昔の考えの人間が昔のやり方でやるとどんな問題が起きるか?
東京都心のタワーマンション28階。
夕暮れが、ガラス張りのリビングを琥珀色に染め上げていた。
サカグチ・カオルは、最高級のワークチェアに深く腰掛け、4枚のマルチディスプレイを眺めていた。画面上では、自己資産が秒単位で脈動し、数字の羅列となって彼を映し出している。
「……結局、根っこは同じか」
カオルは、指先でキーボードを叩き、思考をメモに書き留めた。
巷では、彼のような存在を「勝ち組ニート」と呼ぶ。高卒で飛び込んだ職場。待っていたのは、文字通りの地獄だった。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「俺たちの若い頃はもっと厳しかった」
そう宣う上司たちは、カオルが過労で倒れ、血を吐いても笑っていた。精神と肉体が限界を迎え、20歳を前にして彼は社会からドロップアウトした。
だが、彼はただの敗北者ではなかった。
そこから這い上がったのだ。
今、彼は働かなくても生きていける。だが、その瞳は空虚ではない。
カオルは考えていた。
「昔は良かった」と懐古する者たちの正体を。
彼らは、過去を美化している。かつて自分たちが受けた理不尽、耐え難い苦痛、そして自分たちが加害者として振る舞った「ひどいこと」を、脳内のフィルターで都合よく濾過しているのだ。
「武官なき文官、文官なき武官……」
カオルは呟く。
現代は、理屈ばかりをこねくり回し、リスクを取らない「文官(頭脳派)」が増えすぎた。野球に例えれば、リードばかり気にするキャッチャーだらけのチーム。実際にバットを振り、泥にまみれて走る野手がいない。
一方で、かつての「武官(行動派)」たちは、平和な時代においてその牙を身内に向けている。
カオルの脳裏に、以前相談を受けた知人の顔が浮かんだ。
その知人は、優秀さゆえに年上の上司から執拗な嫌がらせを受けていた。ミスを誘発するように情報を遮断され、評価を下げるために根も葉もない噂を流される。自分のメンツを守るためだけに、次世代の芽を摘み取る。
それはもはや政治であり、醜い生存競争だった。
「自分の椅子を守るための策謀。それが、彼らの言う『昔のやり方』か」
カオルは、手元のタブレットに「人材再生学校・構想案」というファイルを開いた。
彼が稼いだ金は、贅沢のためにあるのではない。
「今の人間が根性なしで理屈屋だ」と嘆く老いた武官と、「理不尽な精神論で潰される」若き文官。この歪な断絶を繋ぎ止めるための教育。それこそが、彼が見出した社会貢献の形だった。
カオルはキーボードを叩く。
『:防衛的攻撃性の解体』
『旧世代の人間が、なぜ若者の足を引っ張るのか。それは、彼らにとっての成功体験が「耐え忍ぶこと」と「力による支配」に依存しているからだ。彼らは、自分より仕事ができる若者を「秩序を乱す敵」と見なす。』
ふと、階下の喧騒を想像した。
そこには、今この瞬間も、上司の機嫌を伺い、メンツを守るための泥仕合に疲弊している人間たちがいる。
「平和な時代でも自衛官は必要だ」とカオルは思う。
それは軍事的な意味だけではない。自分自身の尊厳を守り、理不尽な攻撃から身を守るための「心の武官」が必要なのだ。
「根性がないのではない。消耗させる場所が間違っているんだ」
カオルは立ち上がり、窓の外を見下ろした。
眼下には、血管のように張り巡らされた道路を、無数の車が流れている。その一台一台に、組織という名の檻に閉じ込められた人間が乗っている。
カオルは自問する。
人間とは何か?
利害だけで動く計算機か。それとも、過去の傷を癒せないまま、連鎖的に誰かを傷つける悲しい生き物か。
「俺が作りたいのは、キャッチャーばかりのチームじゃない」
カオルは再びデスクに戻り、チャットツールを開いた。
そこには、彼が密かに資金援助をしている若き起業家や、挫折した元技術者たちのコミュニティがある。
彼は彼らに、投資だけでなく「知恵」を授けている。
老害たちの嫌がらせをどう受け流すか。自分の価値をどう守るか。そして、いつか自分が上に立った時、同じ過ちを繰り返さないために何をすべきか。
「カオルさん、例のプロジェクト、妨害が入りました。親会社の役員が、自分のメンツが潰されると言って……」
画面に飛び込んできたメッセージに、カオルは静かに微笑んだ。
想定内だ。
「昔のやり方」で挑んでくるなら、こちらは「未来のルール」で書き換えるまでだ。
「政治をしようじゃないか。ただし、誰かを蹴落とすためじゃなく、誰もが自分の戦場で『武官』になれる場所を作るための政治を」
カオルの指が踊る。
数億円の資金が動く。それは、旧いシステムを破壊するためではなく、新しい種を植えるための整地費用だった。
28階の静寂の中で、サカグチ・カオルは独り、戦っていた。
それはニートの妄想ではない。
莫大な資産を武器に、人間の本質を見つめ、この社会の教育と人間関係を根底から作り変えようとする、孤独で高潔な革命だった。
夜の帳が下りる頃、彼のディスプレイには、新しい学校の設計図が鮮やかに描き出されていた。
そこは、ミスを許容し、理屈を血肉に変え、本当の意味での「根性」――すなわち、困難に立ち向かう知性と勇気を育む場所になるはずだった。
「さあ、始めよう。過去を美化する老人たちにも、未来に怯える若者たちにも、まだ見ぬ景色を見せてやる」
カオルの瞳に、タワーマンションの光が反射し、銀河のように輝いた。
彼の戦いは、まだ始まったばかりだ。
(しかし思う。自分も年をとれば同じようなことをするのか?新しい知識を武器に挑んでくる若者にどう対抗する?年寄りが味方する若者は、年寄りのことも考える若者だろう。中には、未来を考える年寄りもいるはずだ。そんな年寄りに、若者はついていく。)




