臭い戦法」だとしたら。それは対局相手(社会)にとって、格好の餌食――いわゆる『カモネギ』でしかない。
「入玉」という泥臭い希望
カオルは画面を切り替え、自作の構成案を眺めた。そこには「人間とは何か」「教育の再定義」といった、28歳の若者が語るにはいささか重すぎるテーマが並んでいる。
ふと、彼は『入玉』という戦法を思い浮かべた。
相手の陣地に王様が入り込んでしまう、泥泥の持久戦。かつてのプロ棋界では「美しくない」と忌避されることもあったが、勝負に徹するなら立派な戦術だ。
「俺がやろうとしているのは、これかもしれないな」
洗練されたエリート教育ではない。一度詰みかけた人間が、敵陣に潜り込んでしぶとく生き残るための、泥臭い生存戦略。
彼は18歳の時、社会というプロの対局場に放り出され、一瞬で投了に追い込まれた。心身を壊し、セーフティネットという名の「持ち駒」にすらなれなかった。
だが、ニートとして過ごした空白の時間は、彼にとっての「長考」だったのだ。
「みんな、空気を読めと言いすぎる。でも、空気を読んで負けるなら、空気を読まずに盤面をひっくり返すしかないんだ」
カオルはキーボードを叩き始めた。
彼が考えているのは、単なるスキルの伝達ではない。
「負け方」と「負けた後の戦い方」を教える学校だ。
カモネギの逆襲
夜が明け始めた。28階の特等席から見える空が、群青色から薄桃色へと移り変わる。
カオルは気づいた。
自分の理屈が通用するかどうかを恐れるのは、自分がまだ「観戦者」の気分でいるからだ。
プロの対局に横から口を出しているだけなら、どんな理論も机上の空論、カモネギの戯言で終わる。
「通用するかどうかじゃない。通用させるんだ」
彼が手にした大金は、次の対局のための「参加費」に過ぎない。
株の世界で学んだのは、大衆が「もう古い」と投げ出したものの中に、時として巨大な歪みとチャンスが隠れているということだ。
「今の日本に必要なのは、対策済みの正解じゃない。誰もが忘れてしまった『個人の尊厳』という、古くて新しい戦法だ」
もし自分の信念がカモネギだと言うなら、そのネギを武器にして戦ってやる。
空気を読まず、古いと言われようとも、それが現代に最適化された「新しい雁木」になり得ると信じて。
カオルは、24時間動く世界のマーケットを閉じ、一通のメールを送信した。学校設立に向けた、最初の具体的な一歩。
「さて、次の手はどう指そうか」
サカグチ・カオル、28歳。
彼はもう、盤面の外にいるニートではない。
社会という混沌とした対局場に、自らという「駒」を、もっとも不遜な位置に打ち込もうとしていた。




